行き遅れ聖女の幸せ【短編】
溺愛強め目指して連載バージョン始めました。
二人きりでのお茶会の最中だった。
「は? お前はもう二十七歳じゃないか。結婚適齢期を過ぎた女性と結婚するなんて国民が歓迎するはずがないだろ」
蔑みの眼差しと共に心ない言葉を浴びせられ、マリアライトは何も言い返すことが出来なかった。彼女自身もそうであると薄々感じていたからだ。
この国の結婚適齢期は二十四歳まで。だからこそ彼は新しい婚約者を探すため、城のダンスパーティーに美女を集めると言い出したのだ。
「いいか、マリアライト。確かにお前には感謝している。聖女としての力のおかげで、この国には緑が溢れるようになった。だが、そこまでの話だ。お前を異性として見ることは出来ないな」
淡々とした声で紡がれていくそれらは、マリアライトのこれまでの人生を否定するかのようなものだった。婚約者と式を挙げる数日前に聖女であることが発覚し、突然城の人間がマリアライトの下にやって来た。
聖女として生まれたからには、この国に全てを捧げなければならない。平民との結婚など許されないと言われ、無理矢理婚約を破棄された。これには批判の声が上がったが、国王は聖女が現れたことに歓喜するばかりだった。
そして、当時十三歳だった王太子ローファスの婚約者となった。その五年後、つまりもうすぐ二人は結婚するという話になっていたはずなのだが。
「ですが、大丈夫なのですか? 陛下はこの件についてご存知なのですよね?」
マリアライトが心配しているのはそこだ。国王がマリアライトがどのような女性であるかを深く考えず、聖女というだけで王太子妃にすることを決めていた。
年齢云々で結婚相手を変えてもいいのだろうか。
しかし、ローファスは疎ましそうにマリアライトを睨み付け、鼻を鳴らした。
「自分以外の女が妃になることが不満なのは分かる。それにお前は聖女の件について言いたいのだろうが、そこも解決済みだ。近々魔術国家から魔道具を多く輸入することが決まった。それがあれば、聖女の力など必要ない」
「ええと、そういうことではなく……陛下へのご報告は……」
「妃としての条件から聖女であることは外れたんだ。だったら、若くて美しい妃の方が民からの『ウケ』もいい。お前のように三十路近く、地味な女などが妃として私の隣に立ってみろ。……それを想像すれば、父上もご理解してくださるはずだ」
マリアライトはローファスの言い分に若干の不安を覚えつつ、反論はしなかった。聖女が不要になれば、聖女がこの王宮にいる理由はないのだ。
彼も多少なりとも国王には話を通しているはずだ。これ以上マリアライトが何を言ったとしても、彼の考えを変えることは出来ない。
「マリアライト・ハーティ。お前には即刻王宮から出て行ってもらう」
数年前に他界した両親がこのことを知ったら、どんなに悲しむことだろう。親不孝者の娘で申し訳ないと思う。
ローファスから女として見てもらえなかったことへの悲しみや怒りは存在しない。そこの辺りはマリアライトも同じようなものだったからだ。
彼を一人の男として見ることは最後までなかった。そのような暇がなかったのだ。王妃教育を受ける日々で、その合間に聖女としての役目を果たしていた。
王太子と顔を合わせるのは月に一、二回程度。愛を育むには時間があまりにも足りなかった。
愛していない青年と体を重ねる未来を密かに恐れていたくらいだ。
なので、肩の力が一気に抜けた。五年間が全て無駄に終わってしまい、言いようのない虚しさが心の中に渦巻いているが。
王宮を出た時、餞別として渡された少量の金銭と私物を持って向かうは生家だった。両親が亡くなり、住む者が誰もいなくなった後も取り壊されずに済んだ。
かつての婚約者への未練もなかった。互いに愛情を持っていたのは事実だが、彼は他の女性からの愛も求めていた。彼が生まれ育った国では、正妻の他に愛人を持つことがごく一般的だったらしい。けれど、そんな風習に馴染みのないマリアライトの心はズタズタに引き裂かれた。
王都から少し離れた小さな町。その外れ、森の近くに古びた一軒家があった。かつては美しい花がたくさん植えられていた庭は荒れ放題。あちこちに蜘蛛の巣が張っている。
あとでちゃんと掃除をしないと。そう思いながらマリアライトは形見である鍵で家の中に入ろうとした。
「あら?」
ドアが少しだけ開いている。泥棒という言葉が脳裏に浮かんだが、こんなところに入っても盗めるものなど何もない。
不法侵入損ねぇ、と呑気に考えて家の中に入って行く。埃臭くて咳き込みながら奥に進む。家具は残されたままで、綺麗に拭けばまた使えるだろう。うんうんと家の中をチェックしつつ、寝室に足を踏み入れた時だった。
