物を書こうと思った僕
旧都。特にこれと言って名所もなければ、それほど田舎でもない中途半端な地域に、僕は住んでいる。
この町の何の印象も受けない河川敷に、付き合ってる子、倉咲桜とたわいも無い会話をして下校をする。これも変わりの無い光景だ。
ただ、この川にはとある噂を聞いた事がある。
有名な小説作家が、この川に飛び降りた話で、と言っても二十年も三十年も前になるので、誰も覚えていない。何で僕が覚えてるかって、作家の妻は40代にもなるのに、凄く美人だったから。彼女がいる横で何を考えてるのか、と思われるかもしれないけど、男は結局そういう生き物である。
さり気なく会話の縫い目を見て、携帯をチェックする。が、彼女も縫い目を見ていた。
突然川に向かって走り出した。僕は一瞬で小説作家の事が脳裏に浮かび、桜の腕を握る。
「離して! 止める理由ないでしょ!」
「何でって。僕知ってるんだ! ここで小説作家が川に飛び込んだ話を!」
暴れてたかのような桜の動きが、時間が止まったかのように静止した。
夕日が落ちそうな空。二人川沿いの芝生の上に座って、僕は桜の話に耳を傾ける。
どうやら、家庭の環境が良くないらしく、父親から母親への暴行。それが桜自身にもその刃が向きそうで、相当なストレスがかかっていた。相談するにも踏み切れず、付き合ってる自分でさえ知らない事実であった。
とりあえず桜の事を考えて、今日は自分の家で泊まるのを提案。すぐに飲み込んでくれて、事情を説明したメールを自分の両親に送った。
僕達は自宅へと歩みを進めた。
かれこれ数ヶ月後の、日照りが肌を焼きつける季節となった。
桜の父親は罪を問われ逮捕され、母親と二人暮らしに。暮らしこそ貧しいが、穏やかな生活を送ってる、と聞いている。
今日は私用で遅れ、桜は先に下校。
太陽も完全に落ち、僕はあの河川敷を寂しく歩く。近くでは祭りの音が遠くから聞こえる。時折、花火の音も海のある方角から聞こえてくる。
ふと、ある人物の後ろ姿が目に入った。茶髪で、しっとりとした色合いの着物と高価そうなバッグを肩からぶらさげた、忘れるはずもないあの後ろ姿。
声を上げながら、小走りでその人の方へ向かう。
「こんばんは! えっと、半年ぶりぐらいですかね?」
「あらぼく。覚えてくれてたのね。名前聞いてなかったから『ぼく』としか言えないけど……」
照れ隠しに、僕は後頭部を掻く。
「いえ、名前など気にせずに! それより、この間の話役に立ちました!」
「え? そうなの」
自分の軽率な発言によって、早速重い空気になってしまう。反省しないと。
「気にしてないのよ? もう、25年前の話ですし」
明らかに強張った、作り笑顔であった。それほど、精神に来てるらしい。と、とある矛盾に気づく。それほどトラウマならば、なぜこの何も無い川でぼーっとしているのか。
考えるに、想ってるからこそ、辛い想いをしてでもここにいるのだろう。と自分は思う。
「えっと、貴方はお祭り行かないんですか? ここからそこそこ遠いですが」
「もう行ったわ。ここにいると、亡くなったあの人といる気がするの」
とりあえず頷く。否定も肯定も、出来る気がしない。
「……実は数ヶ月前、僕の彼女がここで自殺しようとしたんです」
相手は驚いた素振り、つまりは手で口元を抑える仕草をした。
「あの話が忘れられなくて、彼女は桜って言うんですけど、すぐに止めて、話を聞いて警察の人達も協力してくれて解決しました。でも、桜の暮らしは貧しくなって、良かったのかなって」
「私は、良かったと思うな! だって、この世から消えるって一番大変な事。止めて正解よ」
「ありがとうございます。そう、ですよね」
突然、頭につけていた四葉のクローバーの髪飾りを取って、僕の手に握らせた。まだ少し生暖かい。
「これ、彼女さんにあげて。きっと喜ぶ」
「いいんですか? 綺麗だし、お高いんじゃ」
「高いとかじゃないけど、昔私の母親から貰った物。大事だけど、これから末永く大事に出来そうな人に、持ってほしい」
返そうと何度も考えたが、それを聞いて桜にあげると決意した。
思いっきり頷いて、バッグの中のポケットに入れる。
この日から、僕は小説を書きだした。