神崎紗良の日常
水が迫ってくる。
私は崖の上に居て、それなのにもう頭の先から足の先まで水の中。
不思議と呼吸は出来た。
魚が泳いでいる。
ここが海だと気がついた。
それに気づくと共に、これが自分の夢であることにも気づく。
と、視界の端に黒い影━━誰かの後ろ姿が見えた。よく見ようと目を細めた瞬間、景色がそれを拒むように黒い影を、波と化した景色が飲み込んでしまった。
手を伸ばしても届かない。全てが手から抜け落ちていく。
私一人になった海の中はただ波の音がするだけだった。
━━ザザーン……ザザーン……
━━ピピピピッピピピピッ……
━━カチッ
「……んーっ」
全身に朝日を浴びて伸びをするところから、神崎紗良の一日は始まる。
まず起きて、歯を磨く。それから着替えて朝食を食べる。
今日の朝食のメニューはご飯に味噌汁に焼き魚。
そしてまた歯を磨いて、顔も洗う。その後は育てているサボテンに水やりをして、少しの間観察する。
それら全てが終わればソファーに座り
「今日は何をしようかな……」
と、一言。
ここまでが紗良の日課だ。そして何をするか決め、それを只々行っていく。そんな毎日だ。
紗良以外の人々もそうだろう。
この義務がない世界では。
義務がないのだから、もちろん学校も会社も税金ですら存在しない。というかお金も存在しない。じゃあどうやって物を得ている? そう疑問に思うだろう。答えはとても簡単だ。
ただ願うだけだ。
願えば何でも手に入る。しかし、願って良いのは自分よりも価値の低い物だけだ。人は基本的に一番価値が高いとされているから、大体のものは貰える。
ただ、暗黙のルールとして「人の不幸」は願ってはいけないとされている。
願った者は……どうなるのかは誰も知らない。何故なら皆が皆、暗黙のルールを素直に守っているからだ。だから誰もどうなるのかは知らない。
そして価値はその「物」が誕生する直前に神によって定められる。
神が決めたことは誰も変えることはできない。
と言うわけでまぁ、紗良は15歳にも関わらず学生などはしないで毎日をのんびりと過ごしている。
「うーん……何をしよう……」
紗良は独り暮らしだ。だから家にいても特にすることはない。
「じゃあ、探検にでも行きますか」
考えがまとまったのか、紗良はさっさと準備を終えると、行ってきますと一言、言い残して家を出た。
外では蝉が元気よく鳴いている。なのに辺り一面は雪景色。
相変わらずよく分からない天気というか季節というか……。気温はちょうど良いんだけどねぇ。雪だとちょっと歩きづらいな……。まぁ、いいか。
向かって右には山。左には海。前には住宅地が広がっている。住宅地といっても、ぽつん、ぽつんと数軒建っているだけだ。奥には誰も住んでいない廃墟が連なっている。
「誰かいないかなぁ」
この世界の住民は殆どの人間が外に出ない。家で何をしているのかは知らないが、仮に外に出たとしても、そこでは誰にも出会うことはないだろう。
それを分かっていながらも紗良は前に歩を進めた。数少ない家々の前を通り過ぎて行くがもちろん誰ともすれ違うことはない。
廃墟の群れに差し掛かったとき、奥の建物の間に消えていく人影を紗良は見た。すぐに追いかけたが、なかなか追い付かない。
見失えばまた現れる。人影はどんどん奥へ行ってしまって、まるで誘い込まれるように紗良は廃墟の群れの奥へと進んで行った。