2-7 初恋の人の裏切り
翔太はなぜ悠斗と仲良くなったのか。それが明らかになる回です。
それでは、どうぞ!
「……倒産」
茫然と綾香がつぶやく。
「そう。ちょうど今くらいの時期だったかな。資金繰りが悪化して、設備に投資した分を回収出来なくなったらしくてさ。工場も機械も全部差し押さえられて、残ったのは借金だけだった」
当事者でない翔太は現場でどのようなやり取りがあったかまでは知らない。しかし当時の出来事は今でも翔太の記憶に鮮明に残っている。
………
……
…
「おばさんが……亡くなった?」
北村家の工場が倒産して一週間と少し。
それは何もかもを失った北村家にダメを押すような出来事であった。新商品開発のための設備に投資してからはずっと厳しい経営状態が続き心労が溜まっていたのであろう。倒産となって、張りつめていた糸が切れた優衣の母は、枯れ木が朽ちるかのようにその命を燃やし尽くしてしまったのだ。
母と共に病院に駆け付けた翔太。その目に映ったのは、まるで母親が起きることを祈っているかのようにその亡骸に取りすがる卓也と、傍らで力を失った表情を浮かべ座り込んでいる優衣の姿であった。
「優衣姉……卓也……」
かけられる言葉など無かった。まだ中学生の翔太には重たすぎる現実だったのだ。
葬儀が終わり、日常に戻るまでの時間はとても早かったように思う。ただ優衣と卓也の傍に居て、しかし何もしてあげられない自分の無力さを翔太は呪った。
しばらくすると、北村家は住居を近くの古いアパートへと移した。工場兼住居であった土地建物は差し押さえられてしまったので、立ち退かざるを得なかったのである。
引っ越しの日、残った借金の返済のために働きにでている優衣の父の代わりに力仕事を手伝いに行った翔太は、出発直前に工場の前で佇む優衣の姿を見つけた。
「これからは……私がお父さんと卓也を守るから」
その言葉は、これまで北村家を守ってくれた工場に向けたもの。そして今は亡き母親へ向けた誓いでもあったのだろう。
優衣が大学進学を諦め、高校の卒業を待たずに都心へと働きに出たことを知らされたのは、それからしばらく経ってのことであった。
※
「まぁ出席日数は足りてたから、一応卒業は出来たらしいんだけどね」
こんなに弱々しく笑う翔太を綾香は初めて見た。握りしめた拳がスカートの上で震えている。
「優衣姉がどうしているか……しばらくは分からなかったんだ」
当然翔太は、優衣がどうしているかを知ろうとした。
しかし当時優衣の父は何かに追い立てられるかのように仕事に没頭し、とても話しかけられる雰囲気ではなかった。
まだ幼い卓也にいたってはさらに悲惨で、姉から何も知らされておらず、小学生にして一人で母の死と向き合わなければならない状態であった。
翔太に出来ること。それは卓也の傍に居てやることだけであった。少しでも彼の心が癒されるよう慰め続けることしかできなかったのだった。
「数か月が経って……俺が中三になってしばらく経って。……優衣姉から手紙が来たんだ」
少し大きめの封筒に書かれた、見慣れた字。翔太は急いで封を切った。
その中には手紙が入っているとおぼしき封筒と、包装紙に包まれた文庫本より少し大きなサイズの物が同封されていた。
まずは手紙が入っているだろう封筒を開く。フワッと漂った香りにすら感じる懐かしさに、翔太の胸は痛んだ。
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翔ちゃんへ
お久しぶりです。急に何も言わずに出て行ってしまってごめんなさい。私は元気にやっています。「優衣姉に一人暮らしは無理だ」なんて翔ちゃんは言ってたけど、ちゃんと出来てるんだから(笑)
お母さんが亡くなって、お父さんから笑顔がなくなりました。きっと私も一緒です。私たち家族は誰一人欠けてはいけなかったのです。
それでも、私と卓也を支えようとお父さんは毎日必死で働いてくれています。でも私には分かります。仕事をしている間はお母さんのことを思い出さないで済む。だからあんな憑りつかれたように仕事をしているんだと。
そんなお父さんに私は感謝しかないです。自分も辛い中で私たちのために働いてくれている。
