007:ウィットフィールド
自警団にとって弾薬というのは常に頭を悩ませる不安の種だ。
今の所蓄えは豊富にあるが、海からの襲撃者――魚人もどきや翼の生えたクリーチャー達に目を光らせる必要があるドーバーの自警団は、常に弾を節約するよう心がけている。
そのため、全員が良く使う武器は銃火器ではない。ライオットシールドや警棒、槍等が多かったりする。
「ちくしょう微妙に冷えるな。さっさと巡回済ませて、また火に当たりてぇよ……」
アルミ製の軽めのドラム缶を縦に割り、上の方に覗き穴を付けたり鉄棘を付け足したお手製ライオットシールドを両手で持ち、腰に有刺鉄線を巻き付けた鉄パイプをぶら下げた自警団の二人が軽口を叩き合いながら防壁の内側を見回っている。
一応それぞれヘッドライト――なければヘルメットに小さめの懐中電灯をガムテープで固定して光源を保っているが、その灯りは弱弱しい。
余りに強い灯りだと、クリーチャーを刺激し、呼び寄せるかもしれないからだ。
いや、それ以前に携帯できる強い光源は、地味に貴重だったりする。
「だな。……ついでにキョウスケ、なにか美味いもん持ってきてねぇかな」
「こっちに到着してからアイツが配ってたカボチャのパン、美味かったなぁ。あれどこのシェルターの支給だ? 羨ましいぜ」
「あれはキョウスケが自前の小麦粉とかで自分で焼いたんだとよ。カボチャはソールズベリーの支給品らしい」
「マジかよ。さすがジャパニーズ、手先が器用だな。あとソールズベリーが羨ましいぜ。甘いモンなんてこっちにゃほとんどない」
支給品として食べ飽きた豆の料理や固いパン、痩せたドライフルーツ。
どうしても食べるモノがワンパターンになる地下生活において、キョウスケのような行商人が持ちこんでくれる他のシェルターの支給品はひそやかな楽しみなのだ。
乾燥麺やトマト、カボチャのスープ缶、鶏肉のジャーキーに乾燥させていないオレンジやレモンなどなど。
特に、自分達自警団や外回りのエンジニアを相手に交換に応じてくれるキョウスケは度々色んな食物を持ち込んだり、たまに彼自身が料理をしてくれる事もある。自分達の配給でも出来そうな料理ならレシピも添えて。
「あいつ、ウチの糧食班になってくれねぇかな」
「無理無理、ヒルデの時を見ろよ。余所者には絶対食糧なんて触らせてくれねぇよ。中に入るのももちろんな」
「ヒルデ、かぁ……」
ヒルデとヴィルマの親子は良くやってくれている。
向こう側から見てどうなのかは知らないが、劣悪な環境であるのは間違いない外周部での作業に従事し、元糧食班だった事もあって限られた支給品からそれなりに美味い食事を作ってくれる。
慣れないエンジニアとしての仕事にも必死に食らいつき、必死にこの環境下で生きようとしている。善良な人間である事も、外側で生きるのに必要なハングリーな精神を持っている事も疑いようがない。
だからこそ、彼は申し訳なかった。
「もう普通に起きて、普通に生きているんだ。オーガやゴブリンにはならねぇってのは分かっちゃいるんだ。いるんだが――」
先ほど休憩に入った時にあの親子がキョウスケ、そして同じ自警団のジェドの三人と話しているのが見えた。
その時のヒルデ達親子の、普段よりも少し柔らかくなった表情が、自警団員には忘れられなかった。
自分達が彼女を避けてしまっているのを自覚しているからだ。
「仕方ねぇよ。ただの熱ですら『もしや……』って声が出るような環境だ……」
「あぁ、だが――」
外周部は最前線だ。常に命の危険に晒されている。だからこそ、共に仕事をこなす人間は家族だ。
自警団員、エンジニア、それこそただの雑用や事務でさえ、外周部に住む者は家族だ。
少なくとも、この男はそうであろうとしてきた。
だから、あの親子が気になってしょうがないのだ。
「―-?」
これからはキチンと気にかけてやろう。そう言おうとした男の耳に、微かな音が耳に入る。
