4日目①「出発」
昨日と同じく、私は九時半に食堂へ向かった。
「おはようございます」
と言って勝手口を開けたが、中は暗かった。昨日はこの時間、すでに女将さんと旦那さんが料理の下準備を始めていたのだが、今日はその気配はない。
厨房を覗き込んだが、やはり明かりも点いておらず、どころか、今日はまだ人が入った様子もなかった。
皆で寝坊でもしてるのだろうかと、辺りをきょろきょろ見回していると、
「……ナ~」
と言って、茶猫が私の足元にすり寄ってきていた。私のくるぶしのあたりに頬擦りをしている――この子は、私が宿に帰る時も、このお店にあずけることにしたのだ。どうやらアレルギー持ちである私は、長時間この猫の近くにいるとくしゃみが止まらなくなってしまう。同じ部屋で過ごすわけにいかないため、仕方なくの措置である(私は動物好きだし、なんなら猫派である)。
昨日の帰り道の感じからして、少しの接触であれば大丈夫そうなので、
「ああ、おはよう。……みんなはどこ行ったの?」
と、あいさつがてら、頭を軽く撫でた。
私の言っていることがわかったのか何なのか、茶猫は案内でもするように、通路の奥の方へトコトコと歩き出した。
連れられて店の方に出てみると、そこに皆がいた。
女将さん、旦那さん、シオンちゃん――そして、ラスティさん。
食堂の席に座り、話し合いでもするかのように、テーブルをはさんで互いに対面していた。
「あ、お、おはようございます。……え、皆さん、ど、どうしたんですか?」
このメンツに違和感を覚えながらも(ラスティさんがすでにお店にいる?)聞いてみると、ラスティさんがすくりと立ち上がり、
「やあ、おはよう、コノハ。今日もいい朝だね」
と言いながら、私の真ん前に立って、私の手を取ってきた。そしてさも当たり前のようにそれをそのまま口元へ運ぼうとしたものだから、私は慌ててひっぺがしつつ、
「え、な、何ですか? ……みなさんで、何か話し合いでもしてたんですか?」
「そう、それなんだがね」
と言って、ラスティさんが演技じみた苦笑と共に、
「俺とシオン様は、レイド国へ帰ることにしたんだ」
と説明してくれた。
「昨日、シオン様が見つかったことを団長に報告したんだけどね、できるだけ早く帰ってくるように言われたんだ。なんせ、降神祭も近いからねえ――だから、今日これから、レイド国に向けて出発することにしたんだ」
「きょ、今日ですか?」
急な話だ。
そりゃあ、ラスティさんは家出(?)のシオンちゃんを探しに来ていて、それが見つかったんだから、連れ帰るのは当然だろう。二人で元いた国へ帰ることになるだろうことは、昨日の時点でわかっていた――けれど、昨日の今日で出発ってのは、あまりにも急じゃないだろうか?
「昨日、あんなに森の中を歩き回ったばかりなのに、体は平気なんですか?」
「ああ。シオン様がお疲れなら、少し出発を延ばそうかとも思ったんだがね、問題ないとのことだよ」
「準備は、大丈夫なんですか?」
「うん、まあ、俺は元々あちこちを巡っていたところだから、支度なんてあってないようなものだし。シオン様も、特段準備が必要なものはお持ちではないから。すぐにでも行けるのさ」
「そ、そうですか」
ならば、私に引き留める理由は何もない――だた、シオンちゃんとあんまり仲良くなれなかったという、個人的に残念な話というだけだ。
「……寂しくなりますね」
「君に偲ばれるのは、俺としても最上の誉れだよ」
……シオンちゃんの話です。
「ただ、俺にもシオン様にも、やることがある。早く戻らないと、色々な人に迷惑が掛かってしまうからね。この日程は覆せない。で、相談なんだが――君も来ないか?」
「そうですね、居場所があるなら、やっぱりそこへ帰るべき――え? 来る? って、わたし、ですか……?」
「ああ」
と、大きく頷くラスティさん。
「まあ、理由としては当然、君ともう少し時間を共有出来たらという、俺の個人的な希望が大きいんだが――」
それは、こちらとしてはどうでもいいことです。
「君にとっても有益と思っての進言さ。我がレイド国は、他国との交易が盛んでね。各国から色んなものが集まるのさ。モノも、人も、文化も、情報も。……コノハ、君は『元いた世界』へ帰りたいんだろう? 帰る方法を見つけたいんだろう? だったら、その情報集めは、レイド国――特にその中心街の城下町――で行う方が、断然効果的で効率的だ。できるだけ早く帰りたいなら、君の立場からしても来るべきなのさ」
……レイド国というのは、そんな場所なのか。ここが地方都市だとしたら、東京みたいなもの? ……そんな便利な場所なら、私としても行かない手はない。いつかは行かなければならない。でも――
「――でも、お店のお手伝いもありますし、そんな急には行けませんよ。シオンちゃんがいなくなるならなおさらです」
一昨日と昨日の数時間のお手伝いで、ヘトヘトだったのだ。それをいきなり二人も抜けたらどうなることやら、である。見ず知らずの土地で働かせてもらい、昼食や夕食を食べさせてもらった。その恩に後ろ足で砂をかけるような真似は、私としてはどうしたってできない。しかし、
「はっは、コノハ。昨日も言ったろう?」
今度は、女将さんが答えた。
「一日ちょっととはいえ、手伝ってもらったおかげで腰もだいぶ良くなったし、元々二人でやってた店なんだ。やれないことはないのさ」
「でも――」
「それに、ようやく決めたんだ」
「決めた?」
「ああ。ふらふらしてるウチの息子を呼び戻して手伝わせるのさ」
女将さんはにかっと笑った。
「あんたら二人の仕事ぶりを見てて、心底思ったのさ。こんな若い子がこれだけ一生懸命働いてくれてるのに、あの放蕩者ときたら……若いうちにきちんと根性叩き直してやんなきゃならないってね。もう今朝がた手紙は送ったし、返事がないようだったら、旦那が力ずくで引きずってくるさ。だから、店の心配はいらないよ。あんたはあんたのしたいようにすればいい」
改めて私に笑いかけてくれる女将さん。これは女将さんの強がりとかじゃないだろうかと勘ぐっていると、
「……私も、来た方が良いと思う」
と、次に目が合ったシオンちゃんにも言われた。
これだけの人数に説得されたら――もう、そうする以外にない。
私は姿勢を正し、
「……わかりました。では私も、その――レイド国? に行かせてもらいます。女将さん、旦那さん、短い間でしたが、お世話になりました」
と言って、頭を下げた。
足元では、私の決断に満足したかのような、「ナ~」という茶猫の一声。
出発予定の十一時に間に合うよう、荷造りをするために、私は宿へとんぼ返りした。
――またもや榊君の言った通りになり、若干そら寒いものを感じながら。




