ウツメ 弐
八雲の物々しい邸宅から、房総の伏の古びた屋敷に帰ると、既に空は橙色に暮れていた。
「疲れたねえ~」
伏が体を伸ばしながら、語尾も間延びさせる。着物だから、余計に体も固まるのだろう。普段は浴衣をゆるゆると着流しているだけだが、会議であれば形だけでも整えておこうと考えたのかめずらしくきっちり帯を締めた着付のなりでいた。
「気にはならない?」
「なにがかい?」
「例のクスリの話だよ」
伏は玄関で下駄を転がすように脱ぐ。それを俺が拾い上げて揃える。
「まあ、一応誰かを走らせて確認はするけど」
上がったあと、大儀そうに足を擦るように運びながら着衣を一枚、また一枚と脱ぎ、落としていく。それを俺が仕方なく拾っていく。
「氷雨はさあ、山に逃げた奴追わせているし、ライは観察に置きたい……」
帯を廊下に真一文字にするすると落とし、足袋を壁に投げつけ、髪紐をほどき、
「ジュウヤは……うーん、しばらく宛てにならないなー」
最後は肌襦袢のみとなる。
「じゃあ結局は……」
ふと止まったと思えば、くるりとこちらを向き、にやりと伏が笑う。
「はい、ここまで」
落ちてる着物にばかり気をとられていたが、いつの間にか屋敷の奥の方である浴室の入り口まで来ていたらしい。
何も身に付けていない状態で、恥じらいを少しも感じさせない様は馴れたとはいえ、こちらがどうにもやりにくい。そう考えているうちにも残りの着衣を脱ぎ、既に山盛りになっている俺の手元に押し付ける。
「あのさあ……」
「?」
一糸まとわぬ姿を俺の目にさらしても、全く動揺を見せない。悔しいと思うべきか。それとも信頼されていると思っていいのだろうか……?
「なんだい。同じ男の身体だろう?」
「まあ……」
ほとんど、と言いたいのを飲み込む。いや、あれは口外してはならぬという約束を伏とした上で主従となったのだ……。しかし、何度見ても不思議なものだ、何せ伏の身体は…
「分かっていると思うけど、着物のクリーニングやっといてね」
―――いかんいかん。あれの言外不出は主からの命令でもあるんだ。
「それと……例の件はさ、ウツメ、まあ君が"ちょっと"見てきてよ」
軽い口調での面倒ごとを押し付けられるのも、慣れたもんだ。
■■■
「あーっ!ウツメ、おそいわよ!!!」
伏の着物を洗濯に出し、俺自身も軽装に着替えてから食堂へ向かうと、突然ハザマに怒鳴られた。探していたのでちょうどよかった。
和洋折衷の伏屋敷は、食堂は洋式を採用していた。ちょっとこじゃれたホテルとも見れる調度で揃えられ、綺麗好きのジュウヤさんが伏屋敷に来るたびに隅々まで掃除していくため、ほこりが目立つことはあまりないために生活感が薄い。四年年住んでも入る度に自然と背筋が伸びる。まあ、伏の叡智コレクション(前にその名称で言ったら「その呼び方を今度言ったらご飯抜きだよ」と言われた)で埋め尽くされている部屋と比べれば大抵の部屋は綺麗に見えるのだけれども。
ピカピカに磨かれた木のテーブルの上に似つかわしくない安っぽい菓子パンの空き袋が数個と、ほとんど無くなっているコーンスープを目の前に並べ、サイズの合っていない椅子に白いワンピースの少女が座っていた。踵で椅子の足を勢いよく三発蹴る音が鈍く聞こえる。
「きょうは、早くかえってこれるって言ってたのに!!」
相当ご立腹な様子だが、掠れた声を無理矢理絞っているのであまり迫力はない。
包帯に覆われた手に握られた匙をぐるぐると威嚇のように回すのも、子供じみていてむしろ微笑ましい。
「うわっ、汁飛ばすなよ……」
ハザマは顔も、(おそらく全身も)包帯で覆われていて、顎下の包帯をコーンスープで黄色に染めていた。
乾燥気味で癖っ毛の白髪が少し動く度に、フケがパラパラと落ちる。
「なんでおそかったの?」
「んー……ちょっと用事が予想外に伸びてしまってね」
「ふぅん」
ズズウと、わざとらしく大きな音を立ててスープの残りを飲み込みながらハザマが目を細める。
伏も割りとお行儀悪いところがあるが、あれは横着からくるもので、こっちは子供なりの精一杯の主張のようなものだろう。
バン、と椅子を蹴るだけでは飽き足らず、机をこぶしで大きく打ち付ける。御託はどうでもいいらしい。とにかく僕らの帰りが遅かったことを咎めたいのだろう。
