3日目⑥「守護聖獣」
「ど、どうした、コノ――……し、シオンさまっ!」
何事かと小屋の中に駆け込んできたラスティさんも、大口を開けた驚愕の表情になった。
「こ、こんなところにいらしたのですか! 殺気もないし物音もしないし、てっきりこの小屋は無人かと……いや、それよりも、ご無事ですか? お怪我は? というか、一体なぜこんな場所に? いや、そもそもどうしてエイネ町へ来られたのですか! それも無断で! レイド王も王妃もうちの団長も、心配していて……ああ、いやいや、それも後ですね。とにかく一旦町へ戻らねば――」
ラスティさんも混乱しているようだった。
あたふたとしているラスティさんをぽかんと(単に無表情というだけかもしれないが)眺めているシオンちゃん――私はシオンちゃんの真ん前に立ち、中腰になり、尋ねた。
「……どうしてこんなところに来たの?」
正直、私を含めて色んな人に心配をかけたことを怒りたかったが、まずはシオンちゃんの事情もちゃんと聞いておかなければと思い、なるたけ冷静に聞いてみた。
シオンちゃんはゆるりと私の方を見てきて、
「あなたを探してた」
「わ、私っ?」
予想外の返答だった。
「な、何で私を……? いや、だって、私はあの町にいるのに。一階にいたのに。……え、ど、どうしてシオンちゃんは私を探してたの?」
「違う」
シオンちゃんは首を横に振った。……違う?
「わたしが探してたんじゃない。……あなたを探してたのは、この子」
言いながら、シオンちゃんは自分の小脇に目をやった。
つられて私もそちらを見ると――シオンちゃんの膝の横に、何やら塊が置かれていた。
茶色くて丸い毛むくじゃら。シオンちゃんがそれを撫でると、そいつはむくりと顔を上げた。
「……猫?」
見た目的に、正真正銘の猫だった。背中が茶色で、お腹が白い。懐かしさを覚えるくらい、日本でもよくみる類の猫だった。
そいつはちらりとシオンちゃんを見上げると、また何事もなかったかのように丸くなる。背中が全面茶色なので、丸くなると完全な茶色いボールだった。
「ど、どうしたの、この子?」
「……ここに隠れていた」
猫の背中をさらさら撫でながら、シオンちゃんは答えてくれた。
見ると、猫の右の前足に、白い布がぐるぐると巻かれていた。
「この子……ケガしてるの?」
「外で魔物に襲われた。だからここに逃げてきた」
外の魔物……もしかして、さっきの木の化け物だろうか? この建物には結界魔法とやらがかかっているそうでなので、逃げ場としてはうってつけだろう。
そこまでは理解できるが、それよりも――
「――えと、さっきの『私を探してた』っていうのは、どういうこと? どういう意味?」
「この子が、あなたを探していた」
「いや、それは聞いたけど」
言葉の意味はわかるが、その真意がよくわからないのだ。
どういう聞き方をすればいいのかと考えていると、
「……ふむ、微量ながら魔力を感じるし、どうやらこの猫は『聖獣』の一種のようだね」
と、ラスティさんが言葉を挟んできた。……聖獣?
「体内エーテルを宿した動物のことさ」
「え? それって、魔物ってことですか?」
「同じ状態だけれど、厳密には違うよ」
と、ラスティさんは首を横に振る。
「魔物は、エーテルの影響で衝動の制御ができなくなってしまった状態の生き物だ。だから見境なく人間や他の動物を襲ったりするし、たとえ意識を保っていても、ストッパーを有しない欲求のままの行動をとる」
さらにラスティさんは説明を続け、
「対して聖獣は、エーテルの影響をちゃんとコントロールしている状態だ。だから敵性本能をまき散らしたりはしないし、魔物と違ってこういう結界魔法も問題なく潜れる。後天的に聖獣になる場合もあるけど、ほとんどは生まれつきのものだよ」
ここまで言って、ラスティさんは猫の前でしゃがみこんだ。そしてその背中をさする。猫は特に嫌がる様子を見せない。この子、人には慣れているんだろうか。
「そして聖獣は、元来決められたもののためにその力を使うことが主だ。何かを排除するためだったり、何かを助けるためだったり、特定の地域を守るためだったり、あるいは特定の誰かを守るためだったり――特に、何かを『守る』ことを使命とする聖獣のことを、一般的に『守護聖獣』なんて括りにしたりするんだ」
守護聖獣……。
「そう。先祖代々何かしらの地位にいる人を守っていることが多いね。あとは、神官や魔導士を生業とする人が連れていたりする」
ここで猫から手を放し、ラスティさんは私を見てきた。
「――つまりこの猫は、君の守護聖獣ということだね」
「わ……私の?」
話がわからない。わからなくなった。
この猫は聖獣であり、(シオンちゃん曰く)私を探していた。だから私の守護聖獣……ということ?
