入院してもいいですか?
目覚めたとき、ぼくは寝ていた。
自宅ではない天井をしばらく眺めていた。
周囲を見回してここが病院であることを知った。ぼくは個室のベッドで寝ていた。
落ち着いた色で統一された部屋。
整えられた調度。
もっとよく見ようと体を起こそうとすると、腹部に痛みを感じた。
ナイフで刺されて、それで病院に運ばれたんだ、とぼくは悟った。
カーテンの向こうは明るく、朝か昼かはわからないけど少なくとも半日程度は眠っていたことがわかる。
その後、ぼくは病院の人から説明を受けた。
刃物は幸い内臓は傷つけてなくて、長期の入院は必要ないとのこと。
とりあえず検査はするけれど、おそらく問題はないだろうと。
病院の医者にはぼくがゾンビだとすでにばれているわけだけど、その点に関してはなにも言われなかった。
それがかえって不気味だった。
医者はすぐに退院できるというけれど、それはもしかすると死体としてなのかもしれない。
警察にももちろん、事情を聞かれた。
犯人についてはまだわかっていないらしい。
たまたま通りかかった通行人が救急車を呼んだときには、周囲には誰もいなかったとか。
ぼくは別に犯人探しになんか興味ない。
途中で助かることを諦めていた以上、自分の責任も少なからずあると感じていたし、なによりも他に気がかりなことがあった。
今回の入院でぼくがゾンビになりかけていることは家族はもとより芹沢さんにもばれてしまった。
両親からはなぜ黙っていたのかと問われ、千花ちゃんはなぜかお兄ちゃんが死ぬのは嫌だと泣いていた。
その涙を見てぼくは「いや、君のせいだよね」とかは思わず、千花ちゃんの今後がかなり不安になった。
吸血鬼は死神に殺される運命にあるのなら、千花ちゃんはぼくがいなくなったら殺されるかもしれない。
いまだになにもないのはぼくが神谷先輩の協力者だからで、その役割を終えてしまえば千花ちゃんを放置する理由もなくなってしまう。
芹沢さんについては、数日間お見舞いには来なかった。
実際にはぼくが寝ている間に病院を訪れていたらしいので、ぼくの状態を聞き、それであえて病院を遠ざけているのかもしれない。
だってぼくはゾンビだから。
すでに引退をしたとはいえ、芹沢さんはゾンビハンター。
ゾンビを何人も殺してきた。
父親からは解放されたとはいっても、過去そのものをなくすことはできないから、いろいろ思うところがあってもおかしくはない。
このまま芹沢さんに会えないまま死ぬのかもしれない。
それも仕方がないのもかしれない。そう覚悟し始めたとき、芹沢さんがふいに病室を訪れた。
「結構元気そうね」
部屋に入るなりそういって、芹沢さんはベッド近くのスツールに腰かけた。
いまは放課後の時間帯。芹沢さんは制服姿だったので、学校からそのまま来たようだった。
「もしかしたらもう死んでるかもしれないと思ったのだけれど、まだまだ大丈夫そうね」
「怪我自体はたいしたことなかったんだ」
「わたしも責任を感じてるの。だって襲われたのはわたしと別れた直後だったんでしょう」
「それで芹沢さんが責任を感じる必要はないよ」
「わたしが自宅まで送ってちょうだいと頼めばよかったわ。そうすれば高木くんが襲われることもなかったかも」
「そうかもしれないけど、悪いのは結局犯人だから」
「その通りね。犯人が捕まることをわたしは願っているわ。高木くんも犯人への怒りは隠せないわよね」
「どうかな。あまり犯人を憎むような気持ちはないんだ。生きる気力そのものが失われているからかもしれない」
「……」
芹沢さんはぼくのことをじっと見つめた。その視線が顔よりも少し下のほうに向けられていたのは気のせいではなかった。
「さっき、病院の待合室のところで神谷という先輩に会ったの」
「芹沢さん、神谷先輩と知り合いだったの?」
「いいえ、会話をしたのは今日が初めてよ。彼女から声をかけてきたの。あなたが高木くんの恋人ですよねって」
神谷先輩には芹沢さんという恋人の存在は知らせていなかったけれど、向こうが勝手にぼくの周辺を調査していたのかもしれない。
「とくに隠す必要もないからそうよって答えたら、外へと無理矢理連れ出されたの。そして勝手にいろいろと話始めたのよ。死神がどうとか、吸血鬼がどうとか、変異体がどうとか」
どんな意味で神谷先輩はそんなことを芹沢さんに伝えたのだろう。
もしかしたら神谷先輩は芹沢さんがゾンビハンターだったことも知っていて、あなたの彼氏は危険な存在たから殺してちょうだいみたいなメッセージだったのだろうか。
「それだけわたしに教えて彼女は病院をあとにしたわ。そしてその情報を聞いたわたしがいまここにいるってわけ」
「うん」
「高木くん、ひとつお願いがあるんだけれど、聞いてもらえるかしら」
「なに?」
「あなた、いますぐに退院すべきだと思うのよね」
「どうして?」
「もう退院できるんでしょ。手術だって不要だと聞いたわ」
傷口はすっかり塞がっているし、その辺を歩き回ることもできる。精密検査でも異常は見つからなかった。
「それにあなた、誰かの血を吸わないと生きていけないんでしょ」
変異体のことまで聞いたとなると、ぼくが吸血鬼になったらどうなってしまうのかも知っているはず。なのに芹沢さんは血を吸えという。
「ぼくはもうゾンビになるんだよ。それは決定事項なんだ」
「まだわからないじゃない。いまからでも吸血鬼になるのは間に合うんじゃない?」
そうなのだろうか。確かにぼくは中途半端な状態だと聞いているけど。
いや、だとしても誰かを襲うなんて考えられない。
「芹沢さん、神谷先輩から聞いたんだよね。ぼくが吸血鬼になったらとてつもない力を手にいれて、人間を襲うかもしれないんだよ」
「死ぬよりはいいんじゃない?」
「そんなひどいこと、できないよ。だって芹沢さんも殺してしまうかもしれないんだよ」
それは結局のところ、芹沢さんにとってぼくを失うのと同じことだ。
冷静に考えればわかることで、でも、いまの芹沢さんには論理的な思考は難しそう。
「恋人をひとり置いて死ぬつもり?」
そう言われると結構辛い。
険しい顔をしているのに、なんだが芹沢さんは弱々しく見える。
「いつまでも一緒にいるとは限らないんだから、その辺は割りきったほうがいいと思うよ」
「身勝手な言い分ね。あなたは自分ことにしか興味ないのね」
「むしろ、この町の安全を考えてるんだけど」
ドン、と音がした。芹沢さんが自分の太ももを拳で殴った音だった。
「生きなさい、と言ってるの」
芹沢さんの目が潤んでいる。いまにも涙がこぼれ落ちそうなくらいに。
こんなふうにぼくのことを心配してくれるのは芹沢さんだけだ。
他のみんなはなんだかんだでゾンビは仕方のない現象として受け入れている。
芹沢さんは違う。ぼくという個人を認識してくれている。
「ありがとう」
とぼくは言った。これが別れの言葉になってもいいくらいに感情を込めて。