6日目④「闘気」
「―――! ―――! ―――ッ! コノハッ!」
はっとして、私は目を開けた。
視界に飛び込んできたのは、青ざめたラスティさんの顔だった。
いつものへらへらした表情ではなく、見たこともないような真顔だ。それがドアップで迫ってきている。
「コノハ! 大丈夫か!」
「う……え、ええと……」
ぼやっとする意識を探りながら、今の状況を認識する。
足と腰にごつごつした固いものが当たっている。これは――地面。洞窟の地表に寝そべっている状態だ。肩をラスティさんに抱えられ、抱き起されている。
そして、腕が重い。やたらと重い。見ると、袖がビショビショ――というか、全身ずぶ濡れだ。まるで服を着たまま海に落ちたように――
ここではっと思い出した。
私は崖から落下したのだ。魔物の攻撃を受けて。そしてこの状況から察するに、私は川に落ちたのだ。
――それを、助けられて……?
「コノハ! 大丈夫か! 痛いところはないか!」
心配そうに顔を覗き込んでくるラスティさんに、
「だ、大丈夫、です、た、多分……」
と返答をする。
見ると、ラスティさんも全身濡れていて、髪から耳から顎から肘から、ぼたぼたと水滴が滴っている――やっぱり、ラスティさんが川の中から助けてくれたのだ。
私は、落下している途中で気絶していたんだろう。
空中に投げ出されてから、ぷっつりと記憶が途絶えている。何も覚えていない。マラソン大会の後に気絶するように寝こけたことはあったが、実際に気絶なんてするのは、これが初めてだ。これが気絶というやつなのか。
ただ、現状はわかってきた。
「か、川に落ちたのを……助けて頂いたんです……ね?」
「意識ははっきりしてるか?」
「だ、大丈夫です」
この返事で、ようやくラスティさんは安心したように息を一つ吐いた。
私は自分の力で上体を起こす。首を振り、周りを見渡す。
「……ここは?」
「落ちたところのすぐ近くに横穴があったから、そこに引き上げたのさ。洞窟の下層だよ」
……洞窟の下層。
確かに、激流の轟音がさっきよりも格段に大きい。声が聞き取りにくいくらいだ。川の水面に近いのだろう。
傍らの地面にランタンが置かれていて、その周囲がぼやっと照らされている。相変わらずのごつごつした岩肌だ。
ふと、手首に暖かい感触。
ラメルが、心配するように鼻先を擦り付けてきていた。ありがとう、大丈夫だよ――と呟きながら、頭を撫でる。
少し離れたところに、Tシャツ姿の背中が見えた。背丈や恰好からしてウェツァさんだ。右手には大鎌を握っている。こちらを振り返ることなく、どころか微動だにせず、まるで何かを警戒しているような――
「……ッ! そ、そういえば、あ、あの、魔物はッ? ど、どうなったんで――」
むぐ、とラスティさんに手のひらでもって口を覆われた。
驚いて見ると、ラスティさんは口元に人差し指を当て、シーというジェスチャー。次いで、ウェツァさんの方を見やった。
つられて、私も再度そちらを見る。
ランタンの光が届いていない、ウェツァさんの所からさらに奥の方の暗闇――そこに、無数の光の点が浮かんでいた。
「――――ッ!」
ただの白い点――ただ、それがまっすぐこちらを向いている。突き刺すように、敵意みたいなものがこちらに向けられているのを感じる。
ひたひたという足音がいくつも聞こえてきて、その光の点の本体がランタンに照らされた。
――十数体の、ナマズの化け物だった。
「こ、こんなに……」
さっと、血の気が引いた。
フォルムはヴィーツェ村で見たのと同じ。ただ――明かりが弱いせいで、何となくの判断だが――体の色合いが少し違うように見える。ヴィーツェのやつは黒だったが、今目の前にいるのは、少し黄色みがかっているように見えた。
「……これ、ヴィーツェ村にいたのと、同じやつですか? 少し、色が違うみたいですけど……」
「恐らく、変異体だ」
ラスティさんが落としめの声で答えてくれる。
「基本、こいつらの体は黒色だが、食べ物か、あるいは他の要因かで、エーテルを過剰に取り込んで変異したんだ。性質は同じだが、まあ、まずもって、ヴィーツェのより弱いということはないはずだ……」
ヴィ―ツェ村のより強いやつ――が、こんなにいっぱい?
