3-5 信二の罪 ~世界で一番優しいレイプ~
今回、少し辛い話となります。苦手な方、申し訳ありません。
それでは、どうぞ!
記者に絡まれた翌日、どうしても一人でいることが出来なかった笑麻は綾香の部屋にいた。
二人の前には綾香のノートパソコンが開かれている。見ていて愉快になるわけがないことは分かっているのに、それでも情報を確認することを止められなかった。
綾香が、ブラウザの更新ボタンを押す。
二人が見ているのは大手のインターネット掲示板である。これまでは一度も見たことがなかったが、今回の件をきっかけにだいぶ扱いにも慣れてきた。今もまた、最新の書き込みが画面に表示され、それが二人のため息を生んでいる。
昼の二時を回った頃、綾香の携帯にメッセージが届く。送信元は翔太であった。
「『笑麻ちゃんがネットにあげられてる』……ウソっ!?」
慌てて情報を再検索する綾香。その隣で笑麻は唇を噛みしめている。
間もなく目当てのページが見つかった。
――【悲報】AV高校生の彼女 可愛い
画面を下にスクロールすると、そこには数枚の画像が貼り付けられていた。一枚目はクラスの集合写真。そして二枚目は、その中から笑麻にズームアップしたもの。さらには、校内で撮った友人との写真もあった。
「……私だ」
呆けたような声を出す笑麻。綾香は顔を歪ませる。
写真を投稿した人物は、笑麻と悠斗が付き合っていることは校内では周知の事実だと嘯いている。ネットの世界の住人は、無責任にそれを囃し立てた。
――かわいいやん!
――将来のAV女優やぞっ
――絡みの画像マダー?
「かわいい」と褒められることが、これほど嬉しくないことは無かった。見ず知らずの人間から、オブラートに包まない表現で性欲の対象であることを表明されることが、とてつもなく気持ち悪かった。
「なんで……こんなひどいことを」
綾香が呟く。
間違いなく、これは笑麻や綾香と同じ桜木高校の生徒の仕業だ。悠斗が、そして笑麻がこの写真を投稿した人物に何をしたというのか。
「そっか……悠斗君は、こんな気持ちだったんだね」
悠斗の中学の頃の話を聞き、また今回実際に悠斗が誹謗中傷を受けているのを目の当たりにして、笑麻は悠斗の気持ちが分かったつもりになっていた。しかし、それは思い違いだったらしい。人の悪意という刃は、想像以上に痛い。
「大丈夫だよ……。悠斗君だって頑張ってるんだ。悠斗君と同じ立場で闘えるんだから」
その声に涙が混じる。
「でも、でも……辛いよ。綾ちゃん……」
言葉は形を無くし、嗚咽となった。
そんな笑麻を綾香は思いっきり抱きしめる。怒りはやり場をなくし、ただ哀しみだけが残った。
※
AV監督は、撮影が入っていない場合に在宅でデスクワークをすることも多い。マスコミに追われている今、自宅でも仕事が出来るというのは信二にとってありがたいことであった。
――コン……コン
ドアがノックされる。このノックの仕方は香織ではない。すなわち悠斗が部屋を訪れてきたということだ。
特に意識することなく姿勢を正し、信二は入室の許可を出す。
「父さん。今ちょっといい?」
そう言う悠斗に信二は椅子を勧める。この書斎は仕事関係の来客がある際にも使うため、椅子も余分に置いてあるのだ。
「……どうした?」
大丈夫か?という言葉を喉元で抑え込んだ。
大丈夫なはずがない。下手な言葉は悠斗を傷つけるだけである。なにより今は悠斗の話を聞くべき時だと信二は自身に言い聞かせる。
「父さんは……AVの強要って、あると思う?」
その問いに、信二は手で自らの目を覆う。
悠斗には、女優が自分の意思で出演しているかどうかを見極めるよう、口を酸っぱくして言ってきた。しかしその一方で、万が一にも悠斗がAV業界の負の一面を目の当たりにすることが無いよう、細心の注意を払ってきたことも事実だ。
(あれから……もう十年になるのか)
まだ高校生だから、と伝えるのを先延ばしにしてきた事実。しかしそれは、AV監督の先達として伝えなければならない事実でもあった。
「父さんが……ずっと後悔している話をしよう」
………
……
…
十年前、まだ悠斗が小学生に上がったばかりの頃だ。当時の信二は、キャリアも中堅からベテランへと差し掛かった頃、まさに働き盛りであった。
そんな信二に来た一件のオファー。それはある女優のデビュー作であった。
グラビアアイドルとして細々と活動していた女性がAV女優に転身する、その記念すべき第一作目である。
「『伊月 栞』……か」
事前に渡された資料に目を通す。
グラビアあがりだけあって、男好きのする見事な身体をしている。その一方で顔にはまだあどけなさが残り、その表情から性の匂いは感じられない。
「このルックスでもグラビアでは売れなかったか……厳しいなぁ」
信二から見れば、グラビアでも充分に人気が出そうなルックスをしている。あるいはあと数年粘れば、爆発的な人気が出るのではないかと思うほどに。
