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古井咲コノハの9日間  作者: 式織 檻
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3日目④「魔物退治」

「……ふゅへ……え……」


 相変わらずの情けない悲鳴を上げながら、私は尻もちをついた。だいぶ勢いの付いたヒップスタンプだったわりに、枯れ枝の上だったおかげで、ダメージは少なかった――が、そんなことを気にしているどころじゃなかった。

 虫か動物のようにわさわさと動くそいつから、私は目が離せなくなっていた。

 気味が悪かった。

 気持ち悪かった。

 葉っぱと枝と幹とでできているはずなのに、そいつはやたらと俊敏に動く。動物のように動く。わけのわからない生物だ。獣ではないようだし、看板に書いてある魔獣ってのとは別なんだろう。じゃあ、こいつは一体何なんだと思っていると、


「……ふん、魔物のおでましか」


 と、ラスティさんが答えを言ってくれた――魔物……モンスターって奴か?

 枝をぶんぶん振り回し、まるでのたうち回るように動く木のお化け。上の方にある顔みたいなうろが私の方を見たかと思うと――びゅんと風を切りながら、鋭い枝が私の方に伸びてきた。

 しかし、私は腰を抜かしたまま動けない。

 思わずぎゅっと目を瞑る。

 顔を腕でかばう。

 ――と、ザンザンと鈍い音が聞こえた。

 痛みはない。

 そろりと目を開けると、私の足元に斬られた枝がぼとりと落ちた。顔を上げると、ラスティさんが剣を高々と上に掲げていた。


「コノハ……下がっていて」

「は、はい」


 答えたが、震えて立てず、私は這いずるようにわたわたと後ろへ下がった。化け物からできる限りの距離を取る。木の陰に隠れるようにして、ラスティさんを見守ることにした。

 ……しかし、やはりだ。やはりだった。ラスティさんが腰からぶら下げていたのは剣の鞘で、その中には本物の剣が収まっていたようだ。

 街中でもこんな格好をした人は何人か目に入っており、物騒だな、銃刀法はこの国にはないのか、と半ば他人事のように思っていたが――なるほど、一昨日の狼も含め、こういう危険生物がいるから、たくさんいるから、皆こういうものを持っていたのか。携帯していたのか。私はようやく腑に落ちた(誰か先に教えておいてくれ、というのが本音だが……)。

 木の化け物は、ターゲットをラスティさんに移したらしく、今度はラスティさんに向かって枝をびゅんびゅんと飛ばしていく。

 しかしラスティさんはその枝をことごとく斬り捨てていく。どころか、斬るごとにじりじりと化け物との距離を詰めていっている。

 飛んでくる枝は私にはまったくもって目で追えない速さだが、ラスティさんにはだいぶと余裕があるようだ。時折首を曲げ、私の方を見てくる。

 私に危険が及んでいないか気を配ってくれているのかと思ったが、その笑顔の具合から察するに、意識は別のところにある模様――どうやら、今の自分の雄姿を私がちゃんと見ているかの確認のようだった。いちいちキメ顔みたいな表情を作っている……。

 ほどなく、ラスティさんは化け物の真ん前にたどり着いた。そして二方向からの枝の攻撃をかわして飛び上がり、


「〈炎の剣(エメラ・ヴェルツ)〉」


 と、空中で剣を振り上げながら叫んだ――途端、ラスティさんの剣先から、大きな火柱が立ち上った。熱そうな炎が剣の周りで渦巻いている。そういう武器なのか、もしくはこれも魔法の一つなんだろうか。

 まるで炎の渦に包まれているような状態のラスティさん。そのまま、剣を勢いよく振り下ろす。

 ゴゥ、と目の前でロケットが発射したかのような炎が巻き起こる。

 その炎に包まれた木の化け物は、


『シーーーーーーーー』


 と、断末魔のような声(音)を上げた。

 化け物とはいえ、植物ならば、火で燃えるだろう。燃えやすいだろう。

 このまま消し炭になってくれるかと、私が祈るように胸の前で手を合わせた、その瞬間だった。


 ――いきなり、びゅおっと突風が巻き起こる。


 そして、視界が風に舞う葉っぱで埋め尽くされた。前も後ろも、上も下も、右も左も、全てが緑。気持ち悪いくらいの緑。思わず身を守るように腕で頭を抱え込んだが、すぐに視界は戻った。

 さっきと同じ、森の中の開けた場所。木の魔物。ラスティさん。――唯一違うのは、ラスティさんの両手両足にぐるぐるとツタが巻き付いていることだった。


「……やれやれ」


 と、自身の腕と足を見下ろしながら呟くラスティさん。どうやらそのツタはぎゅうぎゅうと絞めつけているらしく、ラスティさんはわずかに顔を歪めていた。剣も取りこぼし、足元に落ちていた。

 木の魔物は再び、枝を飛ばしてラスティさんを攻撃していく。

 危ない、と思ったが、ラスティさんは流れるような所作でナイフをどこからか取り出した。そしてそのまま左腕のツタを切り裂き、自由になった左手でこの枝をザンザンと斬り伏せていく。

 しかし、さっきと違って片手だし、リーチも短くなったし、足も動かせない。対処がギリギリになっている。一撃ごとに、ラスティさんの腕や足や頬に切り傷が増えていく。もはや長期戦というか、持久力の勝負のようになっていた。

