5日目③「逃走」
冷静になると、扉はすぐに見つかった。
私が追い詰められたのと、逆側の角の近くにあったのだ。
今にもまた化け物が貯水池から出てきやしないかとビクビクしながら、私はその扉から部屋を出た。
――バタンッ
階段の踊り場に出た。上へ登る側と下へ降りる側、両方ある。部屋の中よりも余計に薄暗かった。
……正直、今の私の状況は、ホラー映画のそれだ。
気を抜いた瞬間にまた後ろから襲い掛かってくるんじゃないかと焦っているし、一歩進んだ先にまた化け物が待ち伏せてるんじゃないかと冷や冷やしている。早く二人と合流したい。少しでも安心したい。
――しかし、ここで考える。
その二人――ラスティさんとシオンちゃんは、上にいる可能性が高い。なのにシオンちゃんは、私が飛ばされる間際に『下へ向かいなさい』とアドバイスしてきたのだ。
……どういうことなんだろう?
普通に考えれば、ここで階段を下るのは合理的じゃない。二人との合流がより遅くなるだけのはず。化け物に出くわす確率が高くなる。危険なだけだ。
――でも
木の化け物との戦いの時、シオンちゃんのアドバイスが役立ったのは事実だ。
そして榊君も、そのシオンちゃんのアドバイスを重要視していた。
「…………ん~……んー……よし」
自分に言い聞かせるようにそう呟いて、私は下る方の階段を進み始めた。
一段進むごと、さらに闇は深くなっていく。暗がりがあるたびに私は立ち止まり、そこに魔物がいないか目を凝らして確認する。凝視する。見つけたら、すぐさま引き返せるように。
……やっぱり二つじゃ、足りなかったな。
腰元の道具袋を触りながら、今更ながら後悔する。
昨夜、私もこの魔物退治に連れていかれると聞かされた際、護身用の巻物を買い足すのは必須だと思った。
そして慌てて道具屋へ行って買い求めた時に、榊君が一昨日くれたアドバイス――『魔物の倒し方だって、効率的な方法ってのは決まってくる』との言に則り、私はあの巻物を選択したのだ。
単純な話だ。
湖が有名な村。そこにはびこる魔物。だったら、水棲生物的な奴が多いんじゃないかというのは、理に適った予測だと思った。
水の弱点。水に対して強い性質――ならば、『電気』だろう。
そんなわけで、私はあの道具屋で雷の魔法の巻物を購入したのだ。万が一のことを考えて、二本。
……今となっては、何で二本しか買わなかったのかと、あの時の私を叱責したい。怒鳴りつけたい。
命を守るためというなら、渋るべきではなかった。躊躇するべきではなかった。言わずもがな、お金で命は代えないのだ。取り返しはつかないのだ。だというのに、昨夜の私は、見事に日和ってしまい……。
――いや、後悔しても仕方ない。
とりあえず今は、万全を期し、いつでも逃げられるように身構えながら、階段を下りていくのみ。
おっかなびっくりの歩調のためだいぶゆっくりながらも、私は、ビルで言えば二階層分くらい階段を降りた。
そこの踊り場の脇。
部屋があった。ドアはない。
遠巻きに覗くと、大きな箱が所狭しと置かれているようだった。……荷物置き場だろうか?
――もしかしてシオンちゃんは、ここを目指すよう指示していたということなのかな?
足音を立てないようにそろりと近づき、ゆっくりと中を覗く。
相変わらずの明かり取りの弱々しい光。木箱が、目算で三十個くらい置かれている。閉じられているので、中身はわからない。壁際には、シャベルやつるはしやホウキのような道具がいくつか立てかけられている。
やっぱり、荷物置き場のようだ。……今の私に役立ちそうなものは何もなさそうだけど。
敢えて言うなら、つるはしくらいだろうか? ぶんぶん振り回せば、魔物を追っ払える? ――いや、見た感じそれなりに重そうだし、私の力じゃ振り回せなさそうだ。
……うーん、ここじゃなくて、もっと下に降りなきゃいけないのかな?
そう思いつつ、天井を見上げてみると――
「――…………ひぐッ」
夜中トイレに起きた際に、廊下で通称Gに出くわした時と似た感覚だった。
全身が総毛立った。
首筋が冷たくなった。
視認したのが何だったのか、一瞬脳の処理が追い付かない。
しかし硬直したまま見止め、理解が追い付く。
高く積まれた木箱の最上段に、いた――ナマズの化け物だ。
胡坐をかいて、座っている。
目が合った。
一呼吸おいて――
「…………うぅぅぅぅぅ~」
私は一目散に駆けだす。
一瞬迷ったが、降りる方の階段を選択。
――ボッッッゴォン
破壊音。土煙と共に、壁を蹴散らしてナマズが階段へ躍り出てくる。
――ボンッ、ボンッ
野太い音と共に、水鉄砲が発射される。
頭を抱えてしゃがみ込む。
頭上を風が通り過ぎ、目先の壁が破壊される。
爆風によろけながら立ち上がり、私は階段を転がるように降りていく。
三段飛ばし、四段飛ばし。
足の痛みになぞ、構っていられない。
走るというより、飛び降りていくのに近い。
化け物と距離が取れるよう、懸命に走り続ける。
一階層、二階層、三階層。
心臓が痛くなってくる。
足がもつれそうになる。
――いや、そもそも、私はどこまで逃げればいいのか?
――どこへ逃げ込めばいいのか?
そんな疑問が頭にもたげてきた、その時だった。
何個目かの踊り場へ着地し、さらに下へと階段に足を踏み出すと、案の定目の前に、
――さらに三つの大きな影
巨大エビの魔物達が、そこにいた。
三匹共が私に気付き、のそりと近づいてくる。
頭上では、ボンボンと壁を水鉄砲で壊しながら進んでくる音。
「…………あぁぁ」
全身の力が抜け、膝が床に落ちた。
三匹が壁となり、抜け出る余地はない。
眼前に立ちはだかる巨大な体躯。
振り上げられる、エビの腕。
うずくまるように、命乞いをするように、私は頭を抱え、へたり込む。
その瞬間――
「――……ングッ」
急に、私の顔が固い何かに押し付けられた。
目の前は真っ暗。
頭上で、バンバンバンと、木を薙ぎ倒すような鈍い音が、三度鳴る。
慌てて、その固い何かから顔を離した。その固い何かは――人間の肩だった。
そして見上げると――
――やたらと男前の顔の人が、私を見下ろしていた。




