3-2 悠斗を追い詰める鉄仮面
最終章のお話が動き始めます。
では、どうぞ!
真っ白な壁をバックに、三人の女性が並ぶ。
彼女達の前には何本ものマイクが置かれ、その向こうにはカメラを構えた報道陣の姿があった。
「本件について、被害女性の代理人を務めさせていただきます、弁護士の山田智子と申します」
真ん中に座る、山田と名乗った女性が口を開く。
後ろにひっつめた髪の毛は、まるでシンクロの選手のようにかっちりと固められている。その能面のような表情からは女性らしさどころか人間らしさすら感じられない。
シャッターが焚かれ、銀縁の眼鏡のフレームがそれを反射する。
山田は淡々と事件の経緯を説明する。
当初、被害にあった女性はAV女優になることを知らされないままに事務所に所属したこと。
撮影当日、それに気付いた女性が抵抗すると、罵声を浴びせかけ脅迫したこと。
その内容が、「高額な違約金を払え!」「親にばらすぞ!」など、非人道的なものであったこと。
女性は恐ろしさのあまり撮影に応じ、その後も脅迫下に置かれたまま何本もの作品に出演することになったこと。
「幸いにして彼女は、彼女を支えてくれるパートナーを見つけました。社会的立場のある方です。その方が『法的措置に出る』と言ったところ、あっさりと『シティ』は彼女との契約を解除したのです」
あまりに卑劣なやり口に、報道陣からため息が漏れる。
その反応が届いていないかのように、なんの変調もない声色で山田は続けた。
「恥ずかしいことですが私は、本件を担当するまで、AV業界でこのように苦しんでいる女性がいることを存じておりませんでした。しかし、彼女と同様に苦しんでいる方が多数いるのです」
山田は言葉を区切り、右隣に座る女性に手を向ける。
「こちらの井原先生は、長年AVなどの性産業において、辛い目にあってきた女性を救う活動を長年されてきました。私としましては本件について井原先生にご助力を願い、同時にAV業界における女性への非人道的な扱いについて、社会に警鐘を鳴らしたいと考えております」
山田が一礼をすると、残る二人が語り始める。
AVに出演した女性からの、強要が疑われる相談がどれだけ多いか。いかに彼女達の人権が蹂躙されているかを、時に冷静に、時に情熱的に語る。
その間も、山田は終始無表情であった。
「AV業界における人権侵害行為については、私からもう一つ訴えなければならないことがあります」
残る二人の発言が終わったタイミングで、山田が再び口を開く。
「本件の被害女性から、信じられないことを聞きました。もしこれが本当であれば、信じられない人権侵害行為です」
その煽るような、それでいて一切変わらない声色に、報道陣の注目が一層山田へと集まる。
「彼女によると、出演した作品の中で、まだ高校生の少年が制作に携わった作品があるというのです」
一瞬、意味を理解できず静まり返る報道陣。しかしすぐに会見場はざわめきに包まれる。
「その少年は、中学生の頃からAVの制作に携わっているとのことでした。それもかなり主だったポジションで。健全な青少年の発育、などという言葉を使わなくとも、常識的におかしいと分かる行為です」
大きくなるざわめきの声。これが本当ならば、大スクープである。
そのざわめきを、山田の冷静な声が切り裂く。
「その少年が未成年であることから、実名を公表することは差し控えます。しかし、もしこれが事実だと判明した際には、子供がAV制作に携わることを黙認した周囲の関係者を、私は断罪します」
睨み付けるような強い視線に向けて一斉に焚かれるフラッシュ。
「もはやこれは、児童虐待なのです」
※
記者会見から数時間後、都内にある大豪邸に山田の姿はあった。まるで欧州の屋敷のような建物の中は、メルヘンな内装に彩られている。西洋のお姫様が住んでいるような屋敷に、黒一色の山田の姿は全く溶け込めていなかった。
目当ての部屋まで一直線に進み、山田は部屋のドアをノックする。
「山田です」
部屋の中から聞こえる了承の声に山田はドアを開く。
中には男女が一名ずつ。
満面の笑顔で山田を出迎える男性の後ろで、女性は不安げな表情を浮かべて座っている。
「さすが先生です!すでにネット上で大きな話題になってますよ」
そう言って男性は持っていたスマホの画面を山田に見せる。そこには、『AV業界の闇を告発した山田弁護士』という紹介と共に、無表情でこちらを睨む山田の姿が映されている。
「ありがとうございます」
表情を変えることなく山田は男性に一礼する。
その後も興奮してしゃべり続ける男に対して、短く相槌を打つ山田。
満足したのか、男が上機嫌で椅子に座ると、山田はもう一人の女性に声を掛ける。
「青山さん。大丈夫ですか?」
思いやりを感じられない、機械的な口調。
それでもその女性、青山さくらは縋るような目で山田を見る。
「先生……その、本当にいいんでしょうか?」
その問いに山田が答える前に、隣に座った男性が声をあげる。
「何を言ってるんですか、さくらさん!僕たちが幸せになるためなんです。そう決めたじゃないですか!」
大袈裟な身振りと共にさくらに近づく男性。さくらは弱々しく微笑む。
そんなさくらに、山田は変わらず冷静な口調で語りかける。
「青山さん。私は依頼者である坊ちゃまのために全力を尽くしています。しかし、もし私のやり方に問題があるのならば、坊ちゃまと相談のうえでおっしゃってください」
