記録の9 発音が出来ない
「さてと、イメスパを倒したなら長居は無用よ。帰りましょ」
イメスパを倒したことを知ったスイは踵を返して足早にこの場を去ろうとする
イメスパはというと仰向けになり気を失っている
意識のないその姿でさえ妖艶で、しかし子供のような純粋な寝顔は見る者全てを魅了すると言っても過言ではない
スラリと伸びた雪のように白い足がまた官能的である
「待て。この男達を連れて帰るのだろう?」
「あぁ、忘れてた。早くやっちゃいましょう」
囚われていた男は全部で5人。イメスパの強力な糸によって体の自由が奪われていたのだな
ならば話は簡単だ。全て切ってしまえばいい
「……あれ? 俺達はいったい何を……」
「目が覚めていきなりで悪いが直ちにここを去るぞ。付いてこい」
「……君は誰だ?」
「質問は後にしてくれ。とにかく今は急ぐんだ」
モタモタしている内にイメスパに目を覚まされてはたまったもんじゃない
男達を連れてイメスパの元から去ろうとした時だった
「あぁ……お待ちになってぇ?」
どうやら遅かったようだ。悪しき心を取り除いたスイは純粋な瞳でこちらを見つめていて、それが逆に不気味だった
では、悪しき心を取り除いたイメスパはどんな奴に生まれ変わってしまうのか
想像しただけでも背筋が凍る思いだ
「……何か用か?」
「その色男達をどこへ連れていこうと言うの? 私を1人にしないでぇ!」
手を伸ばし涙目で訴えかけてくるイメスパの破壊力は凄まじいものだった
私の攻撃を防いだ時のような計算ではなく純粋で真っ直ぐなお願いだからこそ余計に胸を打たれる
こんな美人にそんなことを言われて無下に出来る男がいるだろうか、いや居ない
「おいおい。なんかスゲェ美人がいるぞ?」
「1人にしないでだとぉ?」
「する訳ないだろ!」
マズイな。男達がざわめき始めた
かく言う私も相当心が引っ張られている。一瞬でも気を抜けば確実に心ごと体を持っていかれるだろう
こうなれば仕方ない。やりたくはなかったがこうするしかない
「色男さん。こっちにおいでなすってぇ? ここで私と永遠に暮らしましょう? 楽しいこと沢山しましょう? あら? あなたも来てくれるの"っ!?」
イメスパの頭を柄で思いっきり殴った。目を回しているということはしっかり気絶してくれたようだ
美人に手を上げるのは剣士として私のプライドに反するが仕方の無い事なのだ
こうしなければいずれ私も彼女の虜になってしまうに違いない
そして私は斬魔の剣でイメスパの頬を軽く叩いた
それによって取り除いた悪しき心は再び持ち主の元へと帰っていく
「これでいい……これでいいんだ……」
イケメンを失ったイメスパが世界に放たれては良くないことが起こる気がする
ならば悪として今まで通りに過ごしてもらっていた方がよっぽど平和になるはずだ
美人を殴ったことによりイケメン達からの罵倒が凄まじかったが後悔はない
ただ限度というものを弁えてくれイケメンよ。流石にこれ以上言われると心が砕けてしまうから
しかし目覚めたイメスパの言っていた言葉……野望に満ち溢れていたな
結局持っている心が善だろうが悪だろうが人間の本質は変わらないということか
「おお……無事に戻られましたかリッツさん」
「村長様。西の森の魔物を倒し戻って参りました」
テンフの村に戻った私達を真っ先に出迎えてくれたのは村長様だった
こちらの顔を見たことによって浮かない様子だった村長様の顔は一転、喜びと安心に満ちている
それはイケメン達も同様で久しぶりの故郷に涙を流す者までいた程だ
「攫われた村娘を助けてもらった上に行方不明になっていた村人も全員戻ってきた。なんとお礼を言えばいいのやら……」
「礼など必要ありません。私はただ己の正義を貫いたまでですから」
「……ウソばっか。色気に負けて鼻血出してたスケベはどこのどいつよ」
スイ、余計なことを言うな。村長様に聞こえてないから良かったが下手な事を言えば今度は貴様を実剣で斬ることになるぞ
結局礼をすると村長様は譲らなかった。それでも私は断っていたのだが最終的には根負けしてお言葉に甘えさせていただく
こういう場面では断ってしまうと却って相手に悪い
という訳で村長の家に招かれそこで晩御飯をご馳走になる
村を救った英雄だと村人総出で持て成され食卓には今まで見た事のない量の料理が並べられた
「お待たしぇ致しゅました英雄しゃま。どうぞょ召しゅあがってくだしゃい」
「あ、あぁ……ありがとう」
よりにもよって不細工が料理を運んでくるのか
ご馳走が霞むほどインパクトのある顔面にさっきは苦しめられたがそれはもう済んだ話だ
「今思えばあいつは私の精神力を試す試練だったのかもしれないな」
「いきなり何言ってんのよ。早く食べないと冷めるわよ」
横では既にスイが料理にがっついている。この妖精には作法などあったもんじゃないな
「食事の方はどうですかな英雄様」
私達が食事をしているのを見て奥から村長様がやって来る
しかし目上の者に敬語を使われるとなんだか歯がゆくて、そして申し訳ない気持ちになるな
「非常に美味でございます。それと英雄様などと堅苦しい呼び方をせずにリッツと呼んでください」
「そうですか。ところでリッツ様。あなたは何故こんな小さな村に訪れられたのですかな?」
村長様は敬語をやめてくれそうにない。確かに今更変えろと言うのも無理な話だったな
「私はこの近くのテッセ王国から魔王討伐のために旅に出ました。それで何か魔王に関する情報が得られればと思ったのですが……」
村長様は難しそうな表情をしながら顎に手を当てて自慢の長い髭を何度も撫でる
「……申し訳ない。我々には何も分からないです。些細な情報でもあれば良かったのですが……」
少し考え込んだ後で村長様はそう答えた。なんでもいいから情報を与えようと必死に頭を振り絞ってくれたのだろう
村長様の申し訳なさそうな顔を見ればよく分かる
「とんでもございません。むしろ余所者の私達にここまでしてくださったのです。感謝の気持ちしかございません」
「まだ若いというのに立派な方だ。ーーーーそうだ!」
村長様は何か思いついたようで表情が明るくなる
「この村を更に進んでいただくとヴァーヌ・ユ・タラコット・リヴァルヴューヌという街があります。そこならここより規模も大きいので何か得られるかもしれませんな」
「なるほど……ヴァーヌ・ユ…………申し訳ない、もう一度よろしいですか?」
「ヴァーヌ・ユ・タラコット・リヴァルヴューヌ、ですよ」
なるほどわからん。どうして街の名前にそこまで長い名前をつけるというのか
人に覚えてもらう気が皆無ではないか
その街に住んでいる奴らは全員その名前を噛まずに言えるのか?
それと最後のリヴァルヴユーヌ? だったか?
『ヴ』の後に『ュ』って発音出来るのか? 無理だろ
「ヴァーヌ・ユ・タラコット・リヴァルヴューヌですか……。リッツ、次はそこを目指しましょ!」
漸く食べる手を止めてスイが会話に割り込んできた
何故2度聞いただけで覚えられる? 何故発音出来る?
もしかして私の方がおかしいのか?
せっかく頭の中から不細工の面影が消え去ったというのにまた新たな悩みが増えてしまった
そのことばかり考えてしまうと大層なご馳走を前にしても手は進まず、味もよく分からなくなってしまった
 




