マキシム5 愛とは見つめ合うのではなく、同じ方向を向くことでしょうか。
ひきつづき真佐江の誕生日まであと10日の土曜日。
PМ 7:25 野々原家のリビング
「まーちゃん、明日って予定ある?」
「……ある。ごめん。
実は今日の用事がまだ終わってなくて……」
優介に向かって、もうしわけなさそうに手を合わせる真佐江。
おそらく用事というのは【異世界体験】の関係なのだろう。
半年前に、真佐江がリビングに落としたカードと同じものを、自分も今は持っている。
【異世界体験】のIDカードだ。
真佐江のカードは黒かったが、自分のカードは白い。
色にどんな区別があるのかはよく分からないが、半年前の朝帰り事件もきっと【異世界体験】が原因だったんだろう。
「……わかった。もし僕が力になれることがあったら、言ってね」
いつもそう言うようにしている。でも妻はいつも自分の力で解決してしまう。
(……もっと僕のことを頼ってくれてもいいのに)
優介は今までにないくらいの寂しさを感じていた。
もっと自分になんでも相談してほしい。弱いところも見せてほしい。もっと甘えてほしい。
そう思うのは、束縛だろうか。支配欲なのだろうか。
愛という名前の、見た目だけは美しく彩られた――しかし、中身は呪いのブレスレットと同じようなグロテスクな感情なのだろうか。
優介はまだ悩んでいた。
真佐江が40歳を迎えるまであと9日の日曜日。
AМ 10:57
10時に約束があると言って、真佐江は9時半には家を出て行った。
娘の美緒は勉強のため、ひとり部屋にこもっている。
優介は本を読んだり、コーヒーを淹れたり、スイーツを焼いてみたりして時間をつぶしてみたが、いよいよ耐えられなくなって美緒に声をかけた。
「みーちゃん、パパちょっと出かけてきてもいい? 留守番お願いできるかな?」
ドアをノックしてから声をかけると、部屋から美緒が出てきた。
「いいよ~。てゆーか、なんかめっちゃいい匂いするんですけど~!」
鼻をスンスンさせながら、美緒が匂いの原因を探ろうとあちこちに視線を動かす。
「あ、ガトーショコラ焼いてみたんだ。良かったら味見して?
なんだったら帰りにバニラのアイス買ってくるから、上にのせて食べる分残しておいて」
「――っパパ!? マジ神すぎ! マジパパ最高すぎる!!
いま超パパの娘で良かったって幸せかみしめまくり!
ね、ね、ね、ハーゲン買ってきて! なければボーデン! おっきいカップのやつ!! バニラの濃い〜やつ!!
もう超パパ大好きー!!」
顔をキラキラ輝かせて美緒が優介にすがりつく。こういう顔をすると妻にそっくりだ。優介は思わず苦笑した。
「はいはい、分かったよ。高いアイスね。
ああそうだ。お昼、どうする? もしパパが帰り遅くなって待ちきれなかったら、パパのカップ麺食べててもいいよ」
「あ、ガトーショコラお昼にするからご心配なくー!」
美緒は上機嫌で手をふる。もう行け、ということらしい。
「えぇ? それはあんまり良くないなあ」
優介の言葉に、美緒は半目になり、口をとがらせた。
「カップ麺なら良くてガトーショコラがダメな理由を40字以内で述べよ」
娘が手に持っていたシャープペンシルを、差し棒のように使いながら真面目な顔で問いただしてくる。
(うん、そうだね。カロリーが高くて栄養バランスが悪いことに関しては、どちらも甲乙つけがたい食品だね)
娘がガトーショコラを昼食にするための、40字以内の口実が思い浮かんでしまったので、優介は観念することにした。
「はは、参りました。じゃあ今夜の夕飯はヘルシーなのにしようね」
優介は頭の中で冷蔵庫に入っていた野菜を思い浮かべ、夕飯はポトフに決定する。
「うん。そうしてくれるとハーゲンのカロリー罪が軽くなるからマジ嬉しい」
どこまでも真剣な表情の娘に苦笑しながら、優介は【異世界体験】にいるであろう妻を追いかけた。
初日のような失敗はしない。家を出る前に入館手続きを済ませておいたので、11時半に到着と共に入館できた。
再び優介は、マホーツとして異世界の町にやってきた。
「おお! お前さんか! 探しとったんじゃ!」
すぐに呪い屋のおじいさんがマホーツを見つけ、駆け寄ってきた。
「お前さんのおかげで完売したんじゃ! キモかわいい見た目とエグイ罰ゲームのコラボがパリピにバズってわっしょいわっしょいじゃ! お礼に店の中の好きなもん、どれでも持って行ってくれ!」
適当に思いつきを言っただけなのに、まさかの大当たりが出てしまったらしい。
「ああ、こいつがじいさんの言ってた坊主か! なあ、俺の店の商品も売れるようにしてくれよ!」
「ずるいわ! ねえ、あたしの店も、もっと儲けるにはどうしたらいいのか教えてよ!」
街の武器屋や道具屋や、よく分からない店の店主たちがマホーツを囲む。
(しまった。ここで捕まったらまーちゃんを探しに行けない……!)
「いや、まあなんていうか。商売の基本は消費者ニーズを読むことと、きちんと自店舗のコンセプトを打ち出すことなんじゃないかと……」
適当にもっともらしいことを言って早々に脱出しよう。
マホーツはネットニュースのビジネスタグで適当に読み漁った記憶を頼りに返事をする。
「おお! 本当にこの坊主賢いぞ!」
「ねえちょっとうちの子すっごいアホなんだけど! どうしたらあんたみたいに賢くなるのか教えてよ!」
早々に離脱するつもりだったが、教育者としての使命がマホーツのスイッチを入れてしまった。
マホーツは鋭い視線で、女店主へと向き直った。
「いえお母さん、その言い方は良くないです。
そうやって他人の子供と比べて自分のお子さんのダメ出しをしないでください。いいですか? 子供というのは……」
マホーツは最初の目的を忘れ、そこから延々と子供の自己肯定感を育むことの重要性、及び人間にとって自己価値感が高まることで期待されるメリット等々について、熱く語り始めてしまったのであった。