小さな子供がシーツに包まっていた。
「あらら……?」
まんまるの翡翠色の瞳がじっとマリアライトを見詰める。そこには怯えの色が浮かんでいて、シーツで隠した体が小刻みに震えていた。
「こんにちは、私はマリアライトって言います。以前、このおうちに住んでいた人です」
「え……あ、ご、ごめんなさい」
「謝らなくても大丈夫ですよ。私もここに帰ってくるのは、本当に久しぶりなのです。あなたはいつからここに?」
「……昨日から」
か細い声と共に首を横に振られる。シーツでよく見えないが、随分と痩せているようだ。健康状態があまりよくないと分かる。
マリアライトは荷物を漁り、その中からクッキーが入った袋を取り出した。
「お腹空いているでしょう? 食べませんか?」
「それ、食べ物なの?」
「クッキーですよ。甘くて美味しいのです」
「じゃあ……食べる」
子供がシーツの中から出て来て、マリアライトからクッキーを受け取る。その間、マリアライトの視線は子供の頭部に注がれていた。
銀髪の隙間から生えた二本の角。深紅のそれに注がれる視線に気付いた子供は、ハッとした表情でシーツを被り直そうとする。
その動きを止めたのは、マリアライトの一言だった。
「可愛い色の角ですね。林檎みたい」
どうして角が生えているのか、そこは全く気にしない。ただ大好きな果物と同じ色だと喜ぶだけで。
婚約者に浮気をされて、自分が聖女だと発覚して、王太子から婚約破棄をされて。色々と大事件に見舞われたマリアライトは、ちょっとやそっとじゃ動揺しない心を持つようになっていた。鈍くなってしまったとも言うべきか。
子供は自分の名前が『シリウス』であること以外は、何も明かそうとしなかった。どこからやって来て、どうしてマリアライトの家にいたのかも答えてくれない。というより、答えられない様子だった。マリアライトが質問をして、返せる答えがない時は「ごめんなさい」と頭を下げる。
マリアライトはシリウスが孤児で、行く宛もなく寒さを凌ぐために家に忍び込んでしまったと判断した。孤児院に連れて行くか迷ったが、角が生えた子供なんてどんな扱いをされるか容易に想像が出来た。
恐らくは魔物と人間のハーフなのだろうが、この国では禍物とされて迫害されているのだ。
というわけで、マリアライトが自らシリウスを育てることにした。
二人分の生活費を稼ぐため、早速マリアライトは動き出した。
「いっぱい育ってくださいね」
庭の草むしりをして、土を耕してから植物の種を数種類撒いてから祈りを捧げると、あっという間に成長していった。これがマリアライトの聖女としての力だ。中には天候を操ったり、火を自在に操る聖女もいるようだが、マリアライトの場合は植物の成長を促す力を持つ。おかげでこの国は、荒れ果てた大地に緑を蘇らせることが出来たのである。
撒いた種は林檎や柑橘類、野いちごなどの果実系。あとは美しい花を咲かせる種類だ。それを収穫して、売りに出掛けるとすぐに売れた。
最初は素通りされるばかりだったので、試食を用意してみた。すると、その瑞々しさと甘さに皆驚き、飛ぶように売れていく。花もよく見れば、花屋で売られているものよりも質が良いと、女性客に喜ばれた。
彼らはマリアライトの顔を見ても、ローファスの元婚約者だと気付かない。かと言って、かつてこの町に暮らしていた住人であることも知らないようだった。次期王太子妃なのに話題に挙がることは滅多になく、町に住んでいた頃も殆ど目立たない地味な女性だったのだ。
「今夜の晩ご飯はシチューを作ろうと思うのですが、シリウスは食べられますか?」
「シチュー……?」
「お野菜をミルクが入ったスープでじっくり煮込んだお料理です。優しい味がしてお野菜も柔らかくて美味しいですよ」
「うん……食べれる……」
ハーフは食べられないものも多いと聞く。例えば、ヴァンパイアとのハーフはニンニクやオニオンなど、刺激が強い野菜を苦手としている。狼男とのハーフは肉中心の食事でなければ、すぐに衰弱してしまう。
なので逐一食べられるかどうか、シリウスに確認するようにしている。今のところは、何でも口に出来るようで好き嫌いもない。養われているので我が儘は言えない、と無理をしている様子もなく、美味しそうに平らげてくれている。
「マリアライト様、あの……マリアライト様の林檎食べてもいい?」
「はい。ちょっと待っててくださいね」
独りで過ごすはずだったマリアライトの人生は、シリウスの出現で大きく一変した。
