7日目②「告白」
エンジャーさんに釘を刺された直後だと言うのに、その後の脱出劇は、とてもとても言い訳できるものではなかった。
騎士団長様のエスコートなのだ。中庭を通って正面口か、あるいは(あるのかは知らないけど)裏口からお城を出るのかしらと思っていたら――私はひょいとアイシリス様に抱えられた。俗に言う、お姫様抱っこだ。
そしてそのまま、草っ原を駆けるバッタのようにピョンピョンと中庭の垣根を飛び越え、城壁を飛び越え、ほんの十数秒後には街の裏路地に降り立っていた。
呆然。
あんなに厳重に囲われ、警備され、入る時には魔法で手荷物検査まで受けたお城だというのに、こんな簡単に出てしまっていいのか……と、私はアイシリス様の腕の中、大口を広げてそのお顔を見上げていた。
「さあ、ここからは歩いて行きましょうか」
私の心情を知ってか知らずか、いつもの柔和な微笑のアイシリス様。
優しく降ろされ、私はなされるがまま、石畳の上に降り立った。
アイシリス様はフードを目深にかぶる。そして道の先を指さした。
「会場はすぐそこです。こちらです」
「……は、はあ」
優しく手を取られ、私はアイシリス様の後をついていった。
ものの二分で、大広場に出た。
少し前からうっすらと音楽が聞こえていたが、いざ会場に入ると大音量だった。
そして、それがあまり気にならないくらいの賑わいだった。
「……ほぁー」
その情景に、思わず声が漏れる。
お祭りだった。
露店のようなお店がずらっと並び、老若男女が楽しそうに買い物をしていた。食べたり飲んだり、あるいは談笑したり。
奥の方には高いステージみたいなものがあって、そこで楽団らしき人たちが、ギター(のようなもの)やヴァイオリン(のようなもの)を奏で、歌手らしき人が歌っていた。そのステージの近くでは、数人がこれまた楽しそうにくるくると踊っていた。
完全に日は沈んでいるが、もはや昼間と変わらないくらいの光量の電飾が頭上で瞬いていた。赤や青やピンクやオレンジに染まる広場。あちこちから漂う甘い香りやスパイシーな香りも相まって、ふわふわと夢心地になる空間だった。
ぽけーと、棒立ちで見惚れていると、
「……よかった。今年も賑わっていますね」
隣でアイシリス様が呟いた。
「昨日はどうなることかと思いましたが……団の皆が走り回ってくれたおかげですね。……ふふ。皆さんが楽しんでくれてて、本当に……本当に、よかった……」
フードの下から、アイシリス様の安堵の表情が覗いている。本当に嬉しそうで、目元に薄っすら涙が見えているほどだった。
アイシリス様はくるりとこちらを振り返ってきた。
「さあ、今日は楽しみましょう。まずは、飲み物でも買いましょうか。アップルジュースがお勧めです。さあ、こちらです――ああ、それと、この場では私を『リース』とお呼びください」
「……リース様?」
「いえ、シンプルに『リース』で」
「え、でも、それは、さすがに失礼じゃ――」
もごもご言う私に、ぱちんとウィンクするアイシリス様――ここでようやく、私はハッとした。
……そうだ、失念していた。そりゃそうだ。王子様がこんな人ごみの中にいると人に知れたら、大騒ぎになってしまう。人が寄ってきてしまうし、良からぬことを考える人もいるかもしれないし、お城にバレたら後々大変なことになってしまう……。だからアイシリス様も、フードを目深にかぶっているわけだし。
「わ、わかりました」
私はコクコクと頷く――ただ、顔は見えないけど、この方は高身長で、すらっとしたスタイルもちょっと常人離れしていて、それだけで目立っている気はしたけど……。まあ、この人ごみの中あちこち歩き回っていれば、そこまで気にされないかな? 皆、自分の家族や友人と夢中になっているわけだし。
なので、それ以上は気にせず、その後はもうただただ楽しんだ。
ジュースを飲んで。そばを食べて。串焼きを食べて。フルーツを食べて。くじをやって。ボールを投げるミニゲームみたいのをやって。ステージの側で音楽を聴いて。
