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変異してもいいですか?

「一度、やってみたかったんです」


神谷先輩は落ち着いた様子でコーヒーを飲んでいる。先ほどまでその手にあった鎌はどこかへと消えていた。


「死神稼業は結構退屈なんですよ。大抵の吸血鬼は血を吸うことしかできませんから、簡単に倒せてしまうんですよね」


漫画なんかにあるバトルものに憧れていたんです、と神谷先輩は言った。

ここはファミレス。ぼくと芹沢さんが並んで座り、神谷先輩を正面にとらえている。


神谷先輩は鎌を振り上げただけで、実際には襲ってはこなかった。

いや正確には襲うふりをした。ぼくにダッシュで近づき、鎌を素早く降り下ろした。

その鎌はぼくをかすめるようにして地面に突き刺さり、アスファルトをえぐった。


その直後、冗談ですよ、と笑顔で言ったわけだけれど。


「驚かせてしまいましたね。それについては謝ります。しかし、高木くんが吸血鬼化しているのは事実。もし暴れるようであれば、このような事態はいずれ起こる可能性があるので、リハーサルとでも思っていただければ」

「少しでも動いていたら怪我をしていたと思うんですけど……え、ぼく、吸血鬼化してるんですか?」

「はい、しています」


神谷先輩ははっきりとうなずいた。


「高木くんはすでに常人とはいえません。自覚はまだないようですが、すでに変異吸血鬼としての道を確実に進んでいます」

「でも、ぼくには破壊や吸血衝動は一切ないんですけど」


神谷先輩によれば、変異吸血鬼は自我というものはなくなり、モンスターのように暴れまわるような存在のはずだけれど。


「そうですね。しばらく観察していましたが、そのような兆候はありませんね。もしかすると、高木くんは特殊なのかもしれません」

「特殊?」

「普通の人間ではなく、殺されたゾンビの血を飲んだことにより、本来の変異吸血鬼よりも自意識を保てているのかもしれません。これは非常に興味深い現象です」


いまの話を聞いてぼくは違和感を感じた。


「どうしてぼくがゾンビの血を飲んだことを知ってるんですか?」

「……なんでしょうか?」

「いや、だから、ぼくが吸血鬼になったというのは臭いでわかるとは思うんですけど、それがゾンビの血かどうかなんてわからないはずですよね」


芹沢さんから口移しでゾンビの血を飲んだのは自分の部屋での話。

その場にはぼくと芹沢さんしかいなかったはずだけれど。


「それは、どうでもよいことではありませんか?」

「ぼくにとってはかなり重要なことです」


まさか盗聴や盗撮?死神はそこまでできる組織なのだろうか。


「ところで、心を通わせた相手というのは?」


芹沢さんの声に、ぼくは横を向いた。


「え?」

「さっき、そこの先輩がそう言ってたわ」


芹沢さんはさっきから不機嫌そうな顔をしていたのだけれど、それもこれも神谷先輩が不用意な発言をしたからのようだった。


芹沢さんにはまだ、ぼくと神谷先輩との詳しい関係性は説明していない。

入院していたときに神谷先輩とは会っているはずだけれど、ぼくと神谷先輩がどの程度の関係なのかは知らないようだった。


ぼくは神谷先輩と出会いからの全てを芹沢さんに伝えた。芹沢さんはそれを黙って聞いていた。


「……つまり、この神谷先輩の手のひらの上でわたしたちは転がされていたと可能性がある、ということね」


芹沢さんの推理。

神谷先輩は最初からぼくにゾンビの血を飲ませるつもりだったのではないかということ。

わざわざ病院で芹沢さんに会ったこと、そこで誰かの血を吸えば助かると助言したこと。なりよりも。


「さっき神谷先輩は殺されたゾンビ、といったわ。なぜ殺されたことがわかったのかしら。普通なら生きているゾンビに噛みついた、と考えるはず。そして飲んだ、という表現自体が受動的な様子を示している。生きるために誰かを襲ったというイメージがあるのなら、吸ったという表現になるはずよ」


