マキシム6 完璧だからその人を愛するのでしょうか。いいえ、完璧じゃなくても愛してしまうのです。
「……まさか、あれからずっとここにいたのか?」
路地裏で身を隠していたら、昨日の返り血まみれだった青年と再会することができた。偶然にも昨日出会った場所と同じ路地だった。
「……いえ、違いますよ。ここの人たちと話してたら、いつの間にか賢者って呼ばれるようになってしまって、悩みごと相談の嵐なんです。逃げてきちゃいました」
自業自得なのは分かっているのだが、どうしても子供のことを分かっていない親を見ると熱くなってしまう自分がいる。
もともと学校の教員だって、それが原因で辞めなきゃいけなくなったっていうのに。
他人の子育てに首を突っ込み過ぎなのだ。反省しないと。
「そっかあ、お前も子供なのに大変だな。おっと、見た目は子供でも中まで子供ってわけでもないもんな」
青年は同情したような笑みを浮かべて隣に腰かけた。
「なあ、賢者さん。せっかく逃げ出してきたところ悪いんだけど、俺の相談……いや、やっぱやめとく」
隠れている自分に気をつかってか、男性は言いかけた言葉を飲み込んだ。
「あ、いいですよ。人生相談とか重いヤツじゃなければ」
この人ともっと話をしたかったのだ。上手くいけば真佐江に会えるかもしれない。
マホーツは微笑みながら、隣に座る相手の話をうながした。
「ならさ、どうしてもここの世界から追い出したいやつらがいるんだけど、ここのルール上、どんなにここで追い払ったとしても、戻ろうと思えば戻ってきちまうんだ。
普通にここで楽しくゲームしたいって思ってる人がさ、そいつらがいるせいでここに来れなくなっちまってんだ。どうしたらそいつらをここから締め出せるのかなって思ってさ」
彼が懸念しているのは、悪質プレイヤーが強制排除後に、別アカウントで再度【異世界体験】で同様の悪事を繰り返してしまうのではないかということだった。
「……えーと、完全にここから排除することが難しいということですね? 殺すという手段で排除しても、別アカウントで戻ってきて同じことをするから、ということですよね?」
マホーツは自分の認識に誤解がないか、青年へ確認する。
「なら、別アカを作られて見失ってしまうより、今のアカウントのまま監視もしくは拘束してしまう方が良さそうな気がします」
排除とは逆の発想――つまり縛りつけて身動きをとれないようにして、監視下に置いておく。
言い方は悪いが生殺し作戦だ。
「今のまま拘束……」
青年は真剣な顔をして考え込んでいる。
「さらに問題のあるプレイヤーだと周囲に分かるようにする。目印的な何かがあれば、注意喚起しやすいと思うんですよね」
マホーツはまだここのゲーム内のルールに不慣れなので、その方法をとるための具体的な手段は思いつかなかった。
でももしこの青年の賛同が得られるなら、ぜひ協力しようと思っていた。
「うーん……。いい線いってそうなんだけどなあ……」
青年は思わず顔を手で覆った。
右手には呪い屋で売っていたグロテスクな腕輪が装備されている。
(あ……。この人、そういえば呪いを解くアイテム持ってるのかな。
ずっとつけっぱなしにする気でいるのかな。おじいさんのところに行って、この人の呪いを外す道具もらってきてあげた方がいいのかな)
マホーツがそんなことを考えながら呪いのブレスレットを見つめていると、同じようにブレスレットを見ていた青年が突然大きな声を出した。
「――っ! いける!」
青年がガバッと顔を上げると、子供のように無邪気な笑顔で抱きついてきた。
「あんたすごいよ! やっぱり賢者だ! すげえ! これなら絶対いける! サンキュな賢者!」
その笑顔が、自分の大切な人の面影と重なった。
「――あ……」
マホーツが青年に声をかけようと手を伸ばしかけたとき、青年の『賢者』のセリフが聞こえた街人が、マホーツに気づいて路地に押しかけて来た。
「ああ! ここにいらっしゃいましたか賢者マフ・オーツ様!」
「私の子供を何の仕事につかせたらいいのか教えてください!」
「僕の結婚相手にはどんな女性を選べばいいのか教えてください!」
「私、自分がやりたい仕事が見つからないんです!」
「起業するのに最初に覚えた方がいいスキルを教えてください!」
もはやマホーツではなく、【賢者マフ・オーツ】にされてしまっている。
ステータスを確認すると、名前がいつの間にかマフ・オーツに変更されており、職業も賢者に変わっていた。
