アイリーン 004
苦手なタイプ、とは言ったが、プルートスが基本的に善良な人間なのだということはこの数時間のうちにわかってきた。距離が近いのと、行動の予測がしづらいのが難点だが、最初の印象よりは意思の疎通ができるようだ。それがわかっただけでもアイリーンはほっと胸を撫で下ろしていた。
あの後、神官長からもう少し詳しく視察の報告を受け、夏至祭に向けて準備のことなどを報告した。内容の量はたいして多くなかったはずなのに、神官長とプルートスのせいで話がのびにのび、もうとっぷりと日が暮れてしまった。
「もう暗えから気をつけてなー。道草くっとらんでさっさと帰るんじゃぞー」
「なるほど! 美しい女性と夜の散歩とは、なかなか乙でありますなエオスポロス殿!」
「アホかい、魔物に食われんぞ! お嬢、しっかり見張っとけよー」
はい、と苦笑して頷きながら、彼らと反対側の柱に寄りかかっているイリシャンを見る。
「帰りも飛ばしてくれれば簡単なのに」
「アレを置いてっていいなら飛んであげるよ」
「もう……」
イリシャンはプルートスに近づくのも嫌とのことなので、帰りは自力で戻ることになってしまったアイリーンである。
プルートスには領地から乗ってきた馬があったため相乗りを勧められたが、丁重に断って大神殿から牝馬を借りてきた。プルートスには代わりに、神官長に渡された大量の土産を運んでもらっている。
『癒しの家』で寝泊まりすることになったプルートスと連れ立って馬を歩かせながら、荷物を一挙に引き受けている男に向かって笑いかける。
「助かります。やっぱり男手があると違いますね」
貴族らしからぬ下働きを強いられているにも関わらず、プルートスはふんぞり返って瞳を輝かせた。
「今の私は人足だからな! ……しかしすごい量だな。その『癒しの家』には何人暮らしているんだ?」
「暮らしているのは私を含めて六人です。老人が一人と、子どもが四人。日中は、働きに出ている方が子どもを預けて行ったり、屋敷の維持を手伝ってくださる方が通ってくださったりして、だいたい二十人くらいになります」
「それを丸っと連れて神山に行くのか?」
「連れていくのは屋敷に住んでいる子どもたちだけですわ。もう遅いので紹介は明日になりますけど……」
「その子らはみな『神憑き』なのか?」
あまりにも初歩的な質問に面食らうが、『外』ではその程度の認識なのだろう。何度か『外』に出かけて行った時に見た荒廃ぶりを思い出し、この人は自分が計り知れない混乱の中を生きてきたのかもしれない、と思う。
「『神憑き』は自分の憑き神の名を知っています。教えられずともわかるんです。ただ、その名を知るまでは『神憑き』とは呼ばれません。ただの『異能持ち』です」
薄明るい空にあっても静かに光る月を見上げながら、どう言えばわかりやすいだろうかと考える。
「憑き神が高位であるほど、『神憑き』となる年齢は早いです。ふっと名前が浮かんでくるんです。呼ばれた、と言う人もいます。でも、『異能持ち』がすべて『神憑き』になるとは限りません」
実際、神殿に仕えている神官たちのほとんどが『異能持ち』だ。神話には覚えきれないほどの神の名が出てくるのに、それに比べて『神憑き』の数はぐんと少ない。
「その『神憑き』と『異能持ち』はどう違うのだ? いや、憑き神がどうのということはわかったのだが……」
「あなたにとっては、そうなのかもしれませんね」
右に左に、しきりに首をかしげるプルートスに、なんだか新鮮なものを見ているような気持ちで笑いかける。
「市井の人にとって、『神憑き』は神と同じなんです。信仰の対象です。『神憑き』はもちろん人間なんですが、そう見なさない人の方が多い……。あなたのように、『神憑き』を、例えばイリシャンを、普通の人間のように扱う方の方が稀ですわ」
「そうなのか? ……は! そうか、だからあんな反応だったのだな! 冷淡に見えたが、実は照れていたと!」
勝手に納得しだしたプルートスに敢えて訂正することはせず、微笑むにとどめておく。
「敬われる『神憑き』と違い、『異能持ち』は……。プルートス様にとって、『神憑き』よりも『異能持ち』の方が身近な存在だったのではないでしょうか」
半分はあてずっぽうで言いながら、プルートスの横顔をうかがった。彼は驚いた顔をして振り向き、大きく一つ頷いた。
「うむ、その通りだ。かくいう、領地においてきた私の側近にも、その『異能持ち』と呼ばれるような人間がいる。彼らは……そうだな、有り体に言って、迫害されていたな」
「そうですね。『異能持ち』は、そういう扱いを受けることが多いんです」
「ほほう……」
呻くように相槌を打った後、あんなにもうるさかった人が黙り込んでしまった。
いろいろと思うところがあるのだろうとアイリーンも口をつぐむ。
アイリーンは『外』で暮らした記憶がほとんどない。ごく幼い頃にピエリアに連れてこられ、幼少期の数年を神山で過ごしたほかは、ずっと神山の麓で暮らしていた。
だから彼女自身は『外』で『異能持ち』が受ける迫害がどういうものなのか、本当のところはよくわからない。ただ、とても痛ましいものだと、そう思う。
「……その、アイリーン殿も、なのだろうか」
もにょもにょと問われた意図が分からなくて、目を瞬かせる。うほん、と妙な咳払いをしてプルートスは顎をくっと上げた。
「あなたも『異能持ち』か?」
「え? いいえ……」
「おお! そうか、それはよかった!」
ぱっと顔を輝かせたプルートスが馬の腹を蹴って歩みを速める。手綱を繰って後を追いながら、どうやら気遣われたらしいということに気づいた。
何かずれている気がするけれど、やはり、とても善良な人なのだろう。
「……プルートス様、次の角を右です!」
「おお! 承知した!」
いつの間にか結構な速度で走っている。もうすぐ屋敷に着くだろう。
子どもたちはきちんと夕飯を食べて眠っただろうかと考えながら屋敷の方に目をやると、どうやらまだ明かりがついている。
訝しく思いながら馬を急がせる。先に曲がって姿が見えなくなったプルートの驚く声が遠くから聞こえてきた。
「プルートス様、どうかし……」
「リーン!」
「リーン、大変なの!」
プルートスが馬をなだめている横をすり抜けて、双子が走り寄ってくる。
アイリーンも牝馬から飛び降りて、泣き出しそうな顔をしている双子の傍にかがんだ。
「クレオ、タレア。どうしたの?」
「キュクロがいないの!」
「テルペが泣いてるの!」
「キュクロとテルペが?」
バタン、と扉が開く音がして、テルペが泣きながら駆けてきた。
馬の手綱をプルートスに預けて少女を抱きとめると、テルペがしゃくりを上げながら一生懸命にアイリーンを見上げてくる。
「ど、どうしよう、リーン、キュク、キュクロが……」
「どうしたの?」
「どうしよう、森に行っちゃったの……!」