ぼくはゾンビの兆候が出始めてから神谷先輩とは接触はしていない。

ぼくがいつ血を飲んだのかも知らないはず。


これは芹沢さんの行動を逐一確認しなければわからないことだ。

ぼくではなく芹沢さんまで監視していたということは、いろいろなことを神谷先輩は知っていたという可能性がある。


「……なかなか、鋭いですね」


神谷先輩はコーヒーを一口飲んだ。


「わかりました。認めましょう。わたしは芹沢さんがこれまで何をしてきたのかを知っていました。高木くんを調べるついでに判明したのです。芹沢さんがゾンビを殺していることを」


夕飯の時刻が近くなっていて、ファミレスは徐々に混み始めていた。

それでも神谷先輩は周囲の目を気にする素振りもなく、さほど音量も下げずに言葉を続けた。


「わたしたちは高木くんがゾンビになって死んでしまうことを恐れていました。なぜなら、高木くんが変異吸血鬼になれば戦力として計算することができたからです」


死神の本当の敵は真祖の吸血鬼。

それを絶滅させるには変異吸血鬼を仲間にするべきでは、という考えが死神組織のなかに以前からあったらしい。


「変異吸血鬼の特徴は、変化までに時間があることです。変異体である時点でなにかしらの処置を施せば、それ本来が持っている吸血鬼の狂暴性も抑えることができるのではないか、わたしたちは以前からそう考えていました」

「具体的な対策はあるんですか?」

「あります。ゾンビ血清です」

「ゾンビ血清?」

「ゾンビの血液が使えることはわかっていました。ゾンビの組織についてはかなり研究が進んでいたからです」


ゾンビ血清、というのはゾンビから抽出された抗体で、それをゾンビになりかけた人に打つと、その進行をある程度は遅らせることができる場合があるのだという。


とはいえ、ゾンビ血清には逆に状態を悪化させてしまうような副作用もあり、いまは生産はされていないという。


倫理的な問題も無視できないのだとか。

ゾンビ血清を作り出すにはゾンビが生きている間でないと難しく、それにはゾンビとは言え苦痛も伴うし、ただでさせ弱っている相手に非道な行いをすることは現代では簡単ではないらしい。


「これを高木くんに生かせないか、とわたしたちは考えました。高木くんにゾンビの血を吸わせることでゾンビ化を遅らせ、その上血を吸うことにより変異吸血鬼へとゆっくり移行させる」


本来よりもなだらかに吸血鬼になるということは、その間に自己制御ができるかもしれない、ということ。

吸血鬼として頭が乗っ取られるのを防ぎ、人間としての意識を保ったまま移行する。これが死神の描いていた理想像だった。


「だから芹沢さんを利用した」

「はい。この世界の平穏を司るべき死神としては、危険とは言いがたいゾンビを殺すわけにはいきませんから」

「殺人を見逃したら、同じことになるんじゃないですか?」

「では、高木くんも同罪ということで」


そうだ、ぼくが偉そうなことはいえない。

ぼくは芹沢さんのゾンビ殺しを容認したし、こうして生きていられるのも芹沢さんがゾンビを殺してくれからだ。


「世界平和のために、場合によっては小を切り捨てることも大事ですよ。実際に高木くんはこうしてコントロール可能な変異吸血鬼となったわけですから」

「偶然にかけたわけですよね」


神谷先輩はうなずいた。


「ゾンビの血によって高木くんがかえって狂暴な吸血鬼になってしまうのではないか、そのような可能性も否定はできませんでしたが、しかし、それ以外に方法がなかったのも事実なんです」


