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アイリーン 003

「おっせーのー。オッサン待ちくたびれたわ。どこで道草くってたんじゃ」

 大神殿の奥に祭壇の間がある。その脇に神官の休憩室がしつらえられているのだが、そこが神官長専用の部屋になっていることは周知の事実だ。

 すれ違う神官たちと挨拶を交わしながら長い廊下を歩き、やっと辿り着いた扉を開けた瞬間、振り向いた神官長にそんな言葉をかけられた。

 礼をとる間もなく言われたセリフに、イリシャンはいっそう仏頂面になる。

「それは僕たちのセリフだよオッサン」

 アイリーンはくすくすと笑い、座っている神官長の横をすり抜けてお茶の準備を始める。

 神官長はもともと神兵を務めていたこともあり、かなり屈強な体つきをしている。華奢なイリシャンと並ぶと大熊と小熊ほどの差があるが、態度の大きさは同じくらいのようだ。

 これ土産なー、と無造作に広げられた菓子を受け皿の上に乗せて、湯気の立つお茶を並べていく。

「神官長さま、お帰りなさい。周辺の情況はいかがでしたか?」

「北は平和じゃのー老犬がようまとめとるわ。南は相変わらずごちゃごちゃしとるが、おっきなことにはならんじゃろ。問題児の東が、やーっと落ち着いてきたわ。新しく出てきた領主がうまく収めとる。今度のは若いがいいのー。前のより断然いい。バカか野心家か、ようわからんとこがさらに面白くてのー」

 椅子にどっかりと腰かけてフンフンと頷いている神官長に、アイリーンは首をかしげる。

「先の領主は亡くなったんですか?」

 応えたのはイリシャンだった。

「生きてるよ。クーデタがあったんだ。新しい領主様の『温情』で、命までは取られなかったんだって。僕は嫌いだね、こういうタイプ」

「人を死なせてばかりだった領主を取り換えるのに、殺人という方法をとっては民衆の支持は得られない、ということではないの? まっとうな考え方だと思うけれど」

「本当に考えてるのかどうか、怪しい感じだよ。僕はバカだと思う」

「はあ~ん? イリ坊、また覗きに来てたんか?」

 神官長がずいっと迫り、イリシャンがぐっと引いた。

「情報収集は僕の仕事」

「坊の仕事は情報の伝達だろうが。危ねえとこ行ってんじゃねーぞ。お前普通の人間より弱っちいんだから」

「身体は丈夫だよ。『神憑き』なんだから」

「そういう問題じゃねえよ、アホが」

 小突かれた頭を嫌そうにさすりながら、心なしかバツが悪そうにイリシャンがお茶をすする。

「神官長さまが心配だったんですよ。今回はいつもよりも長いご不在でしたので……」

「そりゃ、すまんかったの。東の若いのにいろいろ話をしなきゃならんくてな。何しろ先の大戦以来、大混乱だったじゃろ? 信仰が形骸化しとるせいで受けれる恩恵も受けれなくなってての。神山とラインを繋げるのに時間くっちまったわ」

「ご自分でされたんですか? 呼んでくださればよかったのに」

「坊が来てたんならそうすればよかったのー」

 身体の大きな神官長は一つ一つの動作もいちいち大きい。巨躯を曲げて、ハーア、と大きくため息をつく間に、コンコンコンと扉が叩かれた。

「開いとるよー」

「お話し中、申し訳ありません。お客人が……」

「失礼いたします! 今朝方ぶりです、エオスポロスどの!」

 神官を押しのける勢いで現れたのは、目について派手な男だった。

 服装の問題ではない。むしろ着ているものは、仕立てはよさそうだがひどくシンプルで、装飾といえるような装飾もない。それなのに派手と感じたのは彼がもともと持っている色彩による。

 赤毛は燃えるように鮮やかで、緩くウェーブして肩甲骨を覆うほどに長い。瞳は生命力に溢れた緑だ。大きな瞳は生き生きと輝き、その曇りない表情と甘い蜜を思わせる声音に、彼が『貴族(バシレウス)』であることが一目でわかる。

