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古井咲コノハの9日間  作者: 式織 檻
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4日目④「劣化品」

 宿に戻り夕飯を食べた後、私は半身浴に興じた。

 脚を揉みつつの約一時間のリラックスタイム。家族がいたのでは、こんな長時間にわたって浴室を一人で占有するなんてのはおよそ非現実的であり、普段ではなかなかできない所業である――そしてまた、このゴールデンウィーク、体調が回復したらやってやろうと私が密かに目論んでいたものでもある。

 お腹も膨れ、体もさっぱりし、いよいよあとは寝るだけ。寝る前にシオンちゃんにお休みを言いに行こうかと考えつつ、寝巻に着替えていると、


 ――カリ、カリ


 突然、扉が外から引っかかれているような音がした。

 私は心底ビクつき、お化けか何かかと恐れおののいた――が、その音の出どころがやたらと低い。三秒考えた挙句、私はようやく気付き、


「……ラ、ラメル?」


 と、ドアを開けた。案の定、扉の前で茶猫が私を見上げ、ナーナー鳴いていた。

 シオンちゃんの部屋に預けていたはずだが、抜け出して私の所に来たようだ。シオンちゃんの部屋に飽きたのだろうか――いやまあ、シオンちゃんは部屋の中でずっと本を読んでいるだけなので、猫としても、これほど遊び甲斐のない相手はいないのだろう。

 そもそもラメルは私の守護聖獣という話だし、寝るまでの間ならいいかと思い、中に入れてあげた。

 一体全体この子はこの部屋で何をしたいんだろうと思い眺めていると、部屋に備え付けの椅子に上り、そのまま丸くなってしまった。……ああ、部屋に飽きたというだけで、特段遊びたいわけでもなかったのか。

 何だと思い、私はベッドにぼふりと座り込む。その反動で、置いていたリュックが倒れた。


「……そういえば」


 疲れているのでどうしようか迷っていたが、ラメルがこの部屋で満足するまで、私は手持無沙汰になる。ならばやっぱりやっておこうと思い、私はリュックを持ち上げた――そして、スマホと今日買った修復魔法のカードを取り出す。

 ちゃんと使えるかどうか怪しいなら、早めにそれを確かめた方が良い。

 そんなわけで、買ったばかりの黄ばんだやつを選んだ。

 榊君との会話を誰かに聞かれるのは何だか気恥ずかしい気もしたが、相手は猫だし、隣のシオンちゃんに聞こえたとしても、あちらは何も気にしないだろう(正直、悲しいかな、私自身に対してもそんなに興味はなさそうだ)。

 これまでと同様、私はスマホを握りしめ、もう一方の手でカードを振るう。

 振るった際に散る光もこれまでより淡い気がしたけど、スマホの電源は入った。ちゃんと使えたようで一安心――と思いきや、


「……うわ」


 一ヶ所だけ違った。電池残量のマークの色が違う――三十パーセントくらいしか戻っていないのである。これまでは百パーセント近くまで戻っていたのに。


「……カードが劣化してるってこと?」


 いやまあ、一概には言えないのかもしれない。そもそも私は、修復魔法とは何を修復するのか、どの状態に戻すのか、そういう細かいところをまったく知らないのである。電池残量の戻りが違うのも、もしかしたらカードのせいなどではなく、ただの運である可能性だってあるのだ。

 通話時間がいつもの三分の一しかない。しかしだからと言って、別のカードで重ね掛けをするのは、それこそもったいない。

 ならば仕方ない、重要なことだけを簡潔に伝え、必要なことをスムーズに聞けるようにする。それしかない。

 私は履歴から榊君を探し、電話を掛けた。

 スマホを耳に持っていきながら、私は考える――特に今日は、『今朝の突然の出発』、『中間地点の村で一泊』、『魔物退治のお遣い』と、恐怖を覚えるほど、何もかもが榊君の示した通りの展開になっている。それがどういう原因でそうなっているのかはわからない。けれど、榊君のアドバイスが役立っているというのは、最早まぎれもない事実になっている。

 だったら、誤解を解くのを後回しにしてでも、できるだけ沢山のアドバイスを聞いておきたい。そちらの方が私の『この世界』での延命に直結するし、話せる時間が短いならなおさらだ。時間を有効に、効率的に!

