ゾンビハンターでもいいですか?
最近、巷を騒がせているゾンビハンターは決して殺人狂ではないという。
ゾンビハンターの目的はあくまでもこの国と真のゾンビになりかけた人間を救うことにあるのだとか。
ゾンビ病にかかっても、人は不思議と自殺を選ぶことがないとされている。
むしろ残された時間を精一杯生きようとする。
佐々木先生がぼくたちに自殺の時期を進言するようにいったのも、そのときが来ても自殺することができないかもしれないという不安があったからなのかもしれない。
ゾンビハンターはそんな人間を殺していく。
本人たちの生きようとする意思そのものを否定している。
それはあくまでもゾンビに頭が乗っ取られて脳が腐りかけた影響であり、人としてのまともな判断力によって導かれた結論ではないという。
「全身が腐るのをただ待ち続けるなんて、人として間違っている。人はそういう生き物じゃない。常に美しさを追求することが義務付けられている」
芹沢さんは落ち着いた口調で言った。
感情の起伏がないかといったらそういうわけではなくて、やはりぼくの反応が気になっている様子もうかがえた。
ぼくと芹沢さんは部活をやっていないから、放課後はそのまま一緒に帰宅することになる。
ぼくは自転車通学、芹沢さんは徒歩。自転車を降りた状態でハンドルを握りながらぼくは芹沢さんの隣を歩いている。
芹沢さんから校舎を出た直後に「実はわたし、ゾンビハンターなの」と打ち明けられたとき、さすがにぼくは返答に困った。
へえ芹沢さんでも冗談を言うんだという軽くあしらうような気持ちと、そういえばゾンビハンターの事件はこの町周辺で起こっているからもしかしたらという相反した感情に悩まされた。
ゾンビハンターはその名の通りゾンビを殺す人間のことだけれど、職業名ではない。言うまでもなくゾンビにも人権はあり、彼らを殺すこと自体犯罪となる。
ゾンビハンターがこれまでに殺したゾンビの数は軽く二桁を越えているとされている。
報道にあまり関心のないぼくでも知っているくらいだから、相当のゾンビが殺されているはず。
ということはーー芹沢さんの言ってることが事実であるのならだけれどーー芹沢さんはこの国では死刑になってもおかしくないくらいの犯罪者ということになる。
でも、そんなふうには全然見えない。芹沢さんは平均的な女子の体つきをしている。いやむしろ小柄なほうかもしれない。
ゾンビは死にかけているから女性の細腕でも簡単に殺せるの、と芹沢さんは言った。
そして具体的にこれまでの犯罪を教えてくれた。どこでいつ、どのようにしてゾンビを殺したのか。
ゾンビ殺しは数年前に始まり、いまも続いているし、やめる気持ちもないという。
その話を聞いてぼくは芹沢さんの話を信じることにした。
架空とは思えないくらいにリアルだったし、女子高校生が彼氏にそんな妄想を語る理由も思いつかない。ゾンビハンターであると偽ることになんの意味もない。
「よく考えてみて。お葬式のとき、棺桶に入れられているのはなに?人よ。ゾンビじゃない。ゾンビに別れを告げるの?ゾンビなんて見分けがつかない。そんなものに日本人は涙を流している。それっておかしなことだと思わない?」
この国ではゾンビは当たり前のものになってしまっている。ゾンビになることもゾンビがまわりにいることも仕方がないと思っている。
芹沢さんはその前提を変えようとしている。
十数年前から流行り始めたゾンビ病はいまや一般的な病気みないなものとして認知されていて、最初の頃はいろいろと混乱があったようだけれど、治療することがとりあえずは不可能だと知られてからは渋々と社会が受け入れるようになっていた。
「ゾンビは全て同じ個体よ。男女の区別すらありはしない。そこに思い出なんてありはしないの。服を替えただけで見分けがつかなくなるものを人間として認めるわけにはいかないわ。わたしたちは大事ななにかを見失っている。それを取り戻さなければならないのよ」
「だからゾンビを殺すの?」
「そうよ。性別も特徴もないゾンビは日本人ですらないということ。この状態が続けばいずれゾンビ国の中に住む日本人という形式が出来上がってしまう。そうなればわたしたちの生きてきた半生も無意味になるということよ。つまり見た目がゾンビじゃなくてもゾンビになってしまうの」
わかるようなわからないような論理だったけれど、芹沢さんが真剣であることだけは伝わってきた。
ここで変に細かいことを聞いても意味がないのかもしれない。ぼくが受け止めるべきは芹沢さんには大きな目的があってゾンビを殺しているということだ。
「芹沢さんはどうしてゾンビハンターになったの?」
「二年前、中学二年生のときにゾンビに襲われたことがあるの」
ゾンビは人を襲わない。