可能な限り方針を変更しますので、と慇懃に一礼する山田。
さくらは口ごもる。
そんなさくらの様子など目に入らないかのように、江川と呼ばれた男は大きな声で話し続ける。
「山田先生は素晴らしい弁護士なんです!先生に任せていればなにも問題ありません!いわばこれは、僕たち二人が乗り越えなければいけない試練なんですよ!」
まるで舞台役者のような立ち振る舞いを見せる江川。さくらはグッと唇を噛みしめる。
(幸せになるんだ。……絶対に幸せになるんだ)
内心とは裏腹に、彼女の表情は苦しそうであった。
※
『中学生がAVの撮影に関与していた』
衝撃的であり、かつゴシップ要素も多分に含むこのニュースは、あっという間に列島を駆け巡った。
一夜明けた今も、朝の情報番組のキャスターが訳知り顔でフリップの解説をしている。
『これがもし本当ならば……とんでもないことですよ!そもそも18才未満の児童はアダルトビデオを観ることすら許されていないんですから!』
目を見開き、カメラに向かって語り掛けるキャスター。遠慮することなく批判できる話題だからか、生き生きとしているようにも見える。
立て板を流れる水のようにAV業界の卑劣さを訴えたキャスターが、ゲストとして出演している専門家に意見を求める。
性産業に詳しいという肩書の専門家が『あくまで事実だった場合ですが』と前置きをしたうえで語り始める。
『そもそも中学生の少年が自分からAVの撮影に携わりたいなどと思うはずがありません。おそらく周りの大人がそうさせたのです。これは明らかに児童虐待であり、少年は保護されるべきです』
その語調の強さから、先ほどの前置きが建前上のものだということが分かる。
スタジオ内の誰もが、山田弁護士の衝撃的な告発を真実であると捉えていた。おそらくテレビの向こうにいる全国の視聴者も同じであろう。
「ひどいよ……なにも知らないくせに勝手なことばっかり。ひどいよ!」
テレビの前で拳を握りしめる笑麻。
どのチャンネルに合わせても、朝からこのニュースばかりである。その全てが同じ論調であった。
「笑麻……どうしたの?」
事情を知らない母親が心配そうに話しかける。無理もないだろう。テレビに映っているのは、到底自分の娘とは関係のなさそうなニュースだ。
「なんでもない……なんでもない!」
そう言いつつも画面から目を離さない笑麻。その様子と、テレビから聞こえるアダルトビデオという言葉に母は不安になる。とはいえ今は問いただせるような雰囲気ではない。
――ブブッ!ブブッ!
テーブルの上に置かれたスマホが鳴動する。テレビの画面から目を離さないまま、スマホを取り上げてメールを開く。
『今日は駅まで来ないで欲しい』
差出人は悠斗であった。いつもと変わらない、要件のみを伝える短いメッセージ。
しかし今日の笑麻には、それが悠斗の怒りを表しているように感じた。
『なんで?一緒に行こうよ』
泣き顔の絵文字を使い、メッセージを彩る。
いつも通り、何事もなかったかのように、を心掛けたそのメッセージは、いつもよりも明るい雰囲気であった。
間を置かず、悠斗からメールが返ってくる。その内容に笑麻は硬直した。
『記者につけられてる』
短い文面から笑麻は推理する。
ほぼ間違いなく、その記者は『AV業界で働く高校生』である悠斗を狙っているのだろう。記者会見の翌日であるにも関わらず、驚きの早さである。
茫然と文面を見つめる笑麻の目に、新しいメッセージが映る。
『君も巻き込むことになる。だから来ないで欲しい』
その思いやりが嬉しく、そして腹立たしかった。
自分の悠斗に対する気持ちは、その程度で揺らぎはしない。どんな困難があっても寄り添うと言ったではないか。
スマホを鞄に放り込み、玄関へと向かう。その表情は、さながら決戦へと向かう武将のようであった。
「いってきます!」
家の中に流れ込む冷気を肩で切り裂くように、笑麻は出陣するのであった。
※
家を出てすぐに、悠斗は異変に気付いた。
家から五十メートルくらいの所、一台の黒いワンボックスカーが停まっている。それだけならばただの路上駐車だと判断するところだが、悠斗が駅に向かって歩き出すと同時に、車内から男が一人降りてきたのだ。
男は悠斗の後をつけるように同じ電車に乗ってきている。
(撤いたところで……制服着てるからな)
コートの下からは特徴的な濃緑のブレザーが覗く。自分が桜木高校の生徒だということは調べればすぐに分かるだろう。
あるいは、既にこの程度の情報など把握されているのかもしれない。
(昨日の今日でこれか。……手が早いな)
『シティ』の社長である黒田が逮捕され、被害を訴えた女優が青山さくらだと判明した段階で、悠斗とその周辺は情報が漏れることを危惧していた。
しかしそれは、警察で事情を聞かれるであろうさくらが、なんらかの拍子に漏らしてしまうことを想定していたのだ。まさか弁護士が大々的に記者会見で発表するとまでは思っていなかった。
『残念だけど、しばらく仕事は休業な?』
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる父に、悠斗は素直に頷いた。
元より自分は我が儘を聞いて貰っている立場なのだ。これ以上駄々をこねるつもりはなかった。
(狙いは……揺さぶりかな?)