それでも彼女は、AVという道を選んだ。ならばAV女優のトップにしてやろう。自分にできるのは、その第一歩を華々しいものにすることだ。
信二は一人、新たな仕事に向けて決意を固めるのであった。
それから数週間が経ち、AV女優『伊月 栞』の監督面接の日を迎えた
所属する事務所の社長に連れられてやってきた彼女を見て、信二は困惑した。
(目が……死んでる)
その瞳に光は無かった。
社長に促されるままにこちらに一礼をする栞に信二は慌てて声を掛ける。
「初めまして。今回の作品を監督します、古谷ジローと言います。よろしくお願いしますね」
その言葉に、小さく反応する栞。それはまるで操り人形のようであった。明らかに、デビューを控えて緊張しているという様子ではない。
そんな栞を尻目に、プロダクションの社長を名乗る男が捲し立てる。
「うちみたいな中小の事務所から、こんな美人をデビューさせられるなんて本当にラッキーですよ。是非!いい作品にしてやってください」
満面の笑顔、それでいて油断のならない目をしているこの男を信二は知らない。
成長過程にある中小事務所か、もしくは立ち上げたばかりの新興事務所か。どちらにせよ、元グラビアアイドルの肩書を持つ美人を連れてくるにしては違和感がある。
なおも喋り続ける男を制し、信二は雫に語り掛ける。
「あなたが撮影するのはアダルトビデオです。本当に……撮影をする覚悟が出来ていますか?」
場に流れる緊張感。同席するAVメーカーのスタッフが心配そうにこちらを見ている。
栞は、なにか押さえつけられているようなものを振り払うように、声を絞り出す。
「……私は……っ!」
「ちょっとすいませんね!うちの女優が緊張してるみたいで、一旦外させていただきます」
そう言うと、強引に栞の腕を取って部屋から出ていく男。何を言っているかまでは聞き取れないが、低い声がドア越しに聞こえてくる。
腰を浮かせかけた信二を、顔見知りであるメーカーのスタッフが留めた。
「何も言わないでくださいジローさん」
そういうスタッフの顔は、これ以上なく渋い。
その表情を見て、自分の感じたものが間違ってはいなかったこと確信する信二。
「あの男……いろいろとビジネスに手を出していて、最近AVプロダクションを立ち上げたらしいんです」
信二の耳元で囁くスタッフ。
「どうやったのか……うちの上に気に入られてるんですよっ。実際に撮影するのはこれが三回目なんですけど、あの男が言ってくる無茶な要求が全部通っちまうんですっ」
その声は、小さなものでありながら、間違いなく怒りの叫びであった。
「だからって……あれはまずいだろ?無理矢理AVに出させるなんて、このご時世訴えられるぞ?第一、俺は出演する意思のない女を撮る気はない」
「信二さんが降りたところで他の監督が呼ばれるだけです。下手すりゃ、あの男が監督人事にまで口を出してくるかもしれない。そうなればあの子にとってさらに悲惨なことになる」
このスタッフは、メーカー内で中間管理職の立場にありある程度の意見は通すことが出来る。
今回の撮影でも、監督面接に先立って何度か栞と顔を合わせており、信二と同じく「栞に出演の意思なし」という判断を下していた。そのため上司に撮影を止めるよう注進したのだが、受け入れられることはなかった。
苦肉の策として、女優へのフォローが手厚い信二に監督を依頼するよう動いたのである。
「無いとは思いたいですけど……断ったらジローさんも、それに俺だって干される可能性だってあります。それくらい……あの男の持ってる影響力は大きいんです」
脳裏に家族の姿が浮かぶ。
まだ小さい悠斗と、満面の笑顔の香織。
「……くそったれがっ」
信二は思いっきり歯を食いしばる。
しばし、部屋に沈黙の時間が流れた後、栞が戻ってきた。
「すいませんねぇ。もう大丈夫だとは思いますが、お手柔らかにしてやってください」
その隣で栞は笑っていた。
その笑みは痛々しく、まるで笑顔の写真を貼り付けたかのようである。
「彼女と……二人で話すことは可能ですか?」
最大限、怒りを抑えた声を絞り出す。隣ではスタッフが泣きそうな顔でこちらを見ていた。
「いやぁ、それは勘弁してください。デビュー直前ってことで、栞も神経質になってますから。側にいてやらないと心配なんですよ」
笑いながら、それでいて絶対に席を外しはしないという意思を感じさせる男。その口からは、栞のことをサポートしたい、などといった言葉が恥ずかしげもなく出てくる。
「……分かりました。では、作品について話しましょうか」
血がにじむ程に拳を握りしめる。
これから行うのは、既に死んでいる彼女の心にとどめを刺す行為だ。
同時にそれは、AV監督という仕事の誇りを汚す行為でもある。
信二は自分の無力さに、心の中で憤る。
栞は、ただ笑っていた。
※
あっという間に時間は過ぎ、撮影の日を迎えた。
この日が来るまでに、何度も撮影を止めようと思った。自分でどうにも出来ないならば、助けを求めようと。
そこで気付く。誰に助けを求めればいいのか、信二はその答えを持たない。
――警察?
