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価値の論議   作者: 水素
1/1

その一

 少し人の価値について論じてみたいと思う。

 まず、価値とは何か。

 ここでは「ある対象(人かもしくは動物)のとってそのものが必要不可欠または重要なもの、もしくは存在」に対して使う言葉として価値を定義したい。

 例えば、生物にとって水や酸素、食物は重要なものである(超好熱菌や化学合成細菌などの特殊な場合はここでは除く)。

 また、ある本があったとする。ある人にとってはどうでもいい本かもしれないが、ある人はこの本のおかげで自殺せずに済んだ、またはある人はこの本は子供の頃から大事に持っている宝物かもしれない。

 つまり、ある特殊な場合を除き価値というのは対象の変化で同様に変化するものである。

 言うならば、価値は相対的なものである。

 前置きは以上としてそろそろ本題に入る。

 人の価値とは何なのか。

 前述の通り「ある対象にとって」という定義から、人を見る対象を定めなくてはならない。

 一視点として人以外の生物から見てみたい。ただ、我々人が人以外の視点から見るのはもちろんあくまで想像上の仮定、つまり思考実験の一種に他らならない。そのため多くの点で筆者個人の見解が含まれるが了承していただきたい。

 人が考える生物にとっての視点として、第一に自然破壊が挙げられよう。

 地球温暖化は二酸化炭素が原因なのかそれ以外の要因によるものかこの辺りは気象学者の見解に委ねるが刻々と気温が上昇し、一部の海域でのサンゴの死滅。オニヒトデの大発生。一部の熱帯もしくは温帯域の魚類の分布域の北上など地球温暖化が原因とみられる現象が各地で起こっている。

 また、森林の伐採も呼び砂漠化も同様に深刻である。

 この議論で注目に値するのは食べること以外の動物の狩猟、漁獲である。

 例えば、ツノザメ目ツノザメ科のアブラツノザメは不法乱獲されている現状がある。アブラツノザメは漁師にとってはとても儲けになる代物で油は化粧品、身はかまぼこや練り物、鰭は安いフカヒレなど体全体が使えるためである。またメジロザメ目シュモクザメ科のアカシュモクザメ、シロシュモクザメなどのシュモクザメはスポーツフィッシングや乱獲の影響でここ30年で70%ほど減少したという報告もある。

 また、アホウドリも小笠原諸島の特定の島を繁殖地としていたが高度経済成長期と同じ頃に毛皮目的で乱獲されわずか数十羽の時期に来たこともある。

 アフリカなどでも問題は深刻で、ゾウやサイは今でもそれぞれ牙と角に厄除けの効果があると信じられ密猟が後を絶たない現状である。もちろん迷信であるがそれが事実というものである。

 取り返しのつかなくなった例も幾つかある。

 最も虐殺的だったのはリョコウバトである。

 北アメリカに分布したリョコウバトは約1億羽もの群れを形成する鳥であった。

 だが、第一次世界大戦、アメリカで食料が不足する中、安い鳥肉として猟銃で大量に撃ち殺されわずか数年で数は0になった。

 リョコウバト群れる性質が災いを呼ぶこととなった。

 最近では、リョコウバトの骨髄から採取したDNAをリョコウバトに近縁の種に移し、リョコウバト時代を復活させようとする試みがアメリカの大学で進んでいる。

 大まかに列挙して幾つか批判点も多いことだろう。

 1つ目に人の残虐性を誇張しすぎているのではないかというものである。

 ただ、人の残虐性は以上でも誇張とは呼べないと考える。

 その最たるものが戦争である。

 人の自然状態が戦争状態であるというホッブスやカントの主張(それぞれリヴァイアサン、永遠平和のために、参)

 は最もなものであり、もし仮に人間が法と政治の上で社会を築き上げなければ(つまり自然状態になれば)人は互いに傷つけあい、殺し合い、自滅の他に道を選ばない。

 この意見には反対する哲学者も多い(筆者が知っている中ではルソー、ヒューム)。

 だが、やはり自身の利益の追求が誇大となり戦争という無秩序の状態を作り上げるのは人間しかいない。

 人間が戦争をするのは自明なのである。

 2つ目に今現在破壊が進んでいるというが人達は自然保護のための活動を国際的に進めているのではないかというものである。

 それは否定できない。

 アホウドリも今では繁殖地を徐々に取り戻しつつあるし、砂漠の緑化も NGOなどにより進められつつある。

 実際世界的に二酸化炭素の排出量は急激に減少している。

 先に挙げた例以外にもアメリカバイソン、インドガビアル、トラ、トキ、キジなど多くの野生動物で保護活動ゆえの個体数増加につながっている。

 ただ、多くとは言ってもやはりほんの一例である。

 また個体数の増加が逆に問題となった例もある。

 オホーツク海のトドである。

 トドは絶滅危惧種であり、日本では長い間トドの狩猟が禁じられていた。

 だが、それに伴う個体数の増加でニシンなどの小魚の漁獲量が激減し値段の高騰につながった。

 そのため、準絶滅危惧種となり狩猟が一定期間解禁となった。

 漁師にとってみれば死活問題なのだから漁師でもない筆者が批判するのは言語道断という意見を聞きそうではあるがあえて言わせていただくとやはりそれは結局トド的に人は本当に保護していたのかと疑問に思わざるをえない。

 筆者が動物愛護に偏っていると訴えられそうだが理屈的に保護していたことになるのかとやはり疑念を抱く。

 この辺りは議論の余地が大いにあるのでここでは深く入ることは差し控えたいと思う。

 また二酸化炭素排出量の減少は大いに言えるが海の酸性化という問題もある。それに分布域の北上は今だなお進んでいる。

 やはり人の努力も現段階では不足していると言わざるをえない。

 

 

 

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