2日目⑥「事件」
――しかし考えてみれば、これはこれで大きな安心材料なんだろう。
『元の世界』に連絡可能ということなのだ。これは極めて大きい。今回は誤解を生じてしまったけれど、ちゃんと説明すれば助けを求めることができるわけだし、家族にも安否を報告できるのだ。
今回繋がったのがたまたま榊君だったのか、榊君だから繋がった法則みたいなのがあるのかわからないが、手段があることには変わりない。八方ふさがり、という状況ではないはずだ。
体が軽くなった気がする。
心なしかステップも軽快だ。昼間の時よりも食堂に来るお客さんはだいぶ多かったが、配膳はいくらかスムーズにできているように感じる――もちろん、段々慣れてきたというのもあるだろうけれど。
食堂の夜の営業は、六時から十一時までだった(食堂と言うよりかは、酒場みたいな雰囲気だった)。
昼間と変わらず旦那さんが料理、女将さんがその補助、私が注文受けと配膳、そしてシオンちゃんが皿洗いという分担。私が要領を掴んでからは、特に滞ることなく次から次に来るお客さんをさばいていくことができた。……魔法の世界に来て、変なスキルを身に着けたものだ。『元の世界』でバイトなんかするときに役立ちそう、というのが唯一の救いか。
……ふと思ったけれど、私はまだ高校二年生。十六歳である。こんな時間まで高校生を働かせていいものなんだろうか? ……まあ、『この世界』にはそんな法律ないのだろうけど。そろそろ『元の世界』との齟齬をいちいち気にするのをやめないと、身が持たなくなってくるな……。
十一時を少し過ぎた頃合い、最後のお客さんの会計を済ませた後で、
「よーし、じゃあ、コノハ。テーブルの上、布巾で拭いといで。それで今日の仕事は終わりだ」
と、食器を洗っている女将さんが言ってきた。
「はい」
と答え、私は濡れ布巾でテーブルをキレイにしていく。大テーブル十席に二人掛けが十四席、そしてカウンター席。少なくはないが、そこまで大変でもない。ちゃちゃっと終わるだろうと、さっそく取り掛かった――取り掛かりながら、そういえばと思い、私は女将さんに聞いてみた。
「……あれ? シオンちゃんはどうしたんですか? ここ一時間くらい見ないですけど」
「ああ、あの子なら部屋で寝てるよ。まだ十歳くらいだからね。こんな時間までは働かせられんさ」
「ああ、そりゃそうですね」
ということは、シオンちゃんと話そうとしたらまた明日か。昼間のあのセリフの真意を聞きたかったし(榊君も気にしてたし)、何より、私としてももう少し仲良くなりたかったのだが、残念だ。
「……どれ、ちゃんと寝てるかちょっと見てこようかね。あの子、たまに布団蹴とばしてるんだよ」
女将さんは濡れた手をエプロンで拭いながら言う。そして二階へと(女将さん夫婦とシオンちゃんは食堂の二階に住んでいるとのことだ)上がっていった。
私もシオンちゃんの寝顔はぜひとも見たかったが、まずは目の前の仕事だろう。帰り際にちょっと覗かせてもらおうかな。
そんなことを考え、ウキウキとテーブルを拭いていると――ドタドタと慌てたような足音が階段を下りてきた。
そして女将さんがなだれ込むように食堂に入ってくる。その顔は青ざめていた。
どうしたんだと厨房から顔をのぞかせた旦那さんと私を交互に見、女将さんは息を荒げながら、
「し、シオン見てないかい?」
「え? い、いえ…………二階で寝てるんじゃないんですか?」
「いや、それが――」
女将さんは信じられないというような顔で言った。
「――い、いないんだよ。部屋にも。二階のどこにも。シオンが。……布団も空っぽさ!」