2-2 ママのグータッチ
悠斗の過去がさらに明らかになっていきます。
それでは、どうぞ!
東京に住んでいても、都内で行ったことの無い街は意外と多いものである。自分の好みに合う街を見つけるとそこにしか行かなくなり、他の街は「自分には合わない」と食わず嫌いをしてしまうのである。これが東京近郊の都道府県になってくると、『東京の知らない街は怖い』という感情がプラスされるため、その傾向が一層顕著に表れる。
「これがスタジオアルタ……」
「意外とちっちゃいね」
全国から観光客が訪れるオーロラビジョン。お昼の長寿番組は終わってしまったものの、いまだ知名度が高い「アルタ前」で笑麻と綾香はまさにおのぼりさんのような表情を浮かべていた。
女子高生にとって新宿はあまり馴染みのない街である。もちろん大型デパートやお笑いの劇場など若い人でも楽しめる施設はたくさんあるが、それ以上にビジネスの街というイメージが強い。近年では新宿二丁目の『オネエの街』をイメージする人も増えてきたが、それも高校生には少し早いだろう。
「さて……次は都庁だっけ?」
「うん!駅を挟んで向こう側だって」
ひとまず写真を撮った二人は、続いての新宿観光スポットに向かう。東京都庁はその展望台を無料開放しており観光客に人気なのである。特に冬のこの時期は晴れていれば富士山が見えることもあるらしいので、二人は楽しみにしていた。
さて、なぜ二人が土曜日の朝から新宿の観光名所を回っているのかだが、深い理由はない。そのものずばり観光である。「せっかく東京の近くに住んでいるのだから行ったことがない所を冒険しよう」という綾香の提案に笑麻が快くのっかった結果である。早起きをしておめかしをして東京に向かう。完全にただの観光客である。
スマホを片手に二人は駅の方に向かう。新宿駅周辺、および駅構内はとても迷いやすいことで有名である。ただでさえ複雑なうえに人通りも多いため気付けば自分がどこにいるか分からないということも珍しくない。そのため、決して褒められたことではないが、笑麻はスマホの案内図とにらめっこをしながら歩いている。人や車にぶつからないように注意するのは綾香の役目だ。
信号が赤になる。周囲をぼんやりと見ていた綾香の視界に一台の車が目に入る。ハザードランプを点灯させたその車は二人から少し離れた位置に停車した。助手席のドアが開く。
「……えっ?田島!?」
中から出てきた見覚えのある目つきの悪い顔に思わず綾香が声をあげる。その声に笑麻が勢いよく顔を上げると、苦虫を噛み潰したような顔をしている悠斗の姿があった。
「悠斗くん!?こんなところでなにしてるの?」
スマホを鞄に放り込み、悠斗の元に駆け寄りながら笑麻は叫ぶ。悠斗はカジュアルではあるもののジャケットを着ており、まるで仕事にでも行くかのような出で立ちである。思いもよらぬ大人びた姿に笑麻の鼓動はいつもよりも早くなる。
「用事があるんだよ。時間が無いからまたね」
それだけを言うと悠斗は、速足で雑然とした繁華街へと向かう。
「えっ!?あっ……ちょっと悠斗くん!?」
とっさに追いかけることができず、悠斗の背中を見送る笑麻に綾香が声を掛ける。
「あいつこんなところでなにしてたの?」
「……分からない」
ここまで拒絶されたのは久しぶりである。随分距離を縮めることが出来たと感じていた笑麻にとって、悠斗のその態度は少しショックであった。
――プップッ!