しかしそれはあくまでもゾンビ病の症状に人を襲うという要素がないというだけのことで、ゾンビだから安心というわけじゃない。
本来の人間としての意識が残っていればゾンビでも欲望などに突き動かされることはある。手足がボロボロになれば人を襲うという意識は減るだろうけれど。
芹沢さんは襲いかかってきたそのゾンビを殺した。
女子中学生でも死にかけたゾンビよりは力はある。相手はその場で死んだけれど、芹沢さんは正当防衛ということで罪に問われることはなかった。
「わたしは罪悪感に苛まされた。相手がゾンビであっても誰かの命を奪ったのは事実だから。でも、周りの人はわたしを責めなかった。警察官は事情を聞いて笑っていた。ゾンビにも性欲があるのかと」
そういった人たちを見て、芹沢さんは恐ろしさを感じた。
人が死んだという事実がこんなにも軽くなっていたことに気づかされた。ゾンビの出現によって普通の人の心までもが腐ってしまっている。
こんなふうに人としての感覚を失ってはいけない、芹沢さんはそう決意した。だからゾンビハンターになった。この国をまともな方向に向かわせるには大量にゾンビを殺すしかない。
「だってそうすればゾンビにも同情が向かうでしょ」
と芹沢さんは言った。
残された遺族に理不尽さを痛感させ、警察には捜査の過程でゾンビにも人間だった過去があることを知らしめる。
死が確定しているゾンビを殺すことでゾンビという概念を根底から覆そうとしているのだ。
矛盾したような話ではある。
芹沢さんは人を救うためにゾンビになった人を殺している。
許されることなのだろうか?いや、そんな発想があればゾンビハンターになることはそもそもない。
芹沢さんの正義がそこにあった、というだけだ。
芹沢さんがゾンビハンターだからといって、ぼくの中には恐れるような感情は沸いてこなかった。
本来ならいますぐに警察に駆け込んでもよさそうなものだけれど。
もしかしてぼくのなかのどこかにも壊れた部分があるのだろうか。
ゾンビは殺されても当然だと考えているところがあるのだろうか。だとしたら、芹沢さんにはもっとゾンビを殺してもらわないといけないのかもしれない。
「ところで、佐々木先生の話だけれど」
「うん」
「あの役目、高木くんがまっとうすべきだと思うのよね」
あの役目というのは佐々木先生に自殺をするように進言する立場のことだ。
「どうしてぼくが?」
「他のみんなはその指摘をすることができないと思うのよね。だってゾンビ社会の一員だから。ゾンビで死ぬことをおかしいとは思っていない。その点、高木くんはその範囲から外れていると思うの」
「外れてる?」
「そう。違う?」
「……どうだろう」
「高木くんはゾンビに対し、ちょっとした違和感を抱いている。これ、間違いないわよね」
ぼくがゾンビをどう思っているのかなんて一度も言ったことがないはずだけれど、芹沢さんにはすべてお見通しのようだった。
「わたしたちの共通点がそこにある。でも高木くんのはもっと穏やかで、ゾンビに殺意を抱くほどじゃない。だからこそ佐々木先生への死の宣告をするのは適当だと思うのよね。これはきっと高木くんにしかできない仕事だと思うわ。間違いない」
人に死ねというのは基本的に犯罪で、例え本人が望んでいたとしてもその背中を押すことは法律的にも許されない。
ぼくが佐々木先生に「そろそろ死ぬ頃合いですよ」と言って佐々木先生が実際に死ねば警察から事情を聞かれることはほぼ間違いない。
犯罪者である芹沢さんからすればゾンビ殺しの延長線程度にしか思えないのかもしれないけれど、ぼくにとっては人生を左右する重大な決断になる。
「わたしはゾンビハンターだから、先生がゾンビになったら殺してしまうかもしれない。もし高木くんが少しでも先生に敬意を抱いているなら、わたしが殺す前に死ねと言うべきだと思う」
ぼくは佐々木先生になんの恩義もないし、恨みもない。
担任と生徒という繋がりだけしかない。佐々木先生のために行動を起こす必要性というものが全くない。あくまでも誰かをゾンビにはしたくないという気持ちだけ。
でも、それが重要なのだと芹沢さんは言っている。
「高木くんにはその資格がある。これってやっぱり運命だと思うの。きっとそうすることが高木くんにとっても意味のあることなのよ」
ぼくにはゾンビに拒否反応がある。だからゾンビで死ぬことを否定する力がある。芹沢さんと付き合っていることがそれを証明しているのは確かだ。
「真剣に考えてみるといいわ。決して高木くんにとって無駄な時間にはならないはずだから」
芹沢さんはなぜか確信めいた口調で言っている。
ぼくが芹沢さんと付き合ったら直後、佐々木先生は自殺宣告を要求した。
これは芹沢さんのいうように何かの運命なのだろうか。そうすることがぼくにとってなにか意味のあることなのだろうか。