事件にならなければ動かないだろう。
――弁護士?
こんな案件を引き受ける弁護士は、それに乗じてAV業界全体を攻撃するだろう。そもそも本人に戦う意思が残されていない。
当時は、今ほどネット社会が発達していない。現代ならば有効であろう、ネット上の匿名での告発という手段も使えない。
一人、抗うことは勿論可能だ。AV監督として、一人の人間としてそれが正しい道なのだろう。
しかしそれで守れるものは、自らの誇り以外に何もない。結局のところ栞は傷つくこととなり、自分はその現場を見ずに済む。ただの自己満足だ。
ならば栞のためにも、自分が丁寧に撮影をした方がいいのではないか。
(なにをふざけたことを考えてるんだ)
思考が無意識に自己を正当化しようとし、信二は苛立つ。
家族のため、そして自分のために、一人の少女を犠牲にしようとしているのだ。どれだけ言い訳を並べたところで、その罪は変わらない。
目の前では何も知らない男優が、栞に優しくキスをする。
彼には栞が人見知りで極度のあがり症だと伝えている。デリケートな仕事であるため、真実を知れば仕事にならない可能性があるからだ。
だまし討ちに他ならないこの行為が、信二の罪の意識を増幅させた。
とにかく優しく、大切な人形の着せ替えをするかのように、栞の服が脱がされる。スタジオの温かなパステルカラーが、彼女から一層人間味を奪っていた。
今から始まるのは、世界で一番優しいレイプだ。
「……あっ」
か弱い悲鳴と共に、なんの抵抗も無く栞の貞操は奪われる。
その瞬間、栞はどこを見ていたのだろうか。
さまよう視線の行き先がこのスタジオの中には無い事だけは、信二にも分かった。
………
……
…
一本目の撮影が終わった。
ベッドの上では、いまだ放心状態の栞が横たわっている。無事に栞の性行為がカメラに収まったことに満足したのか、これまでずっと栞の側で見張るようにしていた社長の姿は無い。信二は、栞をフォローしてくれている男優に声を掛け、席を外すように頼んだ。
声を掛ける。しかし栞は虚空を眺めたままだ。
「守ってやれなくて……申し訳ない」
その言葉に、栞は少しだけこちらに首を傾ける。
「俺には撮影を止める力が無かった。君の意思を確認する力すら無かった」
この罪の告白は、きっと栞のためではない。
「君に逃げられる力が残っているなら……警察に逃げ込むんだ。警察が何もしてくれないなら、そこで弁護士を紹介してもらうんだ」
目の端で、社長である男が戻ってきたことを確認して信二は焦る。
「残酷だけど……今、君を守れるのは君しかいない。頑張って……立ち上がってくれ」
そこまで言うと、信二は優しく栞の肩をポンポンと叩く。
「古谷監督!うちの栞はどうでしたか!?」
必要以上に大きな声が、パステル調のスタジオに響く。まるで何かを警告するかのような声だ。
「よく……頑張ってくれたと思います。今も労をねぎらっていたところです」
その言葉に男は、にんまりと笑う。
「そうですか!それは良かった!絡みはあと一本あるんでしたね?そちらもよろしくお願いします」
そう言うと、ズカズカと栞に近寄りその裸体を引っ張り上げる。
「いつまでも裸じゃ身体が冷えるだろ」
ベッドの脇に置かれていたバスローブを強引に着せると、男は栞をスタジオから連れ出した。
主を失ったスタジオは変わらず暖かい。
窓から指す柔らかな日差しが、握りしめた信二の拳を照らした。
………
……
…
「結局……彼女はどこにも訴え出ることのないまま、二年間AV女優を続けたよ」
デビュー作の撮影で、事務所の社長である男が何かを察したのか、それ以後信二が栞の作品に携わることは無かった。しかし、皮肉なことにそのデビュー作が、彼女の作品の中で最も高い評価を得た作品となってしまった。
「今はAVとは違う世界で生きているらしい。それが、彼女の望んだ道であることを心から祈っている」
そこまで言うと、信二は一つ息をつく。
そのタイミングで悠斗は気になっていたことをぶつけた。
「その社長は……今もまだ業界にいるの?」