ただ、このままではお父さんが壊れてしまいます。
お父さんまでいなくなってしまったら私はきっと耐えられない。
だから私は私に出来ることをしようと思います。少しでもお金を稼いで家計を助ける。残った借金が無くなれば、少しは気持ちが晴れるかもしれないから。それに卓也の学費だって稼がなきゃいけない。
だから私は働き始めました。きっと翔ちゃんは軽蔑するだろうけど、私なりに頑張っています。
なんの相談もせずに飛び出しちゃって、本当にゴメンね。
きっと翔ちゃんに相談すれば私はまた迷っちゃうと思ったの。
大学にも行きたかったし、かっこ悪いけどまだ社会人になる覚悟なんて出来ていなかったから。
翔ちゃんに最後のお願いがあります。
この手紙を、お父さんにも見せて欲しいんです。
今、お父さん宛てに手紙を書けばきっと先に卓也が見つけてしまうでしょう。まだ小さいあの子には黙っていて欲しいのです。
同封した小包も、見せてもらって構いません。それが私なりの覚悟です。
お父さん。
結局けんか別れのようになってしまったこと、今でも後悔しています。心配をかけていると思いますが、私は頑張っています。お金はお父さんの口座に振り込むので確認してください。
もし私をどうしても許せないのならば、親子の縁を切ってもらって構いません。
ただお金だけは受け取ってください。卓也に不自由な思いをさせたくないから。お願いします。
お父さん 卓也 翔ちゃん おじさん おばさん 皆大好きです。
北村 優衣
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翔太の目には涙が浮かんでいた。しかしその滴はまだ目からは落ちていない。にも関わらずその手紙には濡れたような皺がいくつもついていた。
続いて翔太は小包を開く、中に入っていたものが目に入った瞬間、翔太の時が止まった。
「……なんだよ……これ」
DVDのパッケージにはすまし顔をした優衣が映っていた。大きく書かれた「新人」の文字。そして……。
「『西園寺あおい AVデビュー』……誰だよ、それ」
※
「西園寺……あおい?」
綾香の脳裏に一人の女性が浮かぶ。イタズラっぽい笑顔でこちらを見つめる、パッケージの中の笑顔。
「あれ?……もしかして知ってる?」
「うん……。田島が台本を書いたって作品を香織さんに貰って……」
香織さんかぁ、と翔太は苦笑いをしながら頭を掻く。
ちなみに香織は翔太と『西園寺あおい』との関係性を全く知らない。知らないのにホームランを打つことがあるのが、香織の空恐ろしいところである。
「あれか。……いい作品だったでしょ?」
翔太の顔には穏やかな笑みが浮かぶ。
「優衣姉の作品で……唯一俺が観れた作品なんだ」
※
茫然としながら翔太は無意識のうちに手の中にあるDVDを裏返す。
そこに映っていたのは優衣の上半身を写した写真。それはまるでグラビアアイドルのような、胸を手で隠したヌード写真であった。
そしてその横には明らかに性行為中であろう写真が七枚。歪んだその表情を翔太は見たことが無かった。
パッケージの内容が頭に入ってくるまでに数分の時間を要する。
紹介文によれば、名門女子高校に通っていた女子高生が卒業と共にデビューした、という触れ込みらしい。なるほど、見た目だけで言えば確かに優衣は上品なお嬢様に見える。優衣の身の上を知る翔太からしてみれば皮肉なことこのうえなかった。
「……ふさけんなよ」
その言葉は誰に向けられたものなのか、翔太自身にも分からなかった。グシャグシャになった感情の行き場はどこにもなかった。
それからしばらくの記憶が翔太にはない。
何もする気が起きず茫然とした中で日々は過ぎていった。手紙も自室に置きっぱなしで、優衣の父親に見せることもしていなかった。
そんなある日の放課後のこと。
翔太は一人教室に向かって歩いていた。明らかに様子のおかしい翔太を心配した担任の教師に呼び出され、生徒指導室にて面談を受けていたのだ。
鞄を手に取りフラフラと廊下に出る。すると階段の辺りに一人の男子生徒を見つけた。
(田島……だったっけ)
刹那、悠斗に関する情報が天啓のように頭をよぎる。翔太は思わず大きな声で悠斗を呼び止めた。