何かの合図のような軽いクラクションが響く。音の主は悠斗が乗ってきた黒い国産車であった。笑麻と綾香がそちらに注目すると運転席のドアが開き、女性が降りてきた。服の上からでも分かる胸の大きさに思わず視線が引き寄せられる。
「もしかして……悠斗のお友達?」
大きな、そして優しく垂れた瞳が、まるで何かを期待しているかのようにキラキラと輝いている。顔立ちだけなら間違いなく童顔であるが、人を包み込むような雰囲気に母性を感じる。かわいらしい、しかし甘えたくなる、そんな女性であった。
「えっと……田島くんのお母さんですか?」
一足早く我に返った綾香が慌てたように返答する。その言葉で、目の前の女性が悠斗の母であるかもしれないことを認識した笑麻の緊張は一気に高まった。
「あっ!ごめんなさいね。悠斗の母の田島香織といいます。よろしくお願いします」
高校生にとって大人に頭を下げられることはなかなか無いことだったりする。深々と丁寧に頭を下げる香織の姿に、笑麻と綾香は慌てて自己紹介を返した。
「笑麻ちゃんに綾香ちゃんね。うん!覚えた」
大きな目を細めふんわりと笑う香織に二人の緊張もほぐれる。
しかし次の瞬間にはその笑顔が不安げな表情へと変わる。
「悠斗が迷惑をかけてないかしら?あの子ったらぶっきらぼうでしょ?二人に嫌なこと言ったりしてない?」
「そんなことないです!あのっ!その……悠斗くんとはとても仲良くさせてもらっています!」
そんな香織の懸念に対し、笑麻が顔を真っ赤にしながら答える。片思いの相手の母に対し「仲良くさせてもらっている」と宣言するのは笑麻にとってはなかなかにハードルが高かったようだ。
「まぁ!きっと二人がとっても優しいのね。本当にありがとう」
再び花が咲いたような笑顔が戻る。かと思えば今度は目と口が真ん丸に開かれる。
「あらいけない!こんな所に車を停めていたら迷惑になるわね」
コロコロと変わるその表情に笑麻と綾香は思わず笑いそうになる。そんな二人に対し香織は唐突に爆弾を投げた。
「二人はこれから何か予定があるの?もし時間があったらおばさんにお話を聞かせてくれないかしら?」
その童顔と可愛らしい仕草から、「おばさん」という言葉に猛烈な違和感を覚えている間に、あれよあれよと二人は車に乗せられる。
車を走らせ始めてしばらく経ってから、「二人とも知らない人の車に乗ったらダメよ」と少し怒ったような顔を作って注意する香織に、苦笑いを浮かべながら謝る笑麻と綾香であった。
※
「はい!到着ー」
香織のゆったりとした声に笑麻と綾香は窓の外を見る。車内でもかなり話が盛り上がったため、あっという間に着いたように感じるが、車で三十分以上走っているためそれなりに遠くまでは来ている。もう少し走れば日本で一番有名なテーマパークにたどり着く、と言えばだいたいの場所は分かるだろうか。
「うわぁ……きれいなお家ですね」
まだ真新しい住宅街の一画、三階建ての白い一軒家が目的地である田島邸であった。
当初、笑麻と綾香は、車をどこかに停めて喫茶店かレストランで話をするものとばかり思っていた。そのため、目的地が田島邸だと聞かされた時には大いに動揺してしまった。
「うちだったらおもてなし出来ると思ったんだけど……やっぱり迷惑かしら」
突然お邪魔したら迷惑だから、と断ろうとしていた二人は、香織の心底悲しそうな顔に負けて田島邸に向かうことになる。恐ろしいことに、香織の表情からは嘘っぽさやあざとさが全く感じられないのだ。『天然』とはまさにこういう人のことを指すのだと綾香はひそかに戦慄していた。
「二人とも紅茶は大丈夫?そう!よかった」
淡いベージュのソファに腰かけた二人に香織は紅茶を振る舞う。ニコニコと、もてなすのが嬉しくてたまらないようなその態度に、思わず香織が友達のように錯覚してしまう笑麻。同級生の母親ということなのでかなり年上のはずだが、ただただかわいいとしか思えなかった。
「実はね……翔太君から聞かされてはいたのよ。最近悠斗に女の子の友達が出来た、って」
両手をあわせて微笑む香織。豊満な胸がギュッと寄せられたその姿は、女性である笑麻と綾香すら悩殺した。
「でもまさかこんなにかわいい子だったなんて……おばさんびっくりしちゃった!」
香織が翔太から伝えられていたのは以下の二点である。
一つは悠斗に女の子の友達が出来たこと。そしてもう一つは、その友達が悠斗の過去や両親のことを知っても悠斗から離れず、むしろ悠斗の友達になろうと頑張ってくれているということである。
この話を聞いた時から、香織はずっと息子の新しい友達に会ってみたいとずっと思っていたのだった。「家に連れてきなさい」と悠斗に言うこと数十回。さらには、その何倍もの回数、新しく出来た友達のことを聞き出そうとした香織はあることに気付く。それは人を信用することが出来なくなってしまった悠斗が、その友達のことはある程度信頼しつつあるということだった。