自分で育てた林檎の皮を剥いて、食べやすい大きさに切っていく。翡翠色の瞳が宝石のようにキラキラ輝いている。
「はい、どうぞ」
「ありがとう!」
シリウスが小さな口で林檎をちびちび食べ始める。色んな物を食べさせてみたが、シリウスの一番の好物はマリアライトの聖力で育った果物だった。あまりにも美味しそうに食べるので、苺や葡萄など、様々な種類も育てるようになった。
最初はガリガリの鶏がらのようだった子供の体はふっくらと肉が付き、頬はマシュマロのように柔らかくなった。
「あなたはどんな男の子に成長するんでしょうねぇ」
「えっと、えっと……マリアライト様を大切にする大人になる」
「ありがとうございます。けれど私だけじゃなくて、皆に優しい人になってくれた方が嬉しいです」
「じゃあ、皆に優しくて、でもマリアライト様には一番優しい大人でもいい?」
シリウスが大人になる頃には、他の国に引っ越さなければならない。今のままではシリウスは自由に出歩けないし、他人と関わる機会がない。
いつか凛々しい青年に成長するだろう彼が、可愛らしい女性と出会えるようにハーフに優しい国に移住するのだ。
「マリアライト様、買い物に行くんですよね? 俺も行きます」
「ありがとうございます、シリウス。でもいいんですか? 本を読んでいたでしょう?」
「いいえ、あなたのお役に立ちたいので」
そう言って、マリアライトの代わりに籠を手に取り、シリウスが微笑む。素直で優しい子に成長したなぁ、とマリアライトは喜びながら微笑み返した。
身長はマリアライトの背をゆうに超えて、マシュマロのような肉が落ちて端正な顔立ちとなった。それに加えて細身ながら筋肉ががっしりとついた肉体。
緋色の角はいつの間にか頭部からなくなっていたので、聞いてみれば「その方がマリアライト様も都合がいいでしょう?」と答えが返ってきた。出歩くのには助かるが、綺麗だと思っていたから残念だと言うと、何故か暫く固まっていた。
「でも、本当に大きくなりましたねぇ」
あまり深く考えずに、マリアライトは染々とした口調でのんびり呟いた。
僅か半年でここまで成長した青年に向かって。
尋常ではない速度で成長したシリウスだが、それはきっとハーフだからだろう。マリアライトとしては、誠実な青年に育ってくれたのなら、それでいいのだ。
「それはマリアライト様のおかげかと」
「私の?」
「あなたの力で実った果実には、強い魔力が宿っているんです。そのおかげで俺は成体になるのに必要な魔力をすぐに得ることが出来ました」
「成体? 必要な?」
「ですが、それだけではありません。見ず知らずの子供を追い出すことなく、育てることを決心したあなたの慈愛はとても温かく、優しかった」
両手を握り締められ、真っ直ぐ見詰めながら囁くシリウスを見詰め返し、マリアライトは首を傾げた。見た目だけではなく、中身までかなり成長している。
一人称が『俺』になっているし、敬語で喋るようになっていた。
「喋り方も変わりましたねぇ」
「マリアライト様は嫌ですか?」
「まさか。とっても素敵ですよ」
これなら可愛い恋人もすぐ見付かりそうだ。背伸びをして頭を撫でてあげようとすると、その手を掴まれて頬擦りをされた。ひんやりとした体温に少し驚く。
「体が冷えているようなら、温かい紅茶でも淹れましょうか?」
「その必要はありません。あなたとこうしていられるだけで、俺は身も心も温かくなります」
「だったら、はい。こうした方がもっと温かくなりますね」
両手でシリウスの頬を包み込む。翡翠色の瞳が一瞬だけ赤くなったような気がしたが、見間違いだろうとマリアライトはすぐに忘れてしまった。
シリウスの急激な成長は一旦止まった。果物や花を売るのを手伝ってくれたり、買い物にもついてきてくれるので、マリアライトは非常に助かっている。
シリウス目当てなのか、女性客が以前より増えた気がする。マリアライト以外にはあまり愛想がよくないし、どんな美人に言い寄られてもあっさり振っているが、そこがいいらしい。中にはシリウス単体ではなく、マリアライトとセットになっているシリウスを見に来るという客もいる。
「どうしてでしょうねぇ。私なんて余計だと思うのだけれど」
「何故そのように思われるのですか?」
「だって……私ですよ?」
もうじき三十になる女性が若い美青年の隣にいるのだ。どう考えても不釣り合いである。
「素敵な男性の側にその人の母親がいたら、話しかけにくいと考えるものではないでしょうか」
「……彼女たちは、俺とあなたを親子だと思っていないようですが」
「それじゃあ……姉弟かしら」
「それはそれで背徳感があって俺は……いえ、何でもありません」
