2日目⑤「榊君」
「わっわっ」
驚きのあまり、私は携帯を取りこぼした。そして二回ほどお手玉した挙句、両手でぱしりと掴む。
画面を見ると、『通話中』という表示が出ていた。
――ど、どういうこと? ……な、何で?
望んでいた結果であるはずなのに、戸惑ってしまう。わけが分からなくなってしまう。本当に繋がっているのか? 本当に榊君に繋がっているのか? 今の声は本当に榊君なのか? 一体全体何と返したらいいか、踏ん切りがつかないでいると、
『もしもし? 木ノ葉? どうした?』
再び声――榊君の声だ。テンション低めでやや気怠そうな、いつもの榊君の口調だ。
「……も、もしもし」
私は携帯を耳に持っていき、恐る恐る答えた。
『ああ。どうしたんだ、いきなり? 何の用? …………あ、もしかして間違い電話?』
「え、いや、そういうわけじゃないんだけど……」
混乱しつつも、私は会話を続ける。
「ええと、榊君、ごめんね、急に。今大丈夫? 忙しくなかった?」
『いや、全然。部活から帰ってきたとこ』
「そ、そうなんだ」
そういや榊君はテニス部だっけ。ゴールデンウィークも練習があるのか。先輩の何人かは去年全国大会までいったという話だし、練習も結構ハードなんだろう。帰宅部の私とは大違い。大変だ。
……っていやいや、こんな悠長に話してる場合じゃない。なかった。私は今、切羽詰まっているのだ。わけのわからない状況になっているのだ。折角知り合いに繋がったのだ。早く助けを要請しなければ。
「えと、その、何と言うか、ええとね……」
ーーしかし、いざ説明しようとして、どうしたらいいかわからなくなってしまう。どう話せばいいかわからなくなってしまう。論理立った説明ができない。今の私は、原因もへったくれもない、意味不明な状況なのだ。
だったら仕方ない、起こったことをそのまま話そう。そう決心した私は、
「ちょっと、何と言うか、悪いんだけど榊君に、どうしたらいいか教えてほしいんだけど――というか助けてほしんだけど――私ってば、ちょっとわけが分からない状況になってるんだよね。それってのは、ええと、昨日のことなんだけどさ――」
と、昨夜家のドアを開けたところから、私は一つ一つ説明していった。
元々説明下手だし、自分の状況を自分自身で咀嚼しきれていないし、おまけに電池の持ちは十分程度という、だいぶ追い詰められた状況だったが、何とかかんとか自分の今までの体験を話していく。
榊君はと言えば、最初こそぽかんとしているのが電話口からでもわかるようなリアクションだったが、途中から相槌を打ってくれるようになった。どうにか伝わっているのかと思い、とにかく説明を続ける。
そして近場の街並みを視察し、買い物をした後、今さっき宿に帰ってきたというところまで話し終え、
「――という状況なんだけど、ど、どうしたらいいのかな?」
と再度尋ねた――いやまあ、尋ねてはいるが、普通に考えれば、親に連絡するか警察に連絡するかというアクションになるだろう。そう思っていたのだが、
『ふうん、なるほどねえ……』
と、榊君は何やら納得したようなリアクションだった。私が想定していた驚きの一割のにも満たない反応だ。
一体榊君はどんな納得をしたんだろうと思っていると、
『その女の子の反応が怪しいな』
と言ってきた――その女の子? ……シオンちゃんのこと?
『そう、その子』
と、榊君。
『明らかに予知みたいな口調だし、これから起こることについてのアドバイスをしてるんだろう。つまり、これから騙されるような何かが起こるってことだ』
……予知?
『あと、今持ってる『巻物』ってのは、温存しといた方がいいな。初期段階のそういう道具は、強敵と闘う時のキーアイテムに設定されてることが多い。無闇に使わない方がいいよ』
……強敵?
『買い物はあんまりケチらない方がいいよ。最初の方は装備如何で大違いだから』
……装備?
『そうだな、あとは――すぐにまた、何か起こるだろうな』
「…………『何か』?」
『そう、事件的な、追い詰められるような何か』
事件って……。こ、怖いことを仰る……。
『出だしはやっぱり、多少強引でも急展開になるもんだよ。プレーヤーを引き込むにはしょうがないさ――つーか、タイトルはなんて言うんだ? よければ調べとくけど』
……タイトル?
『はは。完全に右も左もわからずって感じだな。もしかしてそういうの初めて? 最初は大体、システムをいちいち説明してくれるキャラがいるもんだけど……そういうのいないの?』
……システム? キャラ?
『そう。ヒロインだったり、あとは動物とか、使い魔的なやつのパターンがあるかな。そういうのいないのか?』
……ヒロイン? 使い魔?
『しっかし、僕も聞いたことがないストーリーだな。もしかして結構マイナーな奴?』
「え、えと、ごめん、榊君、さっきから何だか、勝手知ったるって感じでアドバイスくれるけど、一体何を――」
と、
――ピーピー。
携帯が鳴った。驚いて見ると、電池残量が真っ赤だ。というか、ほとんどない。
「うぇっ! ……ええと、ごめん、電池なくなっちゃった」
『ああ、もしかして出先? はは、了解了解。僕も基本夜はヒマしてるし、また何かあったら掛けてきてよ』
「え、あ、ありがと――」
――プッ。
最後まで言い切る前に通話が切れてしまった。そしてそのまま携帯の電源も切れてしまった。
時計を見ると、どうやら通話時間は十四、五分くらい。実際話すと短く感じる。……いや、単に私の説明が冗長だっただけか?
私は、再び真っ黒になった画面を眺める。
――しかし、榊君は何でまた、あんなポンポンとアドバイスをくれたのだろう? わかってる風な口調だったのだろう? 言っている意味はよくわからなかったけれど。……もしかして、榊君も『この世界』を知っている? 来たことがある? ……いや、それは発想が飛び過ぎか?
今の時刻は五時四十四分。あと五分くらいならゆっくりできるだろうか。元の世界なら、これくらいの空き時間ができた時は、アプリゲームなんかして時間を潰したものだが、充電もおいそれとできないこの世界では憚られる。無駄にできるものじゃない。
……ん? ……ゲーム?
このワードから、私の脳裏に一つの記憶が蘇った。
小学生の時の記憶だ。
まだ弟と部屋がわかれていなかった頃、弟が一生懸命やっているのを後ろから眺めていたことがある。キャラクターを操って世界を冒険し、魔法を使い、魔物を倒す。そういうゲームのジャンル。
……もしかしてもしかして――
――榊君は、私のこの状況をゲームと勘違いした?
あっはは、まさかー、と一蹴しようとした――が、思い返せば、榊君がちゃんと私の話を理解しているようなリアクションを返してくれるようになったのは、『魔法』という単語を出した後だ。
つまり榊君も榊君で私の説明のわけが分からなかったところ、その『魔法』という単語から、「ゲームの話」だと理解したのか? だからこその、あの納得したような反応だったのか? あのアドバイスだったのか?
「なんでやねんっ」
と虚空にツッコみを入れつつ、もう一回ちゃんと説明しようと私は携帯を握りしめた――しかし、あと少しで仕事が始まってしまうし、修復魔法のカードはあと七枚。突発的に使っていいものでもない。
「ううむ……」
唸るように逡巡した後――私は嘆息しつつ、携帯をポケットにしまった。無駄にできないなら、落ち着いて、話す内容をちゃんと精査してから掛け直した方がいいだろう。
そう思い、私は一旦榊君への弁明を後回しにし、食堂に向かうために宿屋を出たのだった。