その理屈自体はわからないではないが、エーテルについても何も知らず、当然魔導士とかでもなく、この世界では何者でもない私に、どうして守護聖獣なんてものがいるんだ? この猫とだって初対面なのだ。
「コノハ。君は意図せず『別の世界』から『この世界』にやってきたという話だけど、その手掛かりがこの子にあるかもしれないね。ぶっちゃけて言えば、守護聖獣の発現なんてのは、いつも意味の分からないところから始まるものだ。どんな文献を読んでもね。その意味は、おいおいわかってくるものだと思う――とりあえず今は、この子を保護することが第一だね。弱っているようだし。こんな小さい子を、魔物がいるこんな森の中に放っておけないし」
「……いや、まあ、それはそうですね」
はぐらかされたような心持で、私は頷きを返す。
シオンちゃんの方を見ると、同意したとばかりに小さく頷いた。
「私の、守護聖獣……」
自分で言ってその言葉に戸惑いつつ、私は猫の背中を撫でてみた。
すると、猫はおもむろに顔をあげ、私の手をぺろぺろと舐めてくる。警戒も何もなく、一気になつかれているような感じだ。
「……でも、シオンちゃん。いくらこの子を保護するためとはいえ、何も言わず急に出て行ったらダメだよ。おまけに夜に」
「急いでいた」
「でも、どこへいくかちゃんと言っておかないと」
「メモを残した」
「日本語で書かれても、みんな読めないよ……」
「あなたに伝えるには、あの言葉で書くしかなかった」
淡々と答えるシオンちゃん――どうやら本当に、あのメモは私に知らせるためのものだったようだ。『コノハのために、コノハの代わりにエイネ渓谷へ行く』という。
シオンちゃんが日本語を知っていたのも驚きではあったが、この歳で国お抱えの巫女様だし、難しい本をつらつら読んでいるし、ツッコむ方が野暮なのかもしれない。
とにかくと思い、私は
「さあ、早く帰って、女将さんに報告しましょう」
と立ち上がった。
「そうだね。俺も団長に早く報告したいな」
と同調するラスティさん。
「ただ、帰りにも魔物に出くわす危険もあるし、戦闘直後で疲れもあるだろう。昼休憩がてらここで昼食をとって、後発の町の警備団の人たちと一緒に戻った方が安全だろう」
「そうですね」
私は首肯する。実際私も(恐らくこの中で一番)疲れていたし、異論はなかった。と――
「――っくしゅ、っくしゅ」
くしゃみが出た。二連発だ。
「風邪か? 大丈夫かい?」
「え、ええ」
私はティッシュで鼻を拭いながら答える。治ったばかりだというのに、ぶり返したのだろうか。やっぱり疲れが溜まっていたのだろうか。
……そりゃまあ、自分でも無理もないと思う。わけのわからない異世界に放り出されて、あれこれと巻き込まれ、肉体的にも精神的にも限界には達していたんだろう。ずっと緊張状態にあったのが、シオンちゃんを見つけて一安心し、体が正常な反応を返したということだろうか。
「……とりあえず、早く休みたいです」
私はソファーにどさりと座り、ため息とともに呟いた。
その後は、先ほどラスティさんが提案した通りの段取りで動くことになった。
小屋で女将さんお手製のお弁当を三人で食べ、町の警備団の人たちが到着してから、守られるようにして森の中を歩き、日が赤くなってきた頃合いで町に到着したのだった。
ちなみに、森を歩いている道中、私の守護聖獣だという猫を抱えるたびに、私はくしゃみを繰り返していた。今日は早く寝ようと心に決めていたが、しかし、額に手を当てても特に熱っぽくもないし、さらに猫がシオンちゃんの頭の上へと居を移すと、なぜかくしゃみは落ち着いた。
何でかな、何かおかしいな、と思いつつ帰路を歩み、ようやく
『動物アレルギー』
という単語に思い至ったのは、町にたどり着いた頃だった……。