だからウェツァさんはあんな警戒してるのか。
あの時は、ラスティさんもウェツァさんも一振りでやっつけていたけど、今回はどうなんだろう。どれくらい強いんだろう。
ごくりと息をのみ、逃げられるようにと腰を浮かせた瞬間――
――ボンッ、ボボンッ
敵の一体が口を膨らませ、水の塊を飛ばしてくる。
「……ふんっ」
すぐさまウェツァさんは鎌を振り、その塊を粉砕する。
ヴィーツェ村で見たのより数倍大きい塊だった。さっき水面から飛ばしていたのもこれだったんだろう。崖を粉々にする威力、ということだ。
私はラメルを抱えて立ち上がり、後ろに駆けだした。そしてランタンの光が当たるギリギリの所の壁際にぴたりと背をつける。今日の私は、魔法の巻物を持っていない。私にはもうどうしようもない状況だ。だから、せめて二人の邪魔にならないように、足手まといにならないように距離を取ったのだ。
――ボンッ、ボンッ、ボボンッ、ボンッ、ボボンッ、ボンッ、ボンッ
一斉に、四方から水の塊が発射される。
ウェツァさんは鎌を振り回し、三つ、四つ、五つと打ち落としていく。
ラスティさんもウェツァさんの横に駆けだし、ウェツァさんが落とし損ねたものを剣で切り伏せる。
――ボボボンッ、ボンッ、ボボンッ、ボボボボンッ、ボンッ
さらなる一斉砲撃。
二人は踊るように武器を振るい、バンバンとすべて打ち落とした。
そして刹那、ラスティさんは敵の方へ駆けだし、近くの一体に飛び掛かった。
「〈雷の剣〉!」
バチチと剣に電気を走らせ、その刃でもって敵を斬りつける。
「ブフゥゥウ」
うめき声をあげ、斬られた腹から黒い煙を出しながらよろける魔物――しかし、倒れはしない。のけ反った体勢のまま、口を膨らまし、ラスティさんの顔面を睨みつける。
咄嗟に屈むラスティさん。
ボンッという音と共に、ラスティさんの頭の上を水の塊が通過し、天井にぶつかる。
「てぃやッ!」
もう一度剣撃を見舞うラスティさん。
しかしそれでも魔物は倒れず、ラスティさんは後ろに跳んで再度距離を取った。
――一撃で倒せない。
明らかに昨日のやつより耐久力がある。数倍強い。おまけにそんなのが十数匹……。
これ、ものすごいピンチなんじゃないかーーと思い、私はぎゅっとラメルを抱きしめた。
助けを呼ぶ……にしても、道順も、出口がどこかも、今どこにいるのかもわからない。そもそも、私の足では追い付かれるのが関の山かもしれない。
――ボンッ、ボンッ、ボンッ、ボンッ、ボンッ
またもや砲撃が二人へ向かう。
剣と斧を振り、二人は対抗する。が、一つ落とし損ね、それがウェツァさんのお腹に直撃した。
「…………ぐッ」
顔を歪め膝をつくラスティさん。しかしすぐに立ち上がり、剣を構える。
岩を砕くような砲撃を食らって倒れないなんて、ラスティさんは一体どんな鍛え方をしてるんだ――と思ったけど、しかしそれでも、大勢としては押され気味だ。
――ボボボンッ、ボンッ、ボボンッ、ボボボボンッ、ボンッ
次の砲撃、今度はウェツァさんが頭に一つ食らった。一瞬よろけるが、すぐに体勢を立て直す。額から血が出てるけど、全然動じていない。
今更、私の中に後悔が湧き上がってきた。
昨日街を歩いたとき、ついでに雷の巻物を買っておけば、この状況でももう少し何とかできたかもしれないのに。一体くらい倒せたかもしれないのに。それくらいの気を回せないなんて。本当、私は何も学習していない。
……いやでも、今回のこいつらの強さだと、巻物の一本や二本では焼け石に水なのかもしれない。ラスティさんの魔法の剣の攻撃でも倒せてないわけだし。
砲撃はさらに五回、六回、七回と続く。一発くらいつつも、ラスティさんが隙を見て魔物に斬りかかる。が、やはりなかなか倒せない。敵の数は減らない。トータルで、こちらの方が消耗が激しい状態だ。
そして八発目。
二人を目で追うのに必死になっていた私は、一発が私の方へ飛んでくるのに気付くのが遅れた。
「コノハッ!」
「キャァアッ」
思わず飛び退いたが、後ろに飛ばされ、壁に背中をぶつける。
ぼごん、と頭上で壁が破壊される音。
尻もちをつきつつ、慌てて腕の中のラメルを見た。私を見上げている。怪我は無いようだ。
というか、体もあまり痛くない。恐らく水の塊は、右肩の上を通過したのだ。私は風圧で飛ばされただけだったようだ。
――ズキッ
ほっぺたに痛みが走り、手の甲で拭う。血が付いた。どうやらかすってはいたようだ。
間一髪だったのだ。
危なかった……。
私は慌てて立ち上がる。そして魔物の攻撃に目を凝らす。
とにかく、こっちに飛んでくる攻撃は自分でかわさないと。……というか、一発だけでもこちらへ攻撃が来るようにできれば、二人の負担が減るんじゃないか。攻撃に転じられる隙が増えるんじゃないか。そういうアシストができるんじゃないか。と、そんなことを考えていると――
「――……貴様ら」
ウェツァさんが俯き、低い声で呟いた。
魔物はウェツァさんの方に口を向けているのに、全然そっちを見ていない。
ちゃんと魔物の動きを見てください! ――と声掛けしようと思ったが、よくよく見ると、ウェツァさんの周りに、青白い湯気のようなものが揺らめいている。ウェツァさんの全身を薄く覆っている。光の屈折、とかのせいではないようだ。
――こ、これも魔法?
