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妖奇譚

以津真天

作者: 羅知火 夜鷹

“帰りたい“


そう、思った。

このような荒れ果てた戦場から、愛しい人の元へ帰りたい。

男は自らが冷たくなっていくのを感じながら、心からそう思った。


親同士が決めた、本人たちの意思を無視した婚姻だった。そんなもの、どこにでもあることだ。男はそれに反対しようとは思わなかったし、第一に反対するだけ無駄だと思っていた。

せめて、その相手の女が箱入りが過ぎたろくでなしではないことを祈っていた。

聞くところによれば、身体が丈夫ではなく、それ故に屋敷の中で蝶よ花よと育てられた女らしい。世間を知らず、ただ親族や使用人たちに大事にされて育った女。正直に言って、あまり良い印象は抱かなかった。

通われることで外から病を持ち込み、娘の体調を悪化させるのでは、という女の父親の言に、男自身の父親が賛同したが為に、隠れて通うことも出来ない。

親たちは、二人が式を挙げる以前に会うことを許可しない。自分たちで婚姻を勝手に結んだくせに、まるで二人の結婚を認めていないかのようだ。

しかし、だからといって何もせぬままその時を迎えるのは不安なことこの上ない。

ならばせめて、と男が始めたのが、文のやりとりだった。


男が一つ文をやれば、次の日には女から文が来た。

男が文に自分のことを書けば、女も自らのことを書いてきた。家のことを書けば、家のことを。自然のことを書けば、自然のことを。女は男にふられた話題に従った内容で文を返してくる。

紙に綴られた文字は慎ましく、女の性格を表していた。確かに女は世間の事に疎かった。だが、それを補おうと質問したり己で勉強したりしていた。勤勉なさまは、嫌いじゃない。むしろ、非常に好ましい。

文のやりとりを繰り返すうち、男は女に抱いていた先入観が変わっていくのを感じた。世間知らずで、箱入りが過ぎたろくでなしの女。それが、確かに世間知らずではあるが、勤勉で、律儀な女に。

いつの間にか、男は、その女に焦がれるようになっていた。そしてそれを伝えれば、女は、私もです、と男の思いに答えてくれた。

それは、確かに思いが通じあった瞬間だった。



そこからの日々は、二人にとってとても充実していた。会えない悲しみこそあれど、しかし互いに送り合う文があれば平気だった。

「これをかの姫へ」と、男が下男に文を託す。

「姫様、文が届いておりますよ」と、下女が女に文を届ける。

「これをあの方へ」と、女が下女に文を託す。

「若様、文が届いておりますよ」と、下男が男に文を届ける。

毎日毎日、これを繰り返した。送り合い、受け取り合うたびに互いの思いを再確認した。

愛し愛されることがいかに幸せか、知った。



しかし、その幸せは呆気なく壊された。男に、戦場へ行くよう命令が下ったのだ。

近頃、二人の住まう国は近隣諸国と領地争いの戦いを繰り広げていた。

男は名売れの武家に生まれた、優秀な武官である。戦場へ行かせないわけがない。

男は悩んだ。が、決めるのは早かった。戦場へ行くということは、女を置いて行くということ。戻ってくるまでは文のやりとりなど出来るはずがない。だが、もしもここで男が戦場へ行かず、そのまま国が領地争いに負ければ。きっと大勢が死ぬことに繋がるだろう。身体の弱い女は、あっけなく死んでしまうに違いない。


男は女に文を書いた。もしかしたら、男から送れる最後の文かもしれない文を。


必ず生きて戻ってくる。そしてあなたを迎えに行く。だから待っていてくれ。


そう、書いた。返信はすぐに届かれた。


ずっと待っています。毎日欠かさず文を書き、迎えに来てくれた時に渡します。





男は戦った。女のもとに、生きて帰るために。味方を励まし、鼓舞し、ひたすらに戦い続けた。

しかし、男も無敵ではない。彼は優秀でこそあれど、敵無しというわけではない。無敗を築けるような力量は、男にはなかった。


男は戦死した。敵兵に殺された。背中を斬られ、腹を突き刺され、殺された。その死体を、いくつもの軍馬が、兵士が、踏みつけ踏み越えていった。

見るも無残になった男の死体は、戦いが終わっても回収されることはなかった。そのまま、荒れ果てた戦地に放置された。男の死体だけではない。敵味方問わず、多くの戦死体がその場に放置された。

誰一人として、その遺品を、その躯を、親族へ届けられることはなかった。



放置された躯たちは嘆く。帰りたい、帰りたい、と。

どうして自分たちはこの場に留まっているのだろう。もう戦いは終わったのならば、帰らせてくれ。もう、自分たちに己で帰るための足はないけれど。

自分たちはこの場に留まらされ続けるだろう。たとえ躯が朽ち果て、形を失っても。


いつまで、いつまで放置されなければいけないんだ。

帰りたい。けれど、自分たちでは帰れない。

だから、ここに放置しないでくれ。

帰らせてくれ。


死者たちは嘆く。その嘆きは誰一人にも届かず、風に溶ける。

風の中で渦巻いて、ただただ、嘆きを重ねていく。


いつまでも、いつまでも―———―。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 広有、いつまでいつまでと鳴し怪鳥を射し事、太平記に委し。 昔の逸話を取り上げつつ、冷徹な現状を表すかのような厳めしい文体で綴られた作品だったと感じました。 大切な人のために戦い、そのために…
2015/06/07 00:02 退会済み
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