言葉を途中で止め、シリウスは庭で育った林檎の木に軽く手を当てた。すると、丸々とした赤い実が勝手に枝から離れて、ふわふわと宙を漂ってからマリアライトの掌に着地をした。
「あなたも聖力が使えるのですね、シリウス」
「聖力ではなく、これは魔力です。聖力は神から授かったものですが、魔力は魔族なら誰しもが持つ力と聞きます」
「あら? それじゃあシリウスは魔族……?」
魔族は魔物ともハーフとも異なる種族だ。魔物よりも知性も魔力も高い。その気になれば世界征服も容易とされ、人間からは恐れられている。
「魔族にも勢力争いがあって、俺はそれに巻き込まれたんです。暗殺されかかって王宮から逃げ出し、どうにか追っ手を撒いてこの町に流れ着きました」
「そうだったのですか……」
途中、聞き逃してはならない単語があったのだが、マリアライトはそこをあまり気にせずシリウスがこの家に隠れていた理由を知って、胸を痛めていた。
どんなに心細かっただろう。半年前の彼を思い返し、淡い薄青の瞳から涙を流す。目を大きく見開くシリウスの体を抱き締める。
「マ、マリ、あ、の何をして」
「辛かったでしょうね……」
「申し訳ありませんが、少し体を離してくれると助かります」
「え? ああ、ごめんなさい。きつく抱き締めてしまいましたか!?」
「心の準備が出来ていなかっただけです。そして、今出来たのでもう大丈夫です」
両手を広げるシリウスの双眸は赤く染まっていた。今度は見間違えではないらしい。マリアライトはそれをじっと見詰めた。
「急に目が赤くなりましたけど……病気かしら?」
「これは病ではなく、歓喜している時の証のようなものです。ご心配には及びません」
そう言ってシリウスが顔を近付ける。口付けしてしまいそうな程の距離となり、流石にこれはおかしいとマリアライトが離れようとすれば、角張った男の手に腕を掴まれる。
「あなたはずっと俺を我が子、もしくは弟のように可愛がってくれました。ですが、俺は最初に出会った時から、あなたを一人の女性として見ていたんですよ。あなたはそのことに全く気付いていないようでしたが」
王太子ローファスが大勢の兵士を引き連れてマリアライトが生まれ育った町を訪れたのは、彼女を王宮から追い出してから一年後のことだった。
魔術国家から大量に輸入した魔導具に重大な欠陥が発見され、使用が禁じられたのだ。すると、聖女の必要性が再び叫ばれるようになった。
それがなくとも、ローファスの立場は非常に危うくなっていた。理由は独断でマリアライトとの婚約を破棄したためだ。魔導具に頼らずとも聖女がいればそれでいいと考えていた国王は、当初から息子の行いに激怒していた。
父をどうにか説得し、美女たちをパーティーに招いたものの、目を付けた令嬢や他国の王族の女性がローファスを受け入れることはなかった。マリアライトの件を知っていたからだ。自分たちの都合で彼女を王宮に縛り付け、必要でなくなったら捨てる。いくら王族でも、そんなのは男として最低だと皆がローファスを罵った。
既にローファスが頼れるのはマリアライトしかいなかった。きっと彼女も嫁の貰い手がなく、独りでひっそりと暮らしているはずだ。
歳上で見下されているような気がしていたので、ローファスはいつもマリアライトが気に食わなかった。しかし、彼女はいつだって心から優しい女性だったのだ。そのことにようやく気付けた。
今からでもやり直せるはずだ。
「マリアライトが……結婚した……?」
だが、遅すぎた。町人から得た情報を聞き、ローファスは膝から崩れ落ちた。
一ヶ月前、この町に魔族の国の兵団が訪れた。彼らは、かつて暗殺からどうにか逃げ延びた皇太子を迎えに来たというのだ。内戦の後、彼の行方が分からず皆で探し回っていたという。
彼らの前に現れたのは、いつもマリアライトの側にいる美青年。彼の頭からは緋色の角が生えていた。マリアライトはその横で、果物で作ったお菓子を山ほど抱えていた。兵団が来ると知って、彼らのために用意をしていたのだ。
聖女が育てた果実入りのお菓子に喜ぶ兵士に、皇太子だったらしい美青年はこう言った。
『この美しい女性は俺の恩人であり、妻となる人だ。丁重に扱うように』
マリアライトはもっと若い女性の方がいいのではと心配していたようだが、それを無視して皇太子は彼女を連れて自国に帰った。
二人で共に暮らしていた小さな家と、その庭も転移魔法で向こうの国に運んでいったという。
ローファスが震える足でマリアライトの家に向かうと、そこには初めから何もなかったかのように真っ平らの地面があるだけだった。