 ――と、


「コノハ!」


 と、ラスティさんが枝を斬り捨てながら叫んだ。


「君は一旦、町へ戻ってくれ!」

「え、に、逃げろってことですかっ?」

「有体に言えばそうだが、正確に言うなら、万が一のことを考えて、安全な場所に戻ってほしいということだ! 騎士団の小隊長がこんな魔物一匹に負ける道理はないが、最悪の場合、君にケガを負わせてしまう可能性もある! 情けないが、一時避難してくれ!」

「ふ、は、はい!」


 私は答えながら、よたよたと立ち上がる。そしてわたわたと魔物から離れるように駆けだした。

 森の中で別の魔獣に出くわさない保証もなかったが、この魔物のそばにいるよりはマシだろう。ラスティさんもそういう判断なんだろう。

 それに、そろそろ町の警備団の人たちが追い付いてくる頃かもしれない。途中で出会えれば、その人たちに助けを求めればいいのだ。

 遅い脚ながらも、私は懸命に森の中を走る。走りながら、ちらりと後ろを振り返った。

 ラスティさんは足を掴まれたまま、魔物の攻撃を斬り返し続けている。負ける道理はないと言っていたが、どこまでが強がりかわからない。逃げるにしても、助けを求めるにしても、どちらにしろ急がねば。

 ――と、

 その光景に違和感があった。……いや、ラスティさんや魔物じゃない。その森の風景の一部。地面の上――私が最初、尻もちをついたところにある『枯れ枝』だ。


 ――雑草が生え広がっている中に、ぽつんと、茶色い枝が積まれているのだ。


 何かの動物の巣かもと思ったが、それもおかしい気がする。こんな開けた場所の地面の上に、堂々と巣を作る動物などいるのだろうか? 近くにいた時は気にならなかったが、離れて見ると目立つ。違和感が際立つ。

 それに、だ。

 私が尻もちをついた時――ようは、その枝が積まれた場所にヒップアタックをかましてしまった時――木の魔物はのたうち回るように動いていた。つまり……あの時、奴は苦しんでいた?


 ――もしかして、奴の弱点みたいなものが『あそこ』にある?

 ――あそこを攻撃すれば、奴を弱らせることができる?


 そんな突拍子もない予測が私の中に生まれる――生まれはしたが、じゃあどうする? という話になる。

 私にできる攻撃方法など限られているし、『これ』をやってしまうと、自衛の手段を失ってしまうことになる。この予測が外れていた場合、私はさらに危険になってしまうのだ。

 賭けでしかないのだ。

 この『世界』の初心者たる私の心許ない賭けだ。

 

 ――でも……でも、『あの』アドバイスもある。


 私は意を決し、立ち止まり振り返り、魔物の方に再度近づいて行った。

 私が戻ってきたのを見止めたラスティさんが「何をやっているんだ」というような目で見てきた。が、私は構わず、腰元の道具袋からノーラさんに貰った巻物を取り出した。そして、一昨日ノーラさんがやったのを見よう見まねで、その巻物をばさりと広げた。

 すると、大きな火の玉が私の眼前に浮かび上がった。

 そしてそのまま、勢いよく正面に発射される。

 狙いはアバウトだったが、火の玉は十分大きい。枯れ枝が積まれた場所に直撃――と言うよりは、当たった範囲に例の枯れ枝も含まれてくれた。

 火の玉の勢いにまたしても尻もちをつきつつ――今度は土の上だったので痛かった――魔物の反応を見た。すると、


『シーーーーーーー』


 と、案の定というか、狙い通りというか、希望通りというか、奴はいきなりぶんぶんと幹を左右に揺らしだした。明らかに苦しんでいる動きだった。ダメージがあったようだ。

 そのタイミングで、締め付けが緩んだのだろう、ラスティさんは飛び上がり、ツタから逃れた。そして魔物の正面にすたんと降り立つ。


「……なるほど、そこに〈核〉を隠していたのか。道理で、さっきの炎撃でもダメージが少ないと思った」


 苦笑と共にそう言いながら、取りこぼしていた剣を拾うラスティさん。そしてそのまま横なぎに構え、


「〈炎の円エメラ・レイズ〉」


 と叫ぶ。その声と同時、剣はまたしても炎に包まれた。

 間髪入れず、ラスティさんはその剣を水平にふるった。円を描くような軌跡。範囲一帯、木の魔物もそして枯れ枝のところも、すべてがごうっと炎に包まれる。


『シ、シ、シ、シ……』


 と、炎の中で木の魔物は震える――しかし段々その震えは弱弱しくなり、ほどなくしてぴたりと動かなくなった。

 炎が消えた後も、魔物は動かない。一本の黒ずんだ大木と化していた。黒い煙と、木の焦げた臭いだけが辺りに充満している。

 その大木の真ん前に立ち、ラスティさんは、


「素晴らしいな、コノハ! 助けられたね!」


 と、私の方を振り返って笑みを向けてきた。

 どうもどうやら、これは私のお手柄のようだ。ならば、私も笑顔と共にサムアップでも返した方が恰好よかったのだろうが、


「ははは……」


 と、私はその場にへたりこむばかりだった……。

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