ハラハラ見ていると、魔物が再び一斉砲撃。
――ボボボボボボボボボンッ
その瞬間、ウェツァさんが一歩踏み込んだ。その足元が、ハンマーで打ち抜かれたようにぼこんと凹む。
そして、その青白い湯気を纏ったまま、ウェツァさんは大鎌をブーメランのように投げた。
青白く煌く鎌は、高速回転で発射され、風を切り、踊るように飛び、砲撃を次々と破壊し、魔物を三体切り裂き、ウェツァさんの手元に戻ってくる。
どさどさと、地面に倒れる三体。
一瞬たじろぐ、残りの魔物。
しかしウェツァさんは彼らを睨みつけ、
「……骨の欠片も残しはしない」
青白い湯気は一層濃くなり、大きくなり、ウェツァさんを大きく包み込んだ。そのまま、ウェツァさんは再び鎌を投げつける。鎌はぶんぶんとヘリコプターの羽のように飛び回り、今度は五体を切り裂く。
ウェツァさんは飛び上がり、鎌を空中でキャッチすると、そのまま三度目の投擲。今度は八体の敵を切り裂いて、再びウェツァさんの手元に戻ってきた。
あっという間に、残りは一匹だ。
最後のナマズは、じりじりと後ろに下がる。距離を取っていく。そして、
――ボンッ
決死の一撃か、逃げるための威嚇か、特大の水の塊を発射した。
しかしウェツァさんは駆け出し、走りながらその塊を一刀両断。その勢いのまま飛び上がり、魔物の頭上、大鎌を振り上げ、思いきり振り下ろした。
「くぁああああああッ!」
ずどん、と特大の衝撃と衝撃音と砂埃が上がる。
ぱらぱらと、天井から小石が落ちてくるほどだった。
砂埃のせいでウェツァさんが見えない――しかし、少しして収まると、肩で息をするウェツァさんの姿。足元には、ナマズの化け物の破片が飛び散っていた。
「……ふ……ふ……ふ」
と短く息をしているウェツァさん。青白い湯気も消えていた。
「……大丈夫なのか、コノハ」
ウェツァさんが急に声を掛けてきた。
「え、あ、だ、大丈夫です。た、ただのかすり傷です」
と答えると、
「そうか」
と短く答え、こちらを見てきた。その表情は、いつもの無表情に戻っている。ようやく落ち着いたようだった。
「その傷、痛くないかい、コノハ?」
いつの間にかラスティさんが寄ってきていて、私のほっぺたを見ていた。そしてポケットからカードを取り出す。
「どれ、治してあげようか」
「え? ま、魔法カードでですか? いや、も、もったいないですよ! それよりお二人の方がもっと――」
「俺らは大丈夫さ」
そう言って、ラスティさんは魔法カードを振った。白い光が私の顔の右半分を覆う。
「ほら、これで治った」
頬を撫でると、もうズキズキした痛みは消えていた。
「あ、ありがとう、ございます……」
ぽかんとしてしまう私。
ラスティさんはいつも通りに微笑みかけてきて、
「さ、早くここを出よう。魔物がいたとなっては、ここに長居は無用だ」




