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前世からの課題

作者: 鮎歌

前世はたぶん、中世のヨーロッパで先生をしていた。


森に囲まれた小さな街で、子供からお年寄りまで様々な人に、学問というものを教えていた。

とりわけ、私は芸術を教えることが好きだった。そんな記憶がおぼろげにある。


なぜ芸術なのか。


私は、ある一人の生徒の、独特な才に惚れ込んでいた。

自然と人を魅了する笑顔と、不思議な声をもつ少年に。


その才能に気づいてからというもの、私は彼に物事を教えることに、常に心を傾けていた。

街中を歩くときも、一人で森を散歩するときも、私しか知らない秘密の洞窟にいるときも、いつも彼へ教えることばかり考えていた。


笑顔の絶えないその少年は、自分の才には気づいていない。


「…そこで、彼女はこういったんだ」

勉強には集中せず、歌の練習も半ばで、彼の寸劇は始まる。

飼っている家畜や仲の良い友達とのことを、面白おかしく例えたり、時にこちらが驚くくらい、勢いよく演じながら語る。

熱心に教えようとすればするほど、彼は目の前にいる人物をいかに引き込もうかと、どんどん物語を進めていく。


幼子にしてはとてつもない演技力、持って生まれた美しい声と面影に、私は無意識に、五感で満たされていた。


彼の世界に誘われていた感覚を、今でも鮮明に、手に取るように感じることがある。


こんな日々が永遠続けばいいと祈ったある日の別れ際、彼は名残惜しそうな儚い笑みで、何故か逃げるように去っていった。




その日を境に、声の美しいその少年は、私のもとへ現れなくなった。



痛烈にやるせなく悲しい、叫び出したい思いだけが、私の胸に強く刻みつけられた。







―――なぜ彼が私の前からいなくなってしまったのか。


それを何となく知ったのは、後に何千回も魂が輪廻転生を繰返し、生を受けた、今ここで生きている私の肉体だ。


この時代この国で、私たちはそれぞれ違う立場の人間として、命を宿していた。


私は何の変哲もない一般人のOLで、そして彼は、今注目の中堅役者として、きらびやかな舞台へとあがっていた。


「みなさん、こんばんは!今日も始まりました…」


ある春の日、仕事の帰り道。

なんとなく開いたアプリの動画。

初めて彼の声をイヤホン越しに聞いた瞬間、今まで感じたことのない、あたたかさと切なさが、体中を駆け巡った。


なぜただ話している声に、こんなにも思いが募り、なつかしさを覚えるのだろう。

一回りも年上の彼の、くしゃっと笑うその笑顔に、子供を愛でるようないとおしさを感じるのだろう。

他愛もない会話、言葉の使い方、話の抑揚に、どうしようもなく惹き付けられるのだろう。


風が一瞬にして吹き抜けるような、はっとする不思議な感覚に、私は戸惑った。

そして同時に、これが恋に近しいものであることを察した。


突如空想が広がる。


彼と私は、遠い遠い昔に、決して結ばれることのない恋をしていたのではないか。


美しい声の少年は報われぬ思いを抱きながら、あの日、自ら諦める道を選んだ。

女教師だった私は、その思いに気づいていたかそうでなかったか、わからぬままに彼を失った。

本当は、愛していたのだと、後になって気づいたのだ。


そして今、魂のリレーがつながれ、私たちは時代を変え、その声をたよりにすれ違った。

今度は私が、ほぼ望みのない一般人という肩書きから、彼を追いかける番になったのだ。






―――この宿命を思い描いたあの春の日から、もう何ヵ月も経った。


どうしても、あの時の感覚が、彼への思いを諦めるなと、未だ私に訴えかけてくる。


こんなにも無謀な状況の最中、私は一部の望みを託し、彼に届くことを願いながら、毎月手紙を書いている。


「何千年も前の私の魂、どんだけ後悔してるんだよ…もう本当に勘弁してよ…」とつぶやきながら、小さな画面に映る彼の姿にふと目をやると、そこにはいつでも、色褪せることないあたたかな思いがある。


まるで一つのカップから、透明の、きらきらとした水があふれていくように、私の心を満たしていく。


全てを不確実な前世の魂のせいにして、私は今日も、彼への手紙を書いている。



最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

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