【マフ・オーツさまはお気づきでなかったかと思いますが、賢者の前に一度、導師という職業へ变化が起きていました。すでに二段階の変化が発生しております】
オルガが言うには課金もしないでこんなに早くステータスが変化するのは稀なことらしい。しかしマホーツ、いやマフ・オーツにとっては心底どうでもいい情報だった。
「やべ! ごめんな賢者!」
悪びれた表情で片手で謝る青年を見る。もうその姿は妻の真佐江にしか見えなかった。
(この人はもう……! 本当にどこにいても正義の味方なんだから)
胸の中で熱い感情が沸き上がってきていたが、マフ・オーツは表面上は何事もなかったかのようにふるまった。
「あ、いえ。お役に立てたのなら良かったです。あの……頑張ってくださいね! 応援してます」
そういうと、青年(?)はうんと不敵な笑みをマフ・オーツに返した。
「おう! 任せとけ!!」
(まーちゃん……。僕は役に立てたかな。
正直、賢者なんて誰に言われても嬉しくないけど、まーちゃんが頼りにしてくれるなら、賢者になってよかったのかも)
カッコいい男の人になった妻の真佐江は、シルバーアッシュの短髪を風になびかせ、後ろ背に右手を振りながら走り去っていった。
賢者マフ・オーツ――いや、優介はこの後ろ姿を知っている。
真佐江と初めて会った日の夜だ。
部活帰りに数人の他校の生徒に囲まれ、殴られた。
周囲に人の気配はなく、冗談抜きに殺されるんじゃないかと恐怖に襲われた。
闇夜の中でひときわ黒い影が駆け抜けて、他校の男子生徒を吹っ飛ばしていった。
「あらあらちょっと間に合わなかったわ。ごめんなさいね、殴られる前に助けようと思ってたんだけど。
はいこれ湿布。腫れる前に貼った方がいいよ? 1年生かな? 怖かったね~」
尻もちをついている自分の横にしゃがみ込んで、その場に不釣り合いなほど穏やかに笑っている女性は、なぜか顔だけミイラのように包帯ぐるぐる巻きになっていた。
「あ、これ? 変装ね。怪我とかやけどじゃないから心配しないで?」
そして腰のベルトに木刀の小太刀が二本ささっていた。正直怖さで言えば彼女の方が怖かった。
「イケイケ紅刃さーん? 5人だけどいける~? 助太刀必要~?」
声をかけられた黒い人影は、よく見るとビジュアル系バンドのメンバーが着るような特殊なデザインのコスチュームを着ていた。
電柱の光を受けて、金髪がきらめいた。
「いらね。それよりその一年は任せた。ミイラ姉さん」
「ち~が〜う! アオシって呼んでよ〜! それかせめてシシオ〜!」
「油断すんなってスケキヨ姉さん。こっちは任せな」
わずかにこちらへ視線を向けて、不敵な笑みを浮かべる。あまりにも堂々とした後ろ姿に思わず見とれた。
20年経つけど、ずっと変わらないんだね。
凛々しくて、堂々としていて、かっこいい背中――。
そんなまーちゃんの強さは、僕の憧れだった。
「オルガさん。僕、帰ります。もう目的は果たしたんで」
【え? いいんですか? ……あの、もしかして分かっちゃいました?】
その口調に、オルガがとっくに自分の妻の正体を知っていたことを理解した。
「僕がここに来たことは秘密にしておくことにします。
オルガさんが彼女と直接接点があるのかは分かりませんが、内緒にしておいてくれると嬉しいです。
あんなに生き生きしてるのに、邪魔しちゃ悪いんで」
あの笑顔なら大丈夫。あの笑顔の真佐江は無敵のときの真佐江だ。
自分が傍にいなくちゃいけない――見せかけだけの強がりの笑顔なら、もう覚えたから。
その顔をしている時は、絶対に離れないようにする。見失わないようにする。
今日はお疲れさまと迎えてあげよう。それが自分の仕事だ。
【あ、ええ、それはもちろんです。あの、ぜひまたお越しくださいね。賢者マフ・オーツさま。
……あの、もしよろしければ、次回は私のお仕えする方にも会っていただけたらと思います】
「ああ、オルガさんの上司さんですか? ははは、まいったな。課金しないで職業変えちゃってすみませんって、謝らないとですかね。
あと、オルガさんの前に担当してくれた人にも課金しないですみませんって言わなきゃですね。
でもまあ、そうですね……。機会があったら、またお邪魔するかもしれません。結構、楽しかったですよ」
世界が真っ白に変わり、優介は【異世界体験】のソファから立ち上がった。
真佐江の誕生日まで一週間だ。
夫として、自分にはやらなきゃいけないことがある。
あと、美緒にアイスを買って帰らなきゃ。