2日目②「初仕事」
「おーい! 姉ちゃん! 酒追加だ!」
「こっちはつまみ~~!」
「は、はーい!」
ノーラさんと別れてから三時間後、私はなぜか、町の食堂で給仕の仕事をしていた。
元の世界でもバイトなどしたことがなかった私が、どうしてまた『別世界』に飛んで(?)きた二日目にいきなりこんな状況になったかというと、話は私が宿屋で昼食をとっていた時に遡る。
※※※※
今から約三時間前、ノーラさんの言う通り宿屋の部屋を難なく取れた私は、部屋に入って一旦小休憩をした。そしてその後、宿屋の一階にある食堂でお昼ご飯を食べることにしたのである(この食事の料金は宿代に含まれている。手持ちのお金が限られている現状、食べないわけにはいかない!)。
この時相席したご老人に、それとなく自分の状況を話してみたところ、このご老人に私のことを『根無し宿無し貧乏少女』だと解されてしまったのだ。
私は誠心誠意、弁解しようと試みた――が、実際問題『別世界』から来たことを除けばこれはすべて事実のため、どうにも功を奏しなかった。うまくいかなかった。そして最後には、この方の親切心からか、
「困っとるのか? 何ならワシが仕事を探してやろうか?」
と言われたのだった。
その際、たまたま近くでこの話を聞いていたご年配の女性(今私が働いている食堂の女将さんであることは後で知った)が腰を痛めてしまい、代わりに店に出れる人を探しているから、良かったらどうだと言ってきたのである。
「なーに、大丈夫。皿とジョッキを席まで運ぶだけの仕事さ。未経験でも心配ないよ」
と女将さんは言ってきたが、私としてはそれ以前に、この『世界』自体が未経験にほど近い状態なのだから、何も大丈夫ではない。全然大丈夫じゃない。それよりもまず私は、昨日からずっと抱き続けている疑問、
「ここ、どこ?」
という難題の答えを探すべく、周辺を散策したいと思っていたのである。
だから、この女将さんには申し訳ないが、今回の話は断ろうと思った。断るべきと思っていた――しかし、ノーラさんとの時にも露呈した、実に押しの弱い私である。
その後の話の顛末はよく覚えていない。気づいたら私は女将さんの店まで連れていかれ、着替えさせられ、店に出されていた。……普通、働くときには「履歴書」なるものが必要と聞いていたが、この世界ではどうやら要らないらしい。身元がわからなくても、身体一つで仕事に就けるようだ。一つ勉強になった。
結果、私は昼過ぎから店の中を駆け回り、酔っぱらったおじさん方(昼間から酒を飲んでいる人がそれなりにいた。仕事に影響はないのか?)に、
「お、新人さんか?」
「歳はいくつなんだい?」
「どっから来たんだ?」
などとからかわれながら、配膳に従事したのだった。
これがひと段落したのは、夕方になった頃合いだった。
午後の二時から四時、実に二時間の間走り回った末、客もまばらになったところでようやく、
「それじゃ、一旦店を閉めるよ。夜の準備に取り掛かろうかね」
と、女将さんは景気づけのようにぱんぱんと手を叩いた。そしてお客さんたちをやんわりと追い出しつつ、店の扉に「準備中」と書かれた札(私には読めないが)を下げたのだった。聞けば、六時までは一時的に店を閉め、食器洗いと夜用の料理の下準備を行うのが通常らしい。
食器洗いを三十分で片づけ、ようやく私は解放された。
料理の準備は女将さんと旦那さんの仕事だそうで、
「ほら、コノハ。夜からまた動き回ってもらわなきゃならないんだから、ちゃんと休んできな。夕飯は食べてきても、食べてこなくてもどっちでも構わないよ。つまみ食いならいくらでもさせたげる」
と言ってくれた。
「ははは……」
と愛想笑いで応えた私は、エプロンをたたみ、とりあえず宿屋に戻ろうと、勝手口へ向かった。
――と、
通路に置かれた木箱にちょこんと座り、本を読んでいる女の子がいた。
私より若い……というか幼い。小学校低学年くらいだろうか(『この世界』に小学校があるのか知らないが)。長い金髪と青い瞳がなんともきれいな娘だ。動かなかったら、それこそ人形に見えてしまいそうな至極整った顔立ちの女の子だった。
私は挨拶もそこそこに店に駆り出されたので自己紹介もできていなかったが、開店のさなかも、確かこの娘はずっとじゃぶじゃぶと皿洗いをしていた。
厨房で料理している女将さんに、
「えっと……この子は娘さんですか?」
と聞いてみた。
「んー? ……ああ、シオンのことかい? はっは、違うさね。その娘はあんたと同じようなもんだよ。迷子になって、帰るとこがわからないってんで、うちに住み込みで手伝ってもらってんのさ」
「ええっ? そ、そうなんですか……?」
こんな小さな女の子が迷子って……。大問題じゃないだろうか? きっと親御さんは凄く心配してるだろうに……。
「その子、見かけによらずテキパキしててね。落ち着いてるし、その歳でだいぶ気の付く女の子だよ。うちには一応息子が一人いるんだが、定職にもつかないであっちこっちふらふらしてるホントどうしようもない子でねえ。まったく。その娘ととっかえたいくらいだわぁ」
「ははは……」
何とリアクションしていいかわからず、私は再度愛想笑いをする。
そんなやり取りの最中も、この女の子――シオンちゃん? ――は一心不乱に本を読んでいた。相当な集中力だ。
私は、この子の頭を撫でたい衝動を我慢しつつ、聞いてみた。
「ええと、シオンちゃん? 何の本読んでるの?」
「いえ、別に……」
目線を上げることも、私の方を見ることもなく、小さな声で答えるシオンちゃん。……何とも連れない返答だ。
しかしまあ、初めて会って数時間で、いきなり年上の人と打ち解けろというのもなかなか難しいものかもしれない。私にだって多分簡単な事じゃない。このシオンちゃんも、特に社交的な子には見えないし。
「それじゃ、また夜ね」
これからおいおい打ち解けていこうと思い、とりあえずここはこんな挨拶と共にこの場を離れようとした。その時だった。
「――騙されないで、疑いなさい」
急に、シオンちゃんがそんなことを口にした。
「え……?」
私は慌てて振り返る。しかしシオンちゃんは依然本から目を離さず、ページをめくっていた。
――今のはシオンちゃんが言ったの?
――私に対して言ったの?
――どういう意味?
まったくもってわけがわからなかった。とりあえず私は、
「えっと、その……どういうことかな?」
と聞き返してみた。
――しかしシオンちゃんは、それ以上何も答えてくれなかった。