金属と金属が擦れ合うような、そんな音だ。
もう一人には聞こえなかったが、男の様子から異変を読みとる。
二人の気配が、変わる。
一応持ってきていた拳銃のセーフティを外し、重いドラム缶のシールドを地面に突き立て、腰の有刺鉄線付きの鉄パイプを構える。拳銃はいざという時にだ。
――き……きぃ…………っ
「……何の音ですかね?」
「しっ」
今度はもう一人にもはっきり聞こえた。
思わず出た疑問の声を、男は制する。
そのまましばらく待つが、今度は音が聞こえない。
男は仲間に顎で次の行動を示す。辺りの防壁の確認だ。もし破られているのならば即座になんらかの方法で塞ぐ必要がある。同時に、内部に入り込んだかもしれないクリーチャーの捜索も。
「……気をつけろよ」
「ここで油断する奴は第一陣には入ってねぇよ」
「お前以外な」
「手厳しい」
そうして二人は辺りを警戒しながら、ほぼ闇しか見えない先へと足を進める。
そして問題の個所はすぐに見つかった。
「こりゃ、防壁が微妙にズレてやがる……」
一日で全てを完璧にやるには足りなかったため、全ての個所を完全に溶接出来たわけではない。
元々あった鉄柵やエンジンの生きていたトラック、レンガブロック等を使って利用して割と頑丈に固めてはいるものの、不十分な個所があったのか。
「直せそうか?」
「あぁ、この程度ならな。……この程度のズレなら入り込める奴はいないか? まぁいい。おい、とりあえず手伝え」
「へいへい」
とりあえず防壁のズレを直そうと、同時に防壁を押し込もうと傍に寄って防壁を支えている重石に手をやった時、ふと気付く。何かが落ちている。
「これ、タレットのバッテリーじゃねぇか。どうしてこんな所に?」
ふとやや高めの高台を見上げると、落下防止の紐で繋がれたタレットのバッテリーカバーがぷらぷらと揺れていた。
「何をどうやったらこんな事になるんだ?」
「ズレた拍子にこの高台も押されて、その衝撃で……とか?」
「テープで何重にも巻き付けてたんだぞ?」
「……それもそうか、じゃあ――」
なんでだ? そう尋ねようとした男は口を開かなかった。
――重く響き渡る轟音と共に、何かに上から押しつぶされ……その口が無くなったから。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
異変を感じるのは簡単だった。
明らかに、地面が揺れたからだ。揺れる、という現象についてはかなり敏感である日本人だと言う事もあったが――そもそも、明らかに何かがひしゃげる音を聞いて警戒しない人間はいない。
「キョウスケ……」
「……タレットの起動音はしていないが……」
ジェドが、少し青ざめた顔で尋ねてくる。
ライフルを持つ手も僅かに震えており、額から垂れた冷や汗がフレームを濡らす。
異変を感じた俺とジェドは、先行偵察を買って出ていた。
今頃後方では自警団が外の警戒と、念のために内部に第二の防衛網を敷いてくれているだろう。
「ジェド、調子でも悪いのか?」
「え?」
「いや……お前らしくない」
ジェドとは、何度かドーバー自警団の作戦で行動を共にした。当然、共に危険な目には何度もあっている。
彼は自ら危険な所に飛び込む、あるいは志願する癖があった。なんだかんだで危険を背負い、仲間の盾になる、そういう男だ。
だからこそ仲間内から信頼されるし、俺もジェドの事は好きだ。
そのジェドが――いつもならば、精々少し引き攣った笑いを浮かべるくらいしか恐怖を周囲に示そうとしない男が、あからさまに緊張している。
「まさかと思うが、体調崩したのか? 今日はやけに落ちつきがなかったが……」
「いや、そういう訳じゃないが……」
やはりジェドの歯切れは悪い。なにか引っかかるモノがあるのか、上手く言葉に出来ないのか。両方か。
「……なぁ、キョウスケ」
「なんだ?」
