77.生存
「いえ、何でもありません」
「そう」
姉様は満足げに微笑んで前を向きました。
話ながら進んでいたせいで、何時の間にかペースが小走り程度にまで落ちてしまいました。
周囲を窺いながら進むには丁度良い速さですが。
「そろそろ門です。速度を上げて駆け抜けますよ」
瓦礫の山に挟まれている出入り口を駆け抜けます。
『歩行』スキルを取っているため、多少足場が悪いくらい、全く気になりません。
「っと」
「大丈夫ですか、姉様?」
「うん、ちょっと躓いただけ。カッドは転ばないね」
「私は『歩行』スキルを取っていますからね」
「何それ、面白い。私も取ってみようかな」
「ええ。良いと思いますよ」
姉様の知らないスキルを獲得していたことで、少し優越感を感じました。
姉様に優越感を感じることなんて滅多にないので、私はその感情に戸惑いました。
姉様に敵うところなんて殆どないのに、それでも少し姉様を優越しただけで幸せになる。私はとても単純な人間ですね。
……嫌になるほど。
「はぁ」
「どうしたの?溜め息吐くと幸せが逃げちゃうよ?」
「そうですね。溜め息を吐いても何も変わりませんし」
溜め息を吐くなんて、所詮は落ち込んでいることをアピールするだけ。
もし慰められても、状況は何も変わりません。
変わろうと努力しなければ。
「グ!」
そのとき、ゴブリンの方が短く、鋭く警戒を促しました。
私がゴブリンの方を向くと、彼はその後ろを見ていて、その先には一人の魔術師が今にも魔術を放とうとしていました。
「《複魔力防壁》、《三重》!」
それが視界に入ると同時に、障壁を三重にして私たちの前に展開します。
魔術師が《炎の槍》を放出すると、それは一枚目の障壁を破り、二枚目の障壁にヒビを造り、途中で止まりました。
「カッド、ありがと。《水泡・弾》、《氷結》!」
姉様が放った球状の水は魔術師のローブに砕け散り、その先から凍っていきました。
すぐに魔術師は氷像になり、凍死か窒息死か、死に方を神に任せるのみとなりました。
脳裏に姉様の言葉が蘇ります。
『死ぬのは一人で終わることじゃないんだよ』
市販されているものと同じ効能のMP回復ポーションを飲み干します。
一応自作です。
「《炎の絨毯》」
私の放った魔術が凍った魔術師を解凍し、彼を焼き始めたところで魔力の供給をやめました。
「若さま?」
「態々殺す必要はないと思いますよ」
騎士コッケルの咎めるような視線を受け止め、返します。これが、私なりの答えです。
「グ!」
ゴブリンの方が再び声を出した時、私の体は自然に動いていました。
視界に入ったゴブリンの方は私が動いたことに驚いていました。私が気が付いていないと思ったのでしょう。
騎士コッケルは私が急に動いたことですぐに敵の存在に気が付き、腰の剣を引き抜いて投擲しました。彼の圧倒的な膂力で放たれた長剣は私の視界の端をゆっくりと飛んで行きました。
私が飛んで行った先にいた姉様は、私の思惑をすぐに悟ってもすぐに体が動かず、その端整な顔を酷く歪めていました。
もう一人いた魔術師が姉様に向けて放った《炎の槍》は、私の視界の中で何よりも速く動いていました。
あの槍よりも速く、姉様を守らなければ。
地を足で蹴った時、私頭の中にかつて母様に見せて貰った回り灯籠のようにいくつかのことが思い出されました。
母様の笑顔、母様と姉様が仲良く話している様子、幼い姉様の涙、いつの頃か見なくなったアレクセイの笑顔、まだ若い父様の笑顔、まだ皺の見えない奥方の思わず綻んだ口元。
最後に見えたのは、アレクセイと共に遊んでいる、まだ幼い自分の姿でした。
姉様の体に手が触れた時、頭の映像が掻き消えました。
そうでした。
まだ幼い頃は、私も、アレクセイも、姉様も、皆仲が良かった。
父様も、奥方も、母様も、誰も争いなんて起こしていなかった。
母様が消えてから、何かがおかしくなりました。
家族が壊れました。
私は家族の一人を手に掛けようとしていました。
それがなんと罪深いことだったのか、私は漸く思い出しました。
これは、罪の清算です。
姉様を守り、私の罪も少しは清められる。
ならば、良いのです。
「かっどぉ!?」
「姉様」
姉様を押し飛ばし、時間が戻った世界で炎に体を貫かれながら、苦痛に歪みそうになる顔を笑顔に換えます。
どうせ最期なら、姉様の前では笑顔でいたいですから。
姉様のためになら、私はどうなっても構いません。
ただ、一言、感謝の言葉を伝えたい。
「ありがとう」
私の小さな声は途中で掻き消え、ただ、ひゅう、と口から息が漏れました。