そして、実際に会ってみた二人は香織が想像していた通りであった。
なにより女の勘が「この子達なら信頼できる」と告げていたのだ。
「二人は私が昔AVに出ていたことも知っているのよね?女の子だもの……複雑な気持ちがあると思う。それでも悠斗のお友達でいてくれて本当にありがとう」
香織は静かに自らの過去の語り始める。
息子にとってこれは余計なお世話なのかもしれない。それでもこれは、傷つけてしまった息子のために母として自分がすべきことなのだと信じて。
自分が元AV女優であることが発覚し、悠斗が学校で居場所をなくしたあの事件は、香織の心にも大きな傷を残した。それを覚悟していなかったわけではない。ただ、もう少し悠斗が大人になってから、自分の口で説明しようと考えていたのだ。そこには業界を知るからこその現実的な判断と、少しの慢心があったのかもしれない。
AVの世界は移り変わりが激しい。毎年二千人以上のAV女優がデビューし、その八割以上が翌年には消えていく。そのため余程多くの作品に出ない限り、現役であっても周囲からAV女優だと気付かれない人の方が多い。
香織の場合は、単体で何本も作品を発表した人気女優であったが、それでも引退して何年も経てば歴史の中に消えていくはずだった。インターネットの普及により過去の作品が手軽に閲覧出来るようになったとはいえ、あのような形で悠斗が母の過去を知ることになったのは不運であったとしかいいようがない。
目を腫らし表情を失った悠斗が帰ってきたあの日、香織は悠斗の妊娠が発覚した時のことを思い出した。
当時の香織は、悠斗の父である田島信二との結婚を決めそれに伴い女優を引退したばかりであった。女優として、そして一人の女性としてしっかり避妊をしていた中での妊娠。まだ母になる覚悟などあるはずもなかった香織は散々悩んだ。自分のせいで子供が辛い思いをするかもしれない。そんな自分に母になる資格はないのではないかと。
そんな香織に決断させたのは信二の言葉であった。
妊娠を聞かされた信二はまず驚き、そしてとても喜んだ。避妊をしていたのに自分達の元に来てくれたのだから、この子は間違いなく俺たちの子供になりたかったのだと。
そんな無邪気な喜びを見せる信二に、香織は思わず感情的になって自分の悩みや葛藤をぶつけた。あふれ出した涙が枯れるまで、思いを爆発させる香織を信二は静かに受け止めた。
そして信二は自分の想いを語る。どんなに素晴らしい環境に生まれても、親が子供を導くことが出来なければ子供は不幸になる。大事なのは親としての愛と責任だと。
まだ目立たない香織のお腹をさすり、父となる男は決然と言った。
「この子には、俺たちのせいで辛い思いをさせるかもしれない。なら俺たちがしなきゃいけないのは産まれてくるこの子が『そんなの関係ない』って思うくらい幸せにしてやることなんじゃないか?」
その言葉が香織に子供を産む決意をさせたのだった。同時に、命をかけてでも生まれてくる子を幸せにしようという母としての覚悟が決まった瞬間でもあった。
※
――どうして教えてくれなかったの?
あの日の悠斗の言葉は今も胸に突き刺さっている。
いつか悠斗に自分の過去を打ち明ける時が来れば、伝えようと思っていたことはいくつもあった。
――自分はAVという仕事に誇りを持っていたこと。
――悠斗が産まれてきてくれて本当に幸せだということ。
ショックを受けて当然。憎んでくれてもいい。ただ何があっても自分は悠斗を愛し続けるということ。
しかし香織は何も言うことが出来なかった。悠斗の哀しい瞳がそれを許さなかったのだ。
それはきっと母がAV女優だったことにショックを受けたからではない。他人から事実を知らされることになった、その裏切りへの糾弾である。あの瞳を香織は一生忘れないだろう。
その後、仕事から帰宅した信二も交えて三人で夜が更けるまで語り合った。信二の力も借り、自分の伝えたかった想いは全て悠斗に伝えることが出来た。
「僕のために色々考えてくれていたってことは……よく分かったよ。ありがとう」
その言葉が、優しい息子が無理をして懸命に絞り出した言葉であることは痛いほどに分かる。まだ中学二年生なのだ。母親のこと、幼馴染のこと、そして学校のこと。一度に納得できるはずがない。無理をしなくてもいいんだと、香織は叫びたかった。
しかし、そんな想いに反して香織の口から出たのは、「ありがとう」という感謝の言葉だった。それしか言葉が無かった。
――自分は悠斗を支えられているのだろうか。
香織は日々自問する。