「クリーチャーの襲撃、だよな?」
「……多分」
それにしては空気がざわめく音が一切しないが……。
普段のクリーチャー襲撃ならば、連中は大抵群れで来る。そのため、襲撃時は連中の唸り声や鳴き声ですごくざわつくのだが、今はそれを感じない。
ジェドもそれがひっかかっているのだろう。
いや、そうだ。ひっかかっている点ならば俺も一つある。
「タレットが起動した様子がないってのはどういうことだろうな」
「……あぁ」
ジェドが頷いて俺の疑問に賛同する。
「群れを刺激しないように、センサーが三つ以上同時に反応しなければ撃たないように設定しておいた。中型クラスが1、2匹とかのレベルだったらまず起動しない」
「でも、そんなレベルならさっきのような音はしないだろ」
「――キョウスケ、やっぱりお前戻れ。皆と一緒に防衛網を引いてくれないか?」
ジェドは、微かに声を振るわせてそう言う。
「なんでだ?」
「純粋な防衛に関してはお前が一番だからだ」
「俺が戻るとしても……お前は?」
「このまま先行する」
様子は変だが、言う事、取る行動はいつも通りだ。
キツくて、危険で、恐ろしい所に――ジェドという男は誰よりも先に向かおうとする。
「馬鹿野郎、一人で先行した所でどうしようもねぇだろうが」
もし、どちらかが撤退が難しい状況、あるいは死んだ時に、正確に事を伝える役が必要になる。
こういう場合は最低でもツーマンセル。普通なら3~5人で行くのがマニュアルだ。
自分とジェドだけで偵察に出たのは、今回はいつもと違って自警団の人数が非常に限られているからだ。
ウィットフィールド開拓部隊第一陣、エンジニアや糧食班12名に自警団31人。……ついでに商人1人の計44人。これが今ウィットフィールドにいる人数だ。
「……俺さ」
「ん?」
ジェドが口を開く。
「お前には……いや、お前だけじゃねぇけど……死んでほしくねぇんだ」
「…………」
やはり、僅かに声が震えている。
「俺だって死にたいわけじゃない。ただ――なんていうのかな」
少し言葉を探して、俺もジェドに言葉を返す。
以前どこかの誰かに同じような事を言った覚えがあるが
「今こうして銃持って歩きまわっているのも、俺が自分で考えて正しいと……必要だと思う事をしたいだけだ」
「分かってる、分かって――けど」
汗をぬぐったジェドは、いつになく真面目な様子だ。
「……お前の事、好きなんだよ」
「俺もお前が好きさ」
「デカい貸しもある」
「……あったっけ?」
「あるさ。とびっきりのな」
話している内に少しは楽になってきたのか、ジェドの声は少し落ちつきを取り戻した。
結局俺もジェドも足を止めず、問題の場所まで向かっている。
「だから、お前には正直あんまりこういう所に巻き込みたくなかったのさ。市長さんはお前を頼りにしているし、こういう仕事を任せたがるけどさ」
周辺にまだ異変は見られない。
だが、見回りに出ていた二人とは出くわさない。
「エレノアは不要な事はしない。俺が必要だと思ったから、今俺はここにいるんだろ」
「どうかね、俺にはお前さんへの依存に見えるがね」
「俺がここにいるのが気に入らないのか?」
「そういう意味ではな。危険事を他に押し付けるなってんだ……何のための自警団なんだか……」
……正直、非常によろしくない空気だ。最近妙に敵との遭遇が少なかったからか、自分の中の不安がどんどん膨れ上がっているのが分かる。
ひょっとしたら、ジェドも同じ事を感じているのかもしれない。あるいは、自分の動作や態度に出ていてそれを感じ取ったのか。
妙に口が回るジェドを見て、そんな事をふと思った。
(コイツ、勘もいいやつだからなぁ……。ひょっとしたら敵がヤバイって感じてんのか?)
現在の状況などから、敵の姿を考えていく。
(音からして多分デカブツ。ただし群れがいる気配はなし。……どうだ? アイツに当てはまるか?)
