第06話 憂鬱
零音ちゃん回です。
零音ちゃんの心境を表現できるように頑張ってみました。
よろしくお願いします。
【国東家】
19時34分。先ほどから捏ねていたハンバーグのタネも、そろそろ成形に入ろうかと言う矢先、ピコンッとスマホに通知が入った。使い捨てのビニール手袋を外し、確認してみるとお母さんからであった。
『今夜もお母さんも弦さんも遅くなるのでご飯はいりません!連絡遅くなってごめんね><』
『はーい。今夜も帰るのは厳しそう?無理しないでね。』
以前から仕事は忙しそうだったが、最近は件の大型案件のせいで特に激務のようだった。二人ともすごく張り切っていたけれど、そろそろ帰ってきてゆっくりしてほしいなと思う。零音ちゃんはと言うと、いつも部活で忙しそうで、帰ってくるのは20時を過ぎることが多い。
「こんなに二人で食べきれるかな…。」
明日のお弁当入れるミニハンバーグの分を取っても、やはり二人で食べるには少し多い。
実際のところ、この家に引っ越してきてから家族全員そろって食事をしたことは、片手で数えられるほどしかなかった。たまたまタイミングが悪いということは分かっている。だけれど少し寂しい。
「…零音ちゃんお腹減らしてるよね。もうすぐ帰ってくるだろうし早く作っちゃおう。」
私は緩んだ袖を再びまくると、大きなボウルに入ったタネの形成を始めた。
【律明大付属中学】【柔道場】
19時02分。19時と同時に鳴ったチャイムを合図に、今日の練習は終わった。春休みから今日まで基本的に毎日一日中練習だった。だけど明日からは授業も始まるため、ここまで長い練習は週末のみになる。
掃除をしながら周りを眺めてみる。みんな既に満身創痍と言った表情であった。軽く掃除が終わると、女子柔道部顧問の武本先生の前に集合となった。
「みんな練習ご苦労。春休みから今日まで普段より長い練習で疲れただろう。だがこれまでの努力もすべては全国大会に向けてのものだということを忘れてはいけない。」
「はい。」と全員が声を合わせる。
「まずは夏の全国大会予選の前哨戦にあたる春の新人戦に向けて各自調整を始めるように。」
新人戦。その名の通り中学に入り部活動を始めた人が、最初に出場する大会。とは言え私たち二年生や主将たち三年生も出場する。地区の交流戦と言うイメージが近い。
「大和、君からも何か言うことはあるかな?」
「はい。新人戦は5月のGW明けです。中間テストの後なので各自試合だけではなくテストにもしっかり備えるように。」
「はい。」と全員が声を合わせる。その直後、思い出したかのように顔が青ざめる人が何人かいた。香川さんもその一人であった。
「あと二年生と三年生は明日確認テストもあるので気を抜かないように。」
主将は私を見ながら話を終えた。
(気を抜かないように…。)
きっと私に対して言っているのだろう。思い当たる節の多い私は思わず目を背けてしまった。
「ではこれで今日の練習を終わります。」
主将は何事もなかったかのように話を締める。その後武本先生、そして各々お互いに礼をした後長い長い部活が終わるのであった。
【更衣室】
「なんでうちの学校にはシャワーないんすかねぇ。」
「欲しいよねー。マジ汗臭いしべとべとだし。」
倉敷先輩と香川さんが、話しながら汗拭きシートで体を拭いていた。律明大付属は歴史ある学校だ。その為とても校舎が古い。シャワーどころかエアコンもない。流石に自販機くらいならあるけれど。
「下校時間すぎてるんだ。皆早く着替えろ。」
主将の注意を受けみんな急ぐ。私も急いで着替えて更衣室を出た。
【電車】
19時33分。学校を出た後最寄りの駅に向かい、運よくいつもより早い電車に乗れた私は、出入り口付近に立ち車窓を流れる景色を眺めてた。すっかり黒に染まったキャンバスにぽつんぽつんと明かりが滲む。きっとそれぞれが食卓を囲みながら一日を終えているのだろう。
ぐぅ~。
お腹が鳴った。たぶん食卓と言う言葉に反応したのだろう。我ながら現金なお腹である。スマホを確認すると時刻は19時36分であった。駅に着くまであと10分足らずと言ったところか。今頃彩音さんは晩御飯の準備をしてくれているのかな。
「西園寺彩音さん…。」
私は小さく呟いた。私の義姉となった人。いつも掃除に洗濯、三食の食事にお弁当まで準備してくれる。私と1歳しか違わないのにとてもしっかりしている。まるで…。
ドクンッ。
胸が高鳴る。危うく自分で自分の地雷を踏むところだった。ゆっくり深呼吸をし、鼓動の高鳴りを抑える。幾分か落ち着いたところで、電車はゆっくりと停車した。どうやら駅に着いたようだ。まだ落ち着きを取り戻さない胸を抑えつつ私は降車した。
駅から家まではゆっくり歩いて10分程度。とても近いはずのこの距離が、今はとても長く感じられた。足が重い。この足の重さは、連日の長時間の部活動による疲労だけではなく、先ほどの事も関係しているのだろう。
私はいつもよりゆっくり歩きながら、落ち着かない鼓動を紛らわせようと、部活の事を考える。でも気が付けば、彩音さんの事を考えていた。ほかの事を考えようとしても、どうしてもすぐに彩音さんの事を思い浮かべてしまう。いや、正確に言えば、彩音さんに重ねてある人を思い起こそうとしていた。