あの日以降、明らかに口数が減り自分の殻に閉じこもってしまった悠斗に、香織が出来ることは多くなかった。「大丈夫?」と声を掛け、息子の話を聞き、「愛している」と伝える。それしか出来ない自分の無力さが、香織はもどかしかった。
結局悠斗は、自分の力で立ち直ってくれた。そこに至るまでにどれほど悩み、どれほど苦しんだのか。きっとそれは悠斗にしか分からないのだろう。そんな息子を、香織は心の底から誇りに思う。
果たして自分はそんな悠斗の支えになれていたのだろうか。その答えが出るのは、もしかしたらまだずっと先なのかもしれない。
いまだ悠斗は人を信用しないし、必要以上に人を関わろうとしない。だが、「信用出来ない」わけではなくなってきたように思う。現に翔太をいう、信頼できる友人が出来た。
翔太を紹介された日の夜、香織は部屋で一人泣いた。それは悠斗が産まれた日以来の嬉し涙であった。
そして今、目の前に悠斗の事を気にかけ心配してくれる友人がいる。香織にはそれが堪らなく嬉しいのである。
※
香織の独白に綾香は涙ぐんでいた。元より情に厚い綾香であるが、一人の女性として、そして母として苦しみながらも努力し続けた香織に感情を移入してしまったのだ。
一方の笑麻は何かを考え込むような表情をしている。しばらく足元にあった視線を香織に向けると、笑麻は言葉を選ぶようにしながら一つの問いを発した。
「一体どうやって悠斗くんは立ち直ったんですか?なにかきっかけがあったんですか?」
――中学三年生になり、突然悠斗の雰囲気が変わった。
いつかのコーヒーショップで翔太も言っていたことである。そして翔太もなぜ急に雰囲気が変わったのかまでは言わなかった。
あの時は聞き流したことが笑麻にはどうしても気になってしまった。そのきっかけこそが今の悠斗を形作っている。そんな気がするのだ。
そんな笑麻の問いに香織は瞳を閉じる。ひと時の沈黙。それを破ったのは笑麻の決意に満ちた宣言だった。
「私は悠斗くんのことが好きです。だから悠斗くんのことをちゃんと知りたいんです」
その笑麻の言葉に香織は目を開き、一つ条件を出した。それは絶対に他言しないこと。その条件に笑麻は即座にうなずく。一方の綾香は少し困ったような顔をしていた。
「私は田島君のことが好きというわけではありません。ただ友達になりたいとは思っています。もちろん彼の秘密を言いふらして裏切るようなことはしません。それでもいいですか?」
一切の揺らぎなく、息子のことを「好きだ」と言い切ってくれた笑麻。
自分の気持ちを正直に告げ、自分と悠斗に誠実であろうとしてくれた綾香。
――この二人なら大丈夫。
香織は確信を得た。
「実はね……」
※
六時を過ぎると辺りはもう真っ暗である。そんな所にも冬の訪れを感じながら、悠斗は家路についていた。
朝のことを考えると足取りは非常に重い。お節介大王である親友の翔太が余計なことを吹き込んでくれたせいで、母親は笑麻と綾香に大層興味を持っていた。間違えなくあの後二人を捕まえているはずである。きっと余計なことを言ったり聞いたりしていることだろう。最寄り駅から五分の所に家があることが今日ばかりは恨めしい。
「ただい……えっ!?」
玄関に置かれた見慣れない靴に、おおよそ自分から出たとは思えないような声が喉から漏れる。人当たりがよく、ほんわかとしているくせに妙に押しが強い母のことだ。笑麻と綾香を捕まえていることは間違いないと思っていた。しかしまさか家に連れ込んでいるとまでは思っていなかったのだ。
「おかえり!悠斗くん!」
何かの間違えであってくれという悠斗の淡い期待は、出迎えた笑麻の声によって一瞬で潰れる。笑麻の後ろには綾香と母親も続いている。さすがに母親に一言物申そうとした悠斗であったが、笑麻の次の言葉に言葉を失うことになる。
「監督面接、お疲れさま」
悠斗が『童貞受けが良い』と評した、はにかんだような笑顔を浮かべつつ信じられないことを言った笑麻。悠斗に出来ることは、ただ茫然とその笑顔を見つめることだけだった。
想像力がないため、キャラクターを考える際には、実在する方をビジュアルモデルとして想定することが多いです。もちろん性格は自分で考えるのですが、外見のイメージがしっかりしていないと、途中でキャラが変わってしまうんです。
本作では、主要登場人物4人の内、悠斗以外の三人(笑麻・綾香・翔太)の三人に、ビジュアルモデルがいます。誰なのかは……秘密にしておこうかな( *´艸`)←ウザい
また、悠斗の母親である香織にもビジュアルモデルがいます。
それは、グータッチでお馴染みのあのAV女優さん。これで分かる方は、相当なAVファンの方ですね(笑)
というわけで……頑張れ!恵比寿マスカッツ!
次話もお付き合いください。