5日目⑥「乗り物酔い」
「……すいません……窓……全開に……してもらって……いいですか?」
「砂埃が入ってきてしまうけど?」
「…………背に腹は……代えられないです」
私の懇願に、ラスティさんは演技じみた苦笑と共に窓を開けてくれた。
冷たい風が車内に入ってくる。それが顔に当たり、いくらか気分が良くなった気がする。周りの景色も見えるようになって、幾分気も紛れる。確かに少々土臭くなったが、今の私にとって、それはさしたる問題ではなかった。
ここまでひどい乗り物酔いは、今まで一度あったかどうかぐらいだ。
家族旅行の時も遠足の時も修学旅行の時も、少なくともここまで重症になったことはなかった。出発から帰宅まで、いつも気分よく旅行できていた。身近なところではユミが結構弱いタイプで、私はいつもそれを介抱する側だったのだ。
自分は強い方だと勝手に思い込んでいたが……。
もしかしたら、乗り物に依るのかもしれない。バスには強いけど、電車に弱かったり。乗用車には強いけど、新幹線には弱かったり。たまたま今まで、自分が弱い乗り物に当たらなかっただけなのかもしれない。
なんせ今私が乗っているのは、車は車だが、自動車でもなければ電車でもない。
――馬車なのだ。
私の前方、小窓の向こうでは、髭を生やした御者さんが手綱を握っており、さらにその前では、こげ茶の肌の馬が二頭、黒いたてがみを風になびかせながら走っている。スピードこそ余り出していないが、それでも結構な音量でカコボコという小気味いい蹄の音が鳴り響いている。
そして、私達が今移動しているのは、だだっ広い草原だ。
当たり前だが、舗装なんてされていない。車輪が石を噛むたびに、車体がガタガタ揺れるのだ。この揺れのせいで――出発してから大体二十分くらいだが――私は乗車後ものの五分で胸やけと目眩を患った。
おまけに、座っているイスもクッション性はあるにはあるが、使い古しているせいかだいぶ固くなっており、お尻も段々痛くなってきている。どころか、我慢しているうちに腰まで痛くなってきた。全体的に、あまり快適とは言えない乗り心地だった。
とはいえ、徒歩でこの距離を移動するよりは何十倍もマシだ。
これはこれで、運が良かったのだろう。
昨日ラスティさんが説明したように、元々このヴィーツェ村からレイド国への移動も徒歩の予定だった。しかし、魔物討伐を終え(ウェツァさんと合流した後も十匹くらい倒した)、村に報告に戻り、昼食を食べ、山を下った後(地下道も通してもらい)、さあこれから歩こうかと言ったところで、偶然見つけたのだ。
草原にぽつんとある馬車の停留所。
地下道が通行不可能になっていることなどついぞ知らず、客が来ずに暇を持て余していた御者さんが、近くを通りがかった私達に手を振り呼び込んできた。都合良く四人がけの馬車が一台待機したままだったので、私達はそれに乗せてもらうことにしたのだった。
おかげで筋肉痛の体に鞭打つ必要もなく、おまけに一時間足らずで到着できるとのこと。
こんなのがあるなら最初から手配しろと思ったが、ラスティさんも(当然)ウェツアさんもこの停留所の存在は知らなかったらしい。まあ、運賃を出してもらっている手前、これ以上私に文句を言う権利はないのかもしれない。
酔いさえさめれば、なかなかに面白い体験ではある。
日本ではなかなか見られないような遠方まで平らな台地を、馬に引かれ、風を切って進んでいく。天気がいいのも相まって、段々と気分も晴れてきた。もしまた大移動する必要があった場合は、また馬車を利用させてもらおう。……酔い止めの魔法や薬があればの話ではあるが。
「……水、飲むか?」
不意に、隣に座るウェツァさんが小ビンを差し出してきた。針金の輪っかが付いたコルクの栓がしてあり、中に透明な水が入っている。
「え? ……あ、ありがとうございます」
受け取った私は、少しばかりビンを眺めた後、針金を引いてコルクを抜いた。一口飲んでみると――うん、普通の水だった。
「……香草は要るか? 食えないが、気分が悪い時に噛むと、いくらかマシになる」
今度は短いニラみたいな草を差し出してきたウェツァさん。
気遣いを無下にするのもどうかと思い、それも受け取った。言われるまま、試しに噛んでみると――スーッとした味と香りが鼻の奥に入ってくる。……これは、この世界でのガムみたいなものだろうか? ミント味の。
「はは、えらく準備が良いな」
正面に座るラスティさんが、揶揄するような笑みで言ってきた。
「さっきの村で買っておいたのか? そういう気遣いとは無縁の男と思ってたんだが」
……失礼ながら、私も同意見だった。
「誰に仕込まれたんだ?」
「別に……よく馬車酔いするやつが、昔近くにいたんだ。おかげで、移動の前に一通り準備しておく癖がついた。……まあ、香草は二日酔いにも効くしな」
「へぇ」
ひゅーと口笛を鳴らすラスティさん。
「知らないうちに、お前も隅に置けないことをするようになったんだな。お前の近くにいて、馬車酔いするなんてそりゃ――」
「そういうのではない」
「いや、男友達だとしても、それはそれで驚きだ。士官学校時代、お前、いっつも一人だったじゃないか。一日ほとんどしゃべらず、どころか誰とも目を合わさず。それが乗り合いで誰かと旅するなんて――」
「そうでもない」
ウェツァさんは嘆息し、
「妹だ」
簡潔にそう言うと、そのまま窓の外を見やった。そっぽを向くように。
その返答に――ラスティさんは急に顔を曇らせ、
「……そうか」
とだけ呟いた。
そしてそのまま、ウェツァさんと逆側の窓の外に目を移したのだった。
今更ながら自分の不勉強に気付いたため、悪足掻きながらも数箇所修正しております。申し訳ありません……。