 『神憑き』とは別の形で、神々からただ人よりも秀でた力を与えられた人間だ。

 アイリーンがさっと立ち上がり、貴族に対する敬意を示す。

 イリシャンは椅子に座ったままで、興味なさそうに闖入者の姿を眺めている。

 男にとってはイリシャンの反応の方が珍しかったのだろう。興味深そうに視線をやり、「おお!」と大げさな声を上げた。

「そなたが『神憑き』というやつか! 奇抜な成りをしているな! 黄緑の髪など初めて見たぞ!」

 ぱっと顔を輝かせて遠慮なくイリシャンの髪を触ろうとする男のことを、アイリーンは呆気にとられて見ていたが、当のイリシャンは盛大に顔をしかめて室内の端に飛んだ。

「ここは見世物小屋じゃないんだけど?」

「すごいな! なんだ今のは! どうやったのだ?」

「何こいつ、鬱陶しい……」

 イリシャンの機嫌がどんどん下降していっている。

 あの無表情にあそこまで嫌そうな顔をさせるのもある意味すごい、と思いながら、アイリーンはさりげなくお茶を準備して男に席を勧めた。

「む、かたじけないな!」

「騒々しいのー。やっと解放されたと思っとったのに、なんの用じゃ」

「用ならたくさんございます、エオスポロスどの! まだまだわからないことばかりだというのに、ちょっと用事で呼ばれた隙に帰ってしまわれるとは……」

「お前さんにつきっきりでいれるほど暇じゃねーのよ。大事な坊と嬢が寂しがるでな」

「坊とはそちらの『神憑き』で、嬢とは………おおっ!」

 男が勢いよく立ち上がった勢いで、椅子が盛大な音を立ててひっくり返った。

 いちいち行動が大げさなうえで突拍子がない。目をキラキラさせながらアイリーンに勢いよく近づいてきた男は、ぶつかる一歩手前で足を止め、躊躇なくアイリーンの手を握りしめた。

「これはなんと美しい!」

「……はあ」

 さきほどからおりましたが、と口に出すのも憚られて、とりあえずアイリーンは心のままに困った顔をする。

「あの……離していただけますか」

「おお、これは失礼した!」

 パッと手を離し、にっこりと笑いかけてくる。自分に触れられた娘が嫌な思いをする可能性など欠片も考えていない顔だ。かくいうアイリーンも、不快を感じる暇もなく毒気を抜かれてしまう。

 椅子に戻った男はにこにこと、まるで旧知の仲のように神官長と向かい合ってお茶をすする。ごくごくと三口ほどで飲んでしまい、とん、とカップを机に置いたところで神官長が声をかけた。

「で、何しにきたんじゃい」

「エオスポロス殿、あなたが神殿で行った不思議のおかげで、領地の空気がぐっと明るくなりました。民衆も落ち着いたように思います。先の大戦で我らは神々とのつながりを失ってしまった。それが新たに結ばれた今、領主である私は神々への作法についてもっと学ばねばなりません。形骸化した神事をもとの意味あるものに戻さなくては」

「まあ、心がけは立派じゃのー……」

「是非ともご指導いただきたい!」

 がばっと机に額を付けた衝撃で、カツンとカップが硬質な音を立てた。

 その体勢から動かない男をしげしげと見ていた神官長がふと視線を動かし、アイリーンを目にとめる。

 何やら嫌な予感がした。

「嬢に任せようかの」

「え」

「世話などしてやらんでもいい。夏至祭で神山に行くじゃろ? あれこれ口で言うより人足として連れて行ってやるのがいいじゃろ。百聞は一見に如かずじゃ」

 アイリーンが反応をする前に、「それでいいかの?」と聞かれた男が「はい!」と元気よく返事をしている。

「夏至祭のことはチラッと話したじゃろ。下界じゃただのどんちゃん騒ぎじゃが、神山ではあんたんとこで形骸化された浄めの儀式が行われとる。ついでにそのまとわりついてる嫌な気を落としてもらって来ればええ。嬢が責任者だでな、行って帰ってくるまでは指示に従うこと。できるな?」

「もちろんです! ええと、美しいお嬢さん、お名前は……」

「あんた、自分も名乗ってないってわかってる?」

 イリシャンからの冷ややかな突っ込みを受け、男は目を丸くする。

「それは失礼した!」

 言いながら席を立ち、まっすぐに背筋を伸ばして右肘を曲げ、美しい礼の形をとる。発言の騒々しさからは想像できない、優雅で美しい所作だ。

「私はプルートス。家名は長いから割愛する。これからしばしの間、よろしく頼む!」

 満面の笑みを向けられたアイリーンもつられるようにして笑みを返すが、すすす、とイリシャンに横へ行って、プルートスに聞こえないようにぽつりと呟いた。

「……イリシャン」

「なに?」

「私も苦手なタイプだわ……」

「そう? 僕は大嫌いになったよ」

 余計な仕事が増えた、と頭が痛くなるアイリーンだった。


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