男は今も、悠斗と同じ車両に乗っている。
悠斗には、それが自分の存在を誇示しているかのように感じられた。
隠れるつもりが無いということは、おそらくそのうち接触を図ってくるのだろう。その際に優位に立てるよう、精神的な揺さぶりをかけてきている。それが悠斗の読みであった。
(あの子に来ないように言っておかないと)
笑麻を巻き込まないようにしなければ、悠斗は自然にそう思っていた。そしてその気持ちを押し殺すこともない。笑麻が自分にとって守りたい存在になっていることに、悠斗は未だ気付いていなかった。
何通かのメッセージをやり取りした後、笑麻からの連絡が途絶える。なんとなく嫌な予感がした悠斗は、もう一度メッセージを送る。
『本当に来ないでよ?』
なかなかつかない“既読”の文字に苛立つ悠斗。
ああ見えて頑固な所がある笑麻のことだ。意地を張って駅まで来ている可能性が高い。その可能性にようやく思い当たるあたり、悠斗も動揺しているのだろう。
(どうなっても知らないからね)
最寄り駅に近づく電車の中、悠斗はもはや開き直ったかのような心境であった。
ドアが開き、他の客に混じって悠斗も車内から吐き出される。改札の先には見慣れた景色。そしていつの間にかその景色の中にいるのが当たり前になった笑麻の姿があった。
「おはよう!悠斗君!」
いつもと何も変わらない、しかし彼女の強い意思がにじみ出ているようなその笑顔に、悠斗はため息をつく。この先、自分の側にいれば厄介事に巻き込まれることは分かっている。それでも目の前にいる笑麻は、自分から離れることはないのだろう。
物好きなことだ、と悠斗は心の中で笑う。
「おはよ」
これまたいつもと同じ、短く無愛想な返事。
しかし、心の中から沸き上がる温かい気持ちが、嫌ではない悠斗であった。
さて、いよいよAV強要問題と悠斗が結びつきました。
業界にとって大変デリケートな、そして、絶対にあってはならない問題に、悠斗はどう向き合っていくのか。
ご期待ください。
さて、最近本編並みに力が入っている気がしないでもない、今日の後書きのコーナーです。
今日、ご紹介するのは、下村 愛さん。
ご存知の方、いらっしゃるでしょうか?
ドラマの脇役や舞台、さらには映像監督としても活躍されている女性です。
正直に書きます。
知らない方、多いと思います。
ですが、彼女の旧芸名を言えば、誰か分かる人も多いと思います。
穂花さん。
今から10年ほど前、名実共にトップAV女優であった女性です。
彼女はデビューの際、グラビアアイドルとしてのデビューを打診されました。
しかし、いつの間にかそれはヌードグラビアへと変わり、気付けばAVをやらされそうになっていました。
AV撮影を断る彼女に、当時の事務所社長は、断るならば違約金600万円を支払うよう言ったそうです。
結局彼女は、AV女優として生きる道を選びました。
20代前半、田舎から出てきたばかりの女の子。選択肢が他に見つからなかったそうです。
そして彼女は、トップAV女優への道を歩みます。
彼女の心の中に、どういう葛藤があったのか。
それは余人には分からないことです。
ですが、最終的に彼女は、『日本アダルト放送大賞女優大賞』という賞を受賞します。
名実ともにトップになったその瞬間、彼女は「私のAV人生はやっと終わった」と喜びを感じたそうです。
現在は、本名である「下村 愛」名義で、主に女優として活躍されている穂花さん。
いつか彼女が、「女優・下村 愛」として、トップに立つ日が来ることを期待しています。
~参照記事~
Wikipedia 下村 愛
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E6%9D%91%E6%84%9B
彼女の自叙伝を元に情報が編集されており、とても読みやすいです。
Facebook 下村 愛
https://ja-jp.facebook.com/%E4%B8%8B%E6%9D%91%E6%84%9B-406066709457352/