「田島!ちょっと待ってくれ!」
翔太の声に足を止めた悠斗は、睨み付けるようにこちらを見ていた。
「突然すまん。ちょっと話を聞いてくれないか?」
「悪いけどその気はない」
あまりにもあっさりと、そしてはっきりと拒絶の意思を示す悠斗に翔太は一瞬たじろぐ。しかし次の瞬間には一歩を踏み出した悠斗の前に回り込み、その膝を床についていた。
「頼む!……この通りだ」
悠斗を頼れば救われるなんて根拠など当然に無い。それでも翔太は必死であった。少しでも理解してくれる可能性のある何かに縋りたかったのかもしれない。
悠斗の表情を伺うことは出来なかったが、明らかに驚いたような気配は感じられた。そしてため息を一つ。
「……一体なんなのさ?」
呆れたような、そして少し困ったようなその声に翔太は顔を上げるのだった。
※
「これが俺と悠斗が仲良くなったきっかけなんだ」
土下座をしたのは後にも先にもあれっきりだ、と懐かしむように翔太は笑う。そんな翔太の笑顔に綾香は何も言えなかった。
「そうは言っても何を相談したいのか俺自身分かってなかったからさ。愚痴っていうかさ……正直自分でも何言ってるのか分からないようなことを、延々と聞いてもらったんだよ」
………
……
…
中学校の近くにある見晴らしのいい小さな公園で、翔太はただひたすらに自分の思いを話し続けた。何があったか、その経緯を話すうちに自分ではどうしようもないほどに気持ちが高ぶってしまったのだ。
裏切られた、という思い。そのように感じてしまったことへの罪悪感。
予期せずして、そして望まずして見てしまった憧れの人のあられもない姿。それを顔も知らない日本中の男が見ているという事実とそれに対する嫉妬。
何も出来ない無力感。
喋ったことが無い相手だったということが却ってよかったのかもしれない。自らのドロドロとした思いを一切取り繕うことなく翔太はぶちまけた。悠斗はじっとそれを聞いていたのだった。
「田島ご両親さんはその……AVの関係者、なんだよな?」
ひとしきり思いの丈を語り気持ちが落ち着いた翔太は、悠斗の顔色を伺いつつも言葉を選ぶ。今から自分が聞こうとしていることが、AVを生業にしている人やその家族にとって失礼に値することを翔太は理解していた。それでもどうしても聞かなければならなかったのだ。
「その……優衣姉は……大丈夫なのかな。酷いことされたりとか、やりたくないことを無理やりやらされたりとかさ」
中学三年生の男子ともなれば、ある程度AVに関する知識を持っている。そしてその知識には真偽不明なゴシップのようなものも多い。翔太にはその真偽を確かめるすべがなかった。
翔太の問いに、悠斗は無言でスマホを取り出した。検索画面には『西園寺あおい』の文字。検索エンジンに表示された画面をいくつかスクロールし、表示されたのは彼女のプロフィールであった。
「僕は彼女のことを知らない。自分で応募したのかそれともスカウトされたのか……その中で意に反することがあったかどうかまでは分からない」
かつてAV業界では法的にも倫理的にも許されないようなことがまかり通っていた時代が存在した。脅迫などによる意に反した撮影や枕営業、さらには女優の心身を破壊するような過酷な撮影。当時逮捕された者の罪状を読むと、そこには人間とは思えない所業が記されている。
そこからAV業界は健全化を図り、コンプライアンスの徹底を図るようになった。そうしなくては業界が終わってしまうという所まで追い詰められたのである。
それゆえ現在では、女優の意向を最大限尊重し契約によって女優を守る体制が整ってきている。また大手メーカーが一般企業化していくことで、労働法規に基づいたクリーンな業界へと歩みを進めている。
しかしどんな業界にもアウトローな人間は存在する。悪しき時代に跋扈した、女性を食い物にするような業界人は残念ながらゼロではない。そして優衣がそんな人間の餌食になった可能性もまた、ゼロとは言い切れない。
「ただ、彼女が所属しているプロダクションは業界大手だ。女優に無理強いをする可能性は低い。それに彼女は専属女優だからまず間違いなく無下な扱いはされていないと思う」