外見はケーシーのまま、名前は変わらないまま表示されている文字色が緑から赤になり、ただ『』で囲まれただけ。ただし、デカなったためにHPも防御力も攻撃範囲もやっかいになっていたクリーチャーを思い出し、吐き出しそうになったため息を飲み込む。
(ゲームのままだったら条件は絶対に満たしていない……と思うんだが)
基本的に特殊クリーチャーはそれぞれになんらかのポップ条件があり、オープンβという限られた時間の中でも有志の面々が様々な検証を行い、確定とまでいかなくてもwikiのコメント欄にポップした時の状況やドロップ品の報告を行ってくれていた。
その検証の中で唯一確定していたのは、ポップ地点に沸いている通常のケーシーを倒しまくる事だった。数は不明で、一度デカブツを倒した場合のリポップ時間もまちまち。
確かに事前にここら一体は自警団が『掃除』をしていたようだが、倒した敵のほとんどはアルミラージだったと聞いている。他には豚のクリーチャーなんかがいたらしいが、ケーシーの群れには出くわさなかったらしい。
(だけどドロップはほとんどゴミだったなぁ、あの巨大ケーシー……)
懐中電灯の明かりだけでは、どうしても視界に限界がある。
辺りを照らしてもそれらしき影は今の所見えない。問題の場所に、そろそろ到着する。
ジェドがライフルに取りつけた偵察用ライトで周辺を照らしているし、俺も同じように懐中電灯で辺りを調べるが……なにせ使い古しのために光量は心もとない。
俺の懐中電灯なんて点灯というかたまに点滅している。
「――? おい、キョウスケっ……!」
だが、ついにそれを発見した。
真っ暗な闇の中に、ジェドのライトがラグビーボール状に色彩を浮かび上がらせる。
コンクリートの黒に近い灰。僅かな雑草の、仄かに青く光る緑。それらを所々覆う土の茶色。
そして、強烈なまでに鮮やかな――紅。
肉片を、臓物を、その周りの地面を覆うように、紅い血液がかかっている。
そこを照らしてまま動かないジェドの変わりに、今度は俺が周辺を探る。
ついさっきまで点滅していたライトは、こういう時だけ普通に点灯している。
「……これは……」
その向こうにあったのは、同じ緋。しかし、それは僅かに青い光を放っている。
そのまま血液の大元を見つけようとライトを奥の方へとやる。
最初に目に入ったのは、純粋な紅色。
真っ赤に濡れた、どこかで見たような服、体格、腕、足――だが、その頭は判別出来なかった。
ちょうど上顎の所から上がぐちゃぐちゃになっている。
後ろでジェドがえずくのが聞こえる。
その更に奥――彼をそのような状態にした大元を照らす。
想像した通りだ。
とてつもなく巨大な体、だらしなく垂れている長い舌、クリーチャーの特徴である微かに青く輝く目。
ただし、一つだけ想像から外れていた。
何かって?
その巨体が、全身ズタボロになって、力なく横たわっていた事だ。
皆で設置し、念入りにチェックした防壁を押しつぶし、巨体そのもので恐らくもう一人を下敷きにして。
同時に、気配を感じる。いや、ひょっとしたら無意識にそれを無視していたのかもしれない。
気配に気付きたくなかった。見ない事にしていたかった。そうすれば、あるいは生き残れるかもしれなかった。
だが、好奇心も押さえきれない。落ちれば死ぬと分かっている高さで、下を覗き込みたくなるように。
ジェドと、俺が同時に『ソレ』を照らした。
僅かに艶を見せる黒っぽい肌。大きな牙とそれを伝う涎。そして――
「おい、俺も正直デカブツの覚悟はしていたぜ? けどよ……おい」
ちょっとした建物くらいの大きさは覚悟していた。
だが……
「誰が恐竜連れてこいっつったよ!!?」
子供の頃、買ってもらった図鑑に描かれていた大きく、そして強そうな肉食恐竜そのものが、空気が爆発したような咆哮を放った。