4日目②「ヴィーツェ村」
今朝の食堂での話し合いにおいて、致命的な欠陥があったことに気付いたのは、出発してからおよそ三十分経った頃だった。
いや、頭の片隅では、何かおかしいな、何か変だな、と思ってはいたのだ。何となく感じてはいたのだ。ただ、それが何なのか、何に起因するものなのか、明確な解答を取得するのにいささか時間を要してしまったのだ。今朝のやり取りをもう一度丁寧に反芻すれば、わりあい簡単にたどり着ける問題だったのだ。
――シオンちゃんとラスティさんはレイド国へ旅立つ。
――シオンちゃんに、昨日の疲れは無いようだ。
――ならば、急ぎ、今日出立する。
――レイド国には情報が集まる。
――コノハも来ないか?
――わかりました、行きます。
――三人で、今日出発することに。
…………コノハの疲労具合の確認は?
この極めて重要な点を見逃したおかげで、実に六時間にわたり、私は拾った木の枝を杖代わりに、ひーこらひーこらと、足を引き摺りながら進む羽目になったのだ。
小さい歩幅ながらもすたすたと歩くシオンちゃん(頭の上に茶猫装備)がいるため、なかなか休憩を申し出ることもできず、私はただただ足を動かすことだけを考えて、ひたすら二人についていった。一応、道自体はある程度踏み固められていて、昨日よりはいくらかマシなのが救いだった――が、あろうことか最後の一時間は山道を登ることになり、最終的に私は先導するラスティさんを目一杯睨みつけることになった(ちなみに、昨日と同様、途中八、九回ほどラスティさんが「おんぶ」という単語を発したが、当然のことながら、スルー以外の選択肢は無い)。
現実逃避の一環として、朦朧とした頭の片隅で茶猫の名前を考えつつ、いくつかの候補の中から最終的に「ラメル」(もちろん、キャラメルから来ている)に決めた頃、ようやく私たちは村に辿り着いた。
入り口として作られた木製のゲートをくぐり、まず目に入ったのは、大きな湖だった。
いつだか家族旅行で行った琵琶湖を思い出させる風景だったが、さすがにそこまで大きくはない。対岸もちゃんと見える程度(百メートルくらい?)。夕日に照らされて、真っ赤に輝いていた。
そしてその周りに木造の家がてんてんと建っており、さらにその周囲は森に囲われていた。一言で言えば、山間の村、といったところだろうか。
「……ここは?」
膝に手をつき、息も絶え絶えにラスティさんに聞いてみた。
「ここはヴィーツェ村さ」
と、疲れなど微塵もなさそうなラスティさん。
「ほら、湖がキレイだろう? ここは知る人ぞ知る名所でね。アクセスに若干難はあるけど、この景色のために、観光に訪れる客もそれなりにいるんだ。この湖のほとりでプロポーズしたカップルは数知れず。コノハにもぜひ一度見てもらいたかった風景さ」
……風景? ……まさかそのために、こんな山道を?
「まあ、あのエイネ街からレイド国へ向かう、丁度中間点にこの村があるんだけどね。最短で向かおうとなると、こういう道程になる。この山を西に降りて、三、四時間歩けばレイド国さ」
……あと、三、四時間。
「まあ、今日はもう遅いし、暗い中で山道を歩くのは危険だからね。今日はここで宿泊する」
「そうですか……」
ぱちんとウィンクするラスティさんに、私は溜息混じりで答える。
中間地点の村で一休み――ここまで榊君の説明通りになり、いよいよ恐ろしくなる。けど、どちらにしろ、休むしかない。今日はもう歩けない。
「……さて、この山のふもとには西ヴィーツェ川という大河があってね、明日はそこを越えなければならないんだ。渡し舟もあるにはあるが、数年前に魔獣が出没して以降、開店休業らしくてね。今はほとんど運行されていない。代わりに、歩行者用の地下道があって、一時的に流路を変えて、そこを通れるようにするんだけど、この村で申請しなければならないという話なんだ。だからちょっと、今日のうちに申し込みをしてこよう」
そう言って、ラスティさんは湖の際に立つ小屋の方へ歩いて行った。入り口付近に手作り感満載の大きな看板が立ててあり、そこには『地下道申し込み案内所』と書いてある……と、シオンちゃんが教えてくれた。
大河、魔獣、地下道――これらの単語に一抹の不安を抱えながらも、戸をノックするラスティさんを私は見守る。間も置かず、「はいはい」という返事がして、中から白髭のおじさんが顔をのぞかせた。
ラスティさんはこほんと咳払いをし、姿勢を正して、
「ああ、こんな夕暮れ時にすみません。我々、旅の者でして。明日、西ヴィーツェ川の地下道を通りたいのですが」
「ああ、地下道?」
話を聞くや、白髭のおじさんは眉をハの字にし、困ったような顔になった――この時点でこの先の展開が読めてきてしまい、私の不安はいよいよ大きく膨れ上がる。
「――ああ、悪いけど、地下道は今、通れないよ」
「えぇっ? ……ど、どういうことです?」
困惑顔になるラスティさん。
やっぱり! ――と、私は心の中で叫んだ。
おじさんは腕を組み、
「いや、その水路の切り替えをする管理室ってのが、この山の中にあるんだがね」
と山の奥の方を指さす。
「三日くらい前だったか。急にその小屋の周辺に魔物が出てきて、どうやら巣食ってるみたいでさぁ。村人が誰も近づけなくなってんだ」
「……魔物、ですか」
「ああ。でっけえのが何匹もいるって話で、素人じゃどうにもならねえってな。数も多いから、隙を見て小屋に入ることもできねえし。そこが使えなきゃ、この辺の水路の制御がなんも出来なくなっちまうからさ。村の生活も畑仕事もままならねえってんでまあ、近くの街に討伐を依頼してるんだが。こんな山ん中の村だし、人手も足りねえって言われてな。なかなか来てもらえねえんだわ」
おじさんは、やれやれと言わんばかりに大きな溜息を吐いた。ついで、眼前のラスティさんが腰に剣を差しているのに気づいたようで、
「……なんだ、お兄さん、騎士さんなのかい?」
「ええ。レイド国騎士団に所属しています」
「そうか! なら、ちょうどいいわ!」
急に声の調子を上げるおじさん。
待ってくれ! やめてくれ! ――という私の願いもむなしく、おじさんは続けざまに言った。
「――お兄さんたち、小屋に巣食ってる魔物、倒してきてくれねえか!」