悠斗の説明に翔太はポカンとした表情を浮かべる。そもそもプロダクションとメーカーの違いがよく分からない。
「プロダクションっていうのは芸能人の事務所と一緒。メーカーは実際にAVを作っている会社で、専属っていうのは……雑誌の専属モデルみたいなことかな」
専属女優になると、契約したメーカーの顔となるので当然他の作品には出られない。一種の囲い込みとも言える。その分専属女優は、他の女優と比べて好待遇を受けることが出来るのだ。
「なるほど……」
優衣がおそらく無下な扱いを受けていなであろうことを頭では理解することが出来た。しかし心が追い付かない。それが表情に出ていたのだろうか、悠斗はさらに口を開く。
「もしよければだけど……家に来る?」
ここでは言えない話があるという悠斗。翔太に断る理由はなかった。
※
「それで悠斗の家に行って……あいつがやっている仕事について教えてもらったんだ」
絶対に他人には明かしてはいけない秘密を自分に明かしてくれた悠斗。
当時は分からなかったことだが、今では感謝している。友人に裏切られたばかりにも関わらず、追い詰められていた自分を信じて、己の秘密を明かしてくれたのだから。
「あいつが実際に自分の目で見た業界の様子とかを教えてくれて……特に優衣姉が所属してる事務所の社長とは知り合いだったらしくて、まず大丈夫だって励ましてくれたりしてね」
優衣が所属するプロダクションの社長は悠斗の父と長らくの付き合いがあったため、悠斗も何度か顔を合わせていたのだった。
『こういう仕事だからこそ信頼が一番大事』と口癖のように言うその男は、会社に所属する女優に最大限の配慮をしていた。
ちなみに悠斗がAVの仕事に携わりたいと言い始めた頃に、真っ先に協力を表明してくれたのもこの男である。
「そのうえであいつはこう言ったんだ」
――たぶん僕がいくら口で説明しても君は納得出来ないと思う。だから……実際に見てみない?
翔太の発言に綾香は凍り付く。
「えっと……撮影……見に行ったの?」
別に文句を言うつもりはない。そんな筋合いがないことは自覚している。
それでも翔太がAVの撮影を見学に行ったのだとすれば、綾香にとっては複雑である。ましてそれが中学生の頃で、撮影されているのが翔太の憧れの人ともなれば、もはや自分の感情を整理するのは不可能であろう。
「違う違う!……まぁ俺も一緒の勘違いをしたんだけどね」
苦笑いを浮かべながら翔太が否定する。そういえばあの時、顔を真っ赤にして慌てたことを思い出す。それを呆れた顔で悠斗にたしなめられたことも。
(ほら見ろ!やっぱりお前の言い方がややこしかったんじゃねーか)
ここにはいない悠斗に対しての冗談めいた非難の言葉が心に浮かぶ。
そして翔太は再び語り始める。彼の心を決めた、あの日の出来事について。
果たしてハンサムの初恋はどのような結末を迎えるのか……。
どうも、香坂蓮です。
AV女優さんのインタビューを見ていると、女優として活躍するようになってからも、同窓会など地元の友人と遊ぶ方も多いみたいですね。
AV女優である前に、友達である。
当たり前のことですが、とても尊いことにも思えます。
一方で、AV女優という職業を見下すような価値観もまだまだ根強く、「ばらされたくなければヤラせろ」といった下品極まりないことを言う人もいるみたいです。(湊莉久さんのエピソード)
きっと、こういう価値観が、元AV女優さんの第二の人生を阻害してしまったりするのだろうなぁ、なんて思います。
真面目にしっかりと仕事をしているのに、「昔AVに出ていたから」という理由でクビになる。あまりに理不尽なことです。
AVとは違いますが、日本テレビのアナウンサーに内定した方が、清廉性を理由に内定取り消しを受けそうになったケースもこれに近いですね。
過去にどんな仕事をしていたか。現在どんな仕事をしているか。
もちろんそれも、相手がどんな人なのかを知るための重要な要素です。
しかし、一番大事なのは、その人本人がどんな人なのかを見極めることなのではないかと強く思います。
さて、初恋相手がAVの道へと進んだことを知った翔太は、どんな道を選ぶのでしょうか。
次話もぜひ、お付き合いください。
香坂蓮でしたー。