広場を行きかう人々の中の一組として、私とアイシリス様も歩き回り、見て回った。
そして後半には、ドンドンと花火まで打ちあがった。
低い破裂音がお腹の底に響く。
夜空が赤青緑に染め上げられる。
綺麗で幻想的だった。浴衣とか盆踊りとかはないし、食べ物も少し違うけど、日本の夏祭りとほとんど同じ遊び方だった。
傍らのアイシリス様も、食べながら飲みながら、私に色々と教えてくれる。どれが美味しいか。どれが美味しくないか。どれがこの国の特産品か。どういう歴史があってこういうお祭りができたか。などなど。
一瞬、榊君の
『イベント中の会話には細心の注意を払った方がいいかな』
というアドバイスが頭をよぎったが、そんなのを気にするまでもなく、アイシリス様とのお祭りを私は心の底から楽しんだ。アイシリス様もお城の時よりだいぶと楽しそうな表情をしてくれるので、私も調子に乗って、終始お友達のような感覚でお話ししてしまった。
一時間くらい歩き回り、そろそろ疲れてきたかな、という頃合いだった。
「少し休みましょうか」
私の心内を先回りしたのか、アイシリス様が提案してくれた。
連れられて行くと、路地を挟んだ別の広場に、ベンチがいくつも置かれていた。このスペースにお店はなく、人も少なくて、静かな休憩場となっていた。周りにも、若いカップルが二組とゆっくり串焼きを食べている熟年カップルが五組、そして小さい子を連れたファミリーが三組いるくらいだった。
私とアイシリス様も、空いているベンチに座った。
ふう、と一息つくと、アイシリス様はジュースを飲みながら、
「こういうお祭りは、コノハさんの国にもあるのですか?」
「え、あ、はい。夏――一番暑い季節に、各地で開かれてます」
「やっぱり、このお祭りとは少し違うんですか? 国が違えば、趣も異なるというか」
「まあ確かに、服装とか食べ物の種類とかは少し違いますけど――でも、逆にびっくりするくらい似てるところもありました。花火とか」
「よく行かれたんですか?」
「はい。友達と毎年行ってます。小さい頃から同じ女子四人組で。事前に約束とかするまでもなく、当たり前のように集まって。今年でちょうど十年目に――」
ここで、言い淀んでしまった。声が小さくなってしまった。言いながら、一つの疑問が脳裏によぎってしまったのだ。一抹の不安――今年も、行けるのだろうか?
夏祭りまではまだ三か月あるけど、そもそも私は、その前にもう一度学校に――
「――不安ですか?」
アイシリス様が、私の顔を覗き込んでくる。
その真っ直ぐな目に捕らえられ、見据えられ――私はぽつりぽつりと、本音をこぼす。
「……正直、そこまででは、ないんです。……皆さん、優しくしてくれるし。危険なこともあったけど、何とか進めているし。少しずつですけど、この『世界』のことも知ることができているし。ただ――」
私は、ふーと深く息を吐く。
「――ただ、でも、やっぱり、元の『世界』には家族がいて、友達がいて――私は何も……ほとんど何も伝えられていないので。もしこのままだと、すごく心配かけると思うので、それだけは、何とかしたいとは、思ってるんです」
「……そうですよね」
アイシリス様はゆっくりと頷いた。
「……どこまでできるかはわかりませんが、私も精一杯の協力はします。あなたが元の『世界』へ戻る手がかりを見つけるため、元の『世界』に戻るため。ただ――」
ここで、急にアイシリス様は押し黙った。何か考えるように、下を向く。
そして数拍の間を置いた後、再度口を開き、
「ただ……これは、決して貴方の意思を無視する意図はありません。ただ、一つの選択肢として、最悪の場合の一つの救済策として、提案するだけですが。もし――もしあなたがこの『世界』に残る選択をする未来があったとしたら――」
アイシリス様が、すっと、私の真正面に顔を近づけてきた。
フードの奥、私の目をまっすぐ見てきた。
「――コノハさん、この国で、私と暮らしませんか?」