「いや……栞がAV女優を引退してすぐのタイミングで逮捕されている。覚せい剤の売買に関わっていたらしい」
その一報が知らされた時、信二は肝を冷やしたことを覚えている。栞が、そしてその事務所に所属している女優が薬漬けにされていたのではないかと。
幸いなことに男は、覚せい剤ビジネスを他のビジネスと明確に分けていたようであり、自身や契約を結ぶAV女優から薬の陽性反応は出なかった。しかし、場合によってはAV業界が覚せい剤によって汚染される可能性すらあったわけだ。
「十年間で……AV業界はよくなった?」
その問いに、信二は押し黙る。自らが肌で感じてきたこの十年を説明するためには時間が必要であった。
「良くなった。良くしてきた。……ただ、まだ十分では無い」
AV業界に限らず、一つの時代の流れとして「働き方」が大きく変わった十年であった。「ブラック企業」という言葉が一般化し、働いている者ならば誰もが「コンプライアンス」という言葉を知る時代となった。極端に言えば、昔よりもしっかりと法律を守ることが求められる社会へと変わってきたのである。
AV業界もその例に漏れない。
大手のAVメーカーが一流大学で就職説明会を行うほどにAV業界が一般化した現在、当然ながら高いコンプライアンス意識が求められるようになった。女優、男優はもちろんのこと、メーカーや事務所で働くスタッフについても、より一層法的に守られるようになった。
その流れを担ってきたのが信二達の世代である。
ひと昔前の無茶をしてきた世代の引退に伴い、AV業界がなんとか社会から疎外されないよう尽力してきたのがこの世代だ。
同時にそれは、一部の人間にとって過去の贖罪でもある。
「もう二度と……栞のような女性を生まないこと。そのために頑張ってきた。だけどまだ充分じゃない」
各企業がコンプライアンスを徹底し、業界で働く人間のモラルも向上してきた。
業界内で違法な仕事をする人間が現れないよう、相互監視をするようにも務めてきた。仮にそのような人間が現れた場合は、業界内で自発的に排除しようと呼びかけてもきた。
「でもそれは、あくまでも自発的なものだ。この業界にはシステムが足りない」
例えばそれは、トラブルが起きた際の統一された基準。何かが起きた時に、必ず外部の人間に相談できることによって、助けを求める声が握りつぶされないようにするシステム。
「『困ったときはこうすればいい』、その方法を、業界内でもっと共有していかなきゃいけない」
それは内部で働く人々を守り、同時に外部の人に業界が健全であると証明するためのもの。
ルールで縛られた働き方は息苦しいかもしれないが、それこそが働く人を守るのである。
「俺たちが作ってるAVってものは、不健全なものだ。だからこそ、作り手は誰よりも健全でないといけない」
その後もしばらく、悠斗は信二と語り合った。
過去の事、現在の事、そして未来の事。これからどうあるべきかについて意見をぶつけ合った。
ネット上で笑麻のことが取り上げられ、中傷を受けていることを悠斗が知ったのは、夕方を過ぎてからのことであった。
今回のお話。自分が信二の立場であったとすればどうしただろうか、と考えてしまいました。
働き盛り。子供が生まれたばかり。
女優に出演の意思が無いことはほぼ間違いないが、証拠はない。
訴え出ても、握り潰される可能性が高い。
それでも、仕事への誇りと、一人の女性の尊厳を守るために、行動を起こすことが出来るでしょうか。
正直、作者は信二と同じ道を辿ったと思います。
下手をすれば、もっと卑怯な道を進んだかもしれない。見て見ぬフリをして、自分すら傷つけなかったかもしれません。
一人の人間が正義を貫くことには限界があると思います。
組織の前では、個人は無力です。
だからこそ、健全な組織を作る必要がある。
「不健全なものを作るからこそ、誰よりも健全でなければいけない」
これは、信二のセリフであると同時に、作者のAV業界に対する願いでもあります。
一人たりとも、不幸な女性を生み出さないために。
それでは、次話も是非お付き合いください。
香坂蓮でしたー。