彩音さんと初めて会ったのは、去年の春の終わりだったと記憶している。珍しくお父さんと休日に出かけた日、奏さんと彩音さんを紹介された。私が西園寺家の二人に感じた第一印象は、可愛らしい人達という月並みの物だった。自分とは対極の存在。いや、お父さんともあまり似合わない気がする。それくらい私達と西園寺家は縁もゆかりもないように思えた。
それから何度か会ううちに、少しずつだが彩音さんと話すことが出来るようになった。極度の人見知りでしゃべることが得意ではない私の話を、ニコニコと楽しそうに最後まで聞いてくれるので、話しやすかったのだと思う。正直最初は少し苦手意識を持っていたが、次第にその感情は薄れていった。
しかし早春のある日、お父さんと奏さんは入籍した。そして先日、新居へと引っ越しをした。つまりは今私が帰っている家なのだけど。いざ同じ家に住まうとなると話は一変する。私と彩音さんの間に常に横たわる気まずさは、一向に薄れる気配はなかった。
たまに会うのと一緒に生活するのでは、当然のことながら顔を合わせる頻度は全く違う。彩音さんが何とか仲良くなろうと、歩み寄ってくれているのは痛いほど感じていた。しかし、情けの無いことに私は、後退りして距離を取ってしまう。
彩音さんは家事だけではなく、お弁当まで作ってくれる。いつも私を気遣い、常に笑顔で接してくれる。料理もおいしい。洗濯物だっていつも皺一つなくお風呂も常にピカピカであった。嫌いになる要素なんて一つもない。
だが、私の中で彩音さんの存在が大きくなればなるほど、彩音さんにある人を重ねてしまう。彩音さんの笑顔を見るたびに、思い出してしまう。そのたびに私の胸は高鳴り、脈打ち、裂けてしまいそうになるのだ。
罪悪感とも嫌悪感ともとれる心境のまま、気が付けば家に着いていた。私は大きく深呼吸をして門戸を開いた。
【国東家】
19時58分。玄関が開く音がした。ソースを煮詰めている鍋の火を止め私は廊下に出た。
「あ、おかえり零音ちゃん!」
「た、ただいま…です…。」
「晩御飯もうすぐ出来るから先にお風呂入っておいで。」
私が言うと零音ちゃんは頷く。柔道着などが入った手提げ袋とお弁当箱を預かると、零音ちゃんは二階へ上がっていった。
メインディッシュのソースはほぼ完成したので、あとはオーブンで焼いているハンバーグが出来るのを待つだけであった。その間にほかの準備を済ませる。
常備菜のきんぴらごぼうと小松菜のお浸しを冷蔵庫から取り出し、朝漬けておいた茄子と胡瓜の浅漬け、おみそ汁に入れるネギも一緒に切る。ジャガイモが安かったので、ついつい買いすぎた結果、山盛りとなったベーコンのポテトサラダをボウルから半分ほど皿に盛りつけて、残りは常備菜としてタッパーで保存した。
大方の準備が整ったところで、洗い物に切り替える。こういう少しの空き時間に洗い物をすることで、全体的な料理時間を減らせる。というのは楓さんの受け売りだったりする。
先ほど受け取った零音ちゃんのお弁当を確認する。
「よし、全部食べてる。」
私は小さなガッツポーズをした。今日のお弁当には、少なくとも食べられないほど嫌いなものは入っていないようだった。今までで零音ちゃんについて分かっていることは正直少ない。ただ食事に関しては、零音ちゃんの態度でわかることが多少はあった。
ご飯を食べている時、零音ちゃんの目はとてもキラキラしている。好きなものが食卓にあると分かりやすく凝視する。逆に苦手なもの、例えばオクラや納豆などの粘々したもの等が食卓にあったら、一番最初に一気に飲み込む。こんな風に食事を通して少しずつだけど、零音ちゃんの好き嫌いが分かってきた。
聞けば済む話かもしれない。だけど納豆やオクラなどを食べた時の態度を見れば、恐らく好き嫌いをしてはいけないという風に育ったのだろう。なので「何でも食べます。」そう言われるのは容易に想像できた。
好き嫌いせず食べるのは良いことだと思う。だけどやっぱり食事は楽しく、美味しく取ってもらいたい。その分栄養が偏らないように他のもので補えばいいと私は思う。これは意外と好き嫌いの多い母を持つ私が辿り着いた私なりの考えだった。
今日のお弁当には、零音ちゃんが苦手かもしれないリストに載っている梅干しをおにぎりに入れてみたのだけど、残ってないのを見ると食べられないほど苦手なものではないようだ。
(ひょっとしたら友達に食べてもらっただけかもしれないので、一度梅を使った料理を出して反応を見てみよう。)
なんだか少し楽しくなり自分の世界に入り始めていた私は、オーブンのタイマーの音で我に返ったのだった。
嫌いじゃないけど近付き難い。
そういう人っていません?
嫌いじゃないというか、むしろ好きなんだけど自分とは違う人種と言うか、眩しい人って近付き難くないです?
零音ちゃんが彩音ちゃんに感じているのは果たして罪悪感なのか嫌悪感なのか。
上手く表現しきれる自信は欠片もないですが善処します。
次回は久しぶりの国東姉妹揃っての場面です。
よろしくお願いします。