 ――と思っているのに、今日に限って榊君がなかなか出てくれない。いつもなら、数秒待っていれば、待ち受け音が聞こえる間もなく出てくれるのに……。

 

 ――ププププ、ププププ


 という音を、数十秒、イライラしながら聞いていると、


『……はぁい?』


 と、ようやく出てくれた――しかし、声の調子がいつもと違う。全然違う。明らかに眠そうな声。というか、寝ていたのを起こされた反応だ。


『……木ノ葉? どうした、こんな時間に?』

「こ、こんな時間?」


 びっくりして、部屋の時計を見た。十時を少し過ぎたくらいだ。遅い時間と言えば遅い時間だが、昨日も一応、これくらいの時間にかけてたはずだけど。

 ……いやいや、違う。

 そもそも、前提が間違っているのかもしれない。こちらの時間とあちらの時間がまったく同じとは限らない。『あちらの世界』の中でだって、時差なんてものがあるのだ。この『別の世界』と比べたら、それこそ何の保証もないのだ。


「……あ、ご、ごめんなさい。寝てた、よね?」

『ああ、うん。……いやさ、今日も練習でね。丸一日、萩人先輩にしごかれたもんで……。正真正銘の地獄だった……。おかげで、帰ってくるなり、そのまま寝ちゃってね……』


 欠伸しながら答えてくれる榊君。


『……で、なに、急用?』

「あ、ううん、そ、そういうわけじゃないの」


 と思わず言ってしまう私。


「疲れてるなら、その、悪いから、また日を改めるよ」

『……そう? なんか、悪いね、何だったらメッセージでも入れといてくれれば、あとで見るよ』

「あ、うん、そうす――ああ、いや、まあ、明日、もっと早い時間に電話するようにするよ」


 私は慌てて言い直す。電話が繋がったからと言って、メッセージも送れるという保証はまだないのだ。


『そう? まあ明日は練習ないし、一応どの時間でも大丈夫だと思う』

「うん、わかった。じゃあ、また明日」

『はいはいはい……』


 と言って、通話は切れた。最後の声のトーンから察するに、そのまままた眠りに入ってしまうような感じだった。本当に疲れていたんだ。何だか悪いことしちゃったな、と罪悪感を覚える。……いや、実際のことを言えば、よくわからない世界で迷子になっている私の方が切羽詰まっているはずでは? 客観的に見ると、私の方が気を遣い過ぎだろうか? もう通話を切ってしまっている手前、反省してももう遅いが。


 ――しかし、である。


 こんなこともあるのか、と身につまされた感覚だ。修復魔法を使ってもバッテリーが百パーセントになるとは限らないし、たとえ時計が同じ表記でも、こちらの時間とあちら(日本)の時間が完全にリンクしているとは限らない。そしてまた、榊君の都合が悪ければ、会話ができず、そのままカードをふいにしてしまう可能性もある。

 これから電話するときは、諸々ちゃんと考えなければならない。

 そして、ある程度のリスクも覚悟しなければならない。

 今日も色々アドバイスを聞きたかったのに、何も聞けなかった。……そりゃ確かに、無理を言えば、榊君ももう少し話してくれたかもしれない。しかし、それで万が一機嫌を損ねて、これ以降電話を取ってくれなくなったりしたら大問題だ。私にとっては死活問題だ。自殺行為にも等しい。榊君以外の人に電話が繋がった実績はまだないわけだし。

 スマホ画面を見ると、電池残量はすでに一パーセントだった。この状態で他に何かできるか――と考えているうちに、結局またブラックアウトしてしまった。

 溜息を吐きつつ、スマホをカバンに入れる。

 見ると、ラメルはいまだ椅子の上で丸くなっていた。

 私はばふっとベッドに横になり、天井を見上げた。貴重なカードを一枚ムダにしてしまった虚脱感、情報を何も得られなかったことに対する虚無感――だけでなく、それ以上にやりきれない感覚が沸き起こる。

『こういうことなら、僕も断然協力するし』と言ってくれていたのに……と、半ば当てつけみたいな感情になる。

 少し大袈裟かもしれないけれど――



 ――何と言うかデートをすっぽかされたみたいな。

 ――デートなぞしたことないが。

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