なろう劇場 幼馴染絶縁編
「いい加減にしろ! お前となんか絶交だ! 二度と話しかけんなよ!」
幼馴染の梨見佐奈の暴言に耐えかねた俺は、そう絶縁の言葉を投げかけた。
認めるのは悔しいが、佐奈は美少女だ。だから両親にも友達からも愛されていた。異性からはそれはもうモテる。
だからか、この世が自分を中心に回っていると信じているような我儘娘だった。我儘を言っても両親なり友達なりが「仕方ないなぁ」なんて顔で何でも叶えてしまう。
それは性格も歪むだろう。
そしてその皺寄せは俺に来ていた。
俺に無理難題を押し付け、苦しむことに喜びを覚えるサディズムに目覚めてしまったのだ。
失敗すればこれ幸いと苛め抜き、無事に果たすならそれはそれでよし。
元より女王様って感じの性格だ。性癖もそうなってしまうものなのかもしれない。
初めは俺も抵抗したさ。
でもあいつは自分が愛されていることを自覚していて、それを利用して周りを巻き込み、言うことを聞かない俺を悪役に仕立て上げた。あいつの両親どころか、俺の両親まで俺を悪し様に叱りつけたのは絶望したよ。
幼馴染というのは、その名の通り幼い頃から馴染みのある友人の意だ。
幼い頃というと、その交友関係を決めるのは親だ。例えば自分がどこに住んでいるか、子供が決めることは出来ない。親が決めた住所に住むのは当然だ。だから近所の付き合いなんかも、子供ではなく親が決める。佐奈との付き合いも俺が望んだことではなく、親同士の付き合いの結果だ。
「幼馴染なんだから」
「友達だから」
「ご近所さんだから」
そんな理由で俺は佐奈に付き合わなければいけない。俺がどんなに嫌がっても。会いたくなくても親が無理矢理に引き合わせる。
そうして嫌々相手をしていたが、とうとう我慢の限界に達した俺は絶縁を宣言したのだった。
――それが八歳の時の話。
当然だ。たとえ近所の付き合いで幼年期からの幼馴染になっても、小学校に行けばまた別の友達ができる。学校には親の影響も少ない。わざわざ嫌いな幼馴染の相手をせずとも、自分で友達を作れるようになる。嫌いな幼馴染なんてさっさと見限って、新しい友達を作ればいい。
小説やゲームなんかでは幼馴染といえば高校生になっても一緒にいるイメージがあるが、そんなファンタジーなイメージに従って、高校生になるまで性格の悪い幼馴染の相手を続けなくてもいいはずだ。幼い頃に馴染みがあれば、それ以降の縁がなくても幼馴染は幼馴染である。
あれから五十年。俺は平々凡々なおっさんになり、仕事の関係で知り合った地味ながら穏やかな女性と結婚して、もう息子も娘も成長して就職し、定年間近で老後の予定を立てている。
佐奈はあれからも性格が治らず、学生時代はサークルクラッシャーとして名を馳せ、大卒後は男に貢がせて自由に生きていたそうだ。しかし三十過ぎて美貌が衰え始めると体を売るようになった挙句質の悪い男に引っかかり、ヤクザ関係のトラブルに巻き込まれて波乱の人生を歩んでいるとの噂だ。
そう、噂だ。あれから一度も会っていないので人伝に聞いただけ。たまにすれ違ったこともあるが、ただすれ違うだけで挨拶も会釈もない関係だったのでノーカンということで。
学生の頃はまだ実家にいたから親同士の情報からその様子を聞いていたが、今ではお互いの両親も亡くなったし、同窓会でちらほら話が聞こえるくらいだ。なので細かいことは知らない。最近は顔も思い出せない。もう赤の他人過ぎて、トラブルに巻き込まれたと聞いてもざまぁとも思わない。わざわざ助けてやろうとも思わないが。
そんな幼馴染のことはもうどうでもいい。それより妻への銀婚式のプレゼントをどうするか考えなくては。
親に決められた幼馴染と違い、自分で選んだ女性だ。長年連れ添っても厭わず大切にしているつもりだし、おかげ様でいい歳してラブラブなのだ。
まあ反面教師としては優秀だった幼馴染には、その一点だけは感謝してもいいかもな。