これはぼくにとってよい結果と言えるのだろうか。

もし本当に神谷先輩の言うようにぼくが自意識を保ったままに変異吸血鬼になれば、死神はぼくに戦うことを要求する。


当たり前だけれど、ぼくには戦闘経験というものがない。

スポーツ全般が苦手で、体力も少ない。こんなぼくが世界の敵である真祖の吸血鬼と戦うなんて想像ができない。


「死神でどうにかできる相手ではないんですか?」

「真祖の吸血鬼は不死身なんです。だからいたちごっこがいつまでも続いている。それを根本から滅ぼすには方法はひとつしかないと言われていました」

「それは?」

「真祖の血を吸い尽くすことです」


真祖の吸血鬼は殺されても、拡散した血などから生き返ることができる。それを防ぐには血そのものをなくすしかない。


「実際に確かめたことがあるわけではないのですが、歴史ではそのような方法で吸血鬼を退治したという逸話が残されています」


血を吸うことは、吸血鬼にしかできないこと。だから死神は変異吸血鬼を仲間にしたがっていた、ということらしい。


「ぼくが戦うなんて、全然イメージができないんですけど。特別な変化はなにもないですし」


確かにぼくはいまだに正常。

それは言い方を変えれば戦闘とはかけ離れた存在であるということ。牙がにょきっと生えてきたり、背中に翼でも生えればわかりやすいのだけれど。


「危険を感じるような場面がないので、気づいていないだけですね」


神谷先輩はコーヒーを飲むと、手首のスナップをきかせてそのカップを突然こちらへと放り投げた。


ぼくはその動きがはっきりと見えた。

顔面に向かってくる空のカップ。

空中で回転し、わずかに底に残ったコーヒーがカップから飛び出る。

ぼくは慌てることもなく、顔の前に手を動かし、それを受け止めた。


「これでわかりましたよね」

「……」


自分でも驚くほどの冷静さだった。

殺気のようなものを感じた次の瞬間には神谷先輩の動きはスローモーションのようにも見えた。


ぼくは本当に吸血鬼になっている、ということ?


「肉体的な強化もすんでいるはずです。確か高木くんの自室は二階にありましたよね」

「ええ」


そんなこと教えた記憶はないけれど、とくに驚きはしなかった。


「ためしに二階の窓から庭に降りてみてください。軽い足の傷みすら感じないはずです。飛ぶことの恐怖がなくなれば、ある程度の浮遊も可能だと聞いています」


吸血鬼になれば肉体的な強化のほか、空を飛ぶこともできるし、ワープとまではいえなくても素早く移動することも可能らしい。


「一般的には血を吸えば吸うほど強くなるとは言われていますが、高木くんにとってはそれは危険ですからやめてください。己を律することができなくなりますから」

「ぼくが協力をするという前提なんですね」

「するつもりがないと?」

「なんていうか、突然いろんな情報を頭に入れたので混乱しているんです」

「では、ひとつ動機を与えましょう」

「動機、ですか」

「妹さん、救いたくありませんか?」


最近、千花ちゃんの様子は明らかにおかしくなっていた。

吸血衝動が強くなっているらしく、常にいらいらするようになっていた。

このままだと、間違いなく誰かを襲いそうな気がするくらいに。


「吸血鬼は真祖の存在、そのものに影響を受けます。真祖は吸血鬼にとって親のようなもの。そこにいることで吸血鬼も生きる意味を見出だすのです」


逆に言えば真祖がいなくなれば、その真祖に噛まれた吸血鬼やそこから派生した吸血鬼は元通りになることがあるという。

親を滅ぼせばそこから産み出された吸血鬼の血統も無意味なものになるかららしい。


「千花ちゃんを救うには真祖を倒すしかない、ということですか」

「人としての人生を歩ませたいなら、そうなりますね」


これだけでもぼくには動機としては充分だった。千花ちゃんを救うため戦ってもいいと思ったのだけれど、神谷先輩の話にはまだ続きがあるようだった。


「高木くんにはもうひとつの動機がありますよ。まずはこれをご覧ください」


そういって神谷先輩はテーブルの上に一枚の写真を置いた。


ぼくはそれを手に取った。


そこに映っていたのは……。

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