「はい、これ」
そんなことだろうと思って、買ってきた賄賂をハザマに見せる。
「あっ!」
包帯の隙間から僅かに覗く緑色の目─左目の充血が酷い─を見開き嬉しそうな声をあげて、こちらに手を伸ばすのを見越してブツを遠ざける。
「なんでよ!」
「許してくれる?」
「……とく別にねッ!!」
俺が差し出す前に、待ちきれずつま先立ちでひったくってくる。
得意そうに鼻を鳴らして、茶色く欠けた爪で賄賂を包んでいる赤色のポップな紙をバリバリと品の欠片もなく破っていく。包装紙を再利用しようとするなどの風流さなど彼女は持ち合わせてない。
「ふふん、まあいいじゃない」
悪ガキの手には、ちょっぴりお高いクッキーの詰まった缶が乗っかっていた。
皿にあけるという手間を省略して掌に一杯のクッキーを掴み、ゴリゴリと品の欠片もない音を立てて、咀嚼する。
スープの染みた包帯の上に菓子の粉がぱらぱらと貼りついていく。
「あ、あとこれはおまけって伏から」
そういえば伏のもあったことを思い出し、それを目の前に置く。
「‼」
先程クッキーの包みを見た時以上の輝きがハザマの瞳に現れた。
それは“8”の字型のパッケージに、楕円体の色鮮やかな小粒チョコレートが一つ一つが張り付くように個別に包まれており、錠剤シートのように押し出すことで菓子を取り出すことのできるようなものだった。
ハザマはクッキーを端に押しやって、8を手に取りそれを横向き変えて、俺に示すように――そう、ちょうど眼鏡みたいにして――微笑んだ。
「ねっ、これ、私にぴったりな気がしない?伏もなかなかやるわね!」
子供は味に趣向を凝らした高級品よりも、見た目が奇抜で味もそこそこな駄菓子のがより魅力的に感じられるのだろう。ふぅむ…。
クッキー、高かったんだけどなあ…。
■■■
《13位と7位の帰宅より約2時間前・八雲邸13位専用待機ルームの記録》
扉の開く音。
音声認識・序列第1位(以下、1位)「ウツメ……伏もいたのか。ちょうどいい」
音声認識・序列第7位(以下、7位)「やあ。お疲れ様」
1位「7位のルームに居なかったから手間取った。なるべく自分のルームにいるようにしろ」
音声認識・序列第13位(以下、13位)「ははは、伏、放置している買い物で待機室が狭くなってるから、わざわざこちらにきてんだって、いててて」
7位「別にいいじゃないかい。自分の家のようにくつろいでくれて構わないっていったのは八雲なんだよ」
1位「…メイドが掃除に困っているとは聞いている」
13位「ほら」
7位「ええ…」
1位「まあいい。それよりも先程の」
13位「新世界?」
7位「リン達とちょっと情報交換してみたけど、知ってることは大差なかったなあ。まあつまり流通するようになったのは最近ってことでもあるんだろうけど」
1位「その通りだろうな」
13位「むしろオオサカとか調べたら?」
※音声の乱れ、傍受の可能性有り
7位「え…」
1位「ハア………冗談を言うような話題ではない。単刀直入に言おう、主犯格はシエオでほぼ確定している」
13位「ふうん」
7位「まあほぼ二択だとは思っていたけどさあ」
1位「また、混乱を避けるために言ってなかったが異能力者に、より負担を強いる傾向がある。リリスが異常に苦しんだのはそのためだろう」
13位「毒キノコをおかずにする人が言ってるなら説得力があるなあ」
7位「普通のクスリならわざわざ言う必要ないもんねえ。大したことなかったらこちらで潰すから」
1位「あと、能力の暴走によって死んだとされる成り損ないの死体を今月に入って21人程回収している」
7位「もしかしてそいつら」
1位「奴らの持ち物や部屋からは新世界の袋や粉末があった」
13位「少し前の成り損ない達の身辺ももう一回確認したほうがいいかも知れ」
※音声の乱れ
1位「頼んだ」
7位「もちろんさ」
13位「あのさ…もしかして……[録音不調]も…」
7位(咳払い)
1位「……その可能性も考えておけ」
《記録終了》
お久しぶりです、お待たせいたしました!
今回はウツメ近辺のキャラクターの情報をつらつらと。
次話はイノリ視点か?リン視点か?
お楽しみに!!