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輝かしい思い出(1900字)

 



「なぁ、今日は川に泳ぎにいこうぜ!」


 始まりはケン坊のこの言葉だった。


 晴れた空、白い雲、ギラギラと肌を焼くような照りつける日差し。


 日光で熱された砂利道から立ち上る夏の匂いを全力で嗅ぎながら、私たちは人生最高の夏休みを謳歌していた。



 ケン坊の後に続いて、水田が広がる田んぼのあぜ道を抜け、雑木林を山の方へと進んで行くと、そこには澄んだ水の流れる渓流があった。


「ねぇ、ケンちゃん。大丈夫?」


 あまり泳ぎの得意でないヨッちゃんが、心配そうにケン坊に聞いた。


「何言ってんだ、これくらい何てことねーよ!」


 ケン坊はそう言うや否や、シャツと短パンを脱ぎ捨てパンツ一丁になると、そのまま渓流に向かって飛び込んだ。


 私もケン坊にならい、同じ様に服を河原へ脱ぎ捨てると、渓流へと身を躍らせた。


 ヒンヤリとした水の感覚が全身を包み、それまでじっとりと汗をかいていた私の体は何とも言えない爽快感で満たされた。


「おおーい、ヨッちゃんも来いよー!」


 渓流の真ん中辺りで、楽しげに手をひらひらと振るケン坊に、ヨッちゃんも恐る恐る水面に向かって歩を進めた。


 それからは三人で川遊びを存分に楽しんだ。


 誰が一番長く潜っていられるか、誰が一番川底にある綺麗な石を見つけられるかなど、今思えばどれも他愛もない遊びだったが、私にとっては何物にも代え難い時間だった。


 川遊びがひと段落つき、河原に上がる頃には、日も暮れ始め、空の端から少しずつ夕闇が広がり始めていた。


「はぁー、楽しかったなぁ!」


 パンツ一丁のまま河原で大の字になっていたケン坊が満足気に口を開いた。


「僕、こんなにたくさん泳いだの初めてだったよ」


 ヨッちゃんも嬉しそうに応える。

 私が、今度は釣竿を持ってきて魚釣りをしようと提案すると二人は「賛成!」と、とびきりの笑顔を浮かべた。



 やんちゃで気も強いが、友達思いのケン坊。


 鈍くさくて、泣き虫だけど、いつも皆を笑顔にしてくれるヨッちゃん。



 私はこの三人で過ごす時間がとても心地よく、この時間がいつまでも続けばいいと思っていた。


 夕焼け色に染まったあぜ道を、私達はこれからの夏休みをどうやって過ごすか話し合いながら歩いた。


 虫取り……山登り……秘密基地作り……


 そのどれもこれもが魅力的で、私達三人は皆一様に目を輝かせながら話続けた。



 そうだ。



 まだまだ夏休みは始まったばかりなのだ。



 私はこれからの事を想像し、期待に胸を高鳴らせながら、あぜ道を歩いていった。





 いつまでも、





 いつまでも……







 ────────────


「十七時三十五分、ご臨終です」


 医師のその淡々とした言葉が、僕にはとても業務的に感じられた。


 隣では母が小刻みに震えながら俯き、父は寂しそうな目でベッドに横たわる祖父を見つめている。


 しかし、祖父は特殊なVRヘルメットに顔全体を覆われているため、その表情を伺い知ることは出来なかった。


 医師は僕と両親に軽く会釈をすると、そのまま部屋を後にした。僕は思わず、医師を追って廊下へ出て行った。



「あの……先生」


 入院してから毎日のように祖父のお見舞いに来ていた僕は、最後にどうしても聞いておきたいことがあった。



「祖父は、幸せだったんでしょうか」



 医師は少しだけ目を細めると、何か意を決したように僕に向き直る。


「尊厳死、という言葉を知っているかい」


 それが医師の第一声だった。


「平たく言えば、その人がその人らしく最期を迎えられたかどうかという意味だ。お爺さんが使っていたこの《擬似記憶追体験VR装置》が発明された当初は君と同じような異を唱える人も多かったよ」


 そう言って医師は両手の人差し指を真っ直ぐに立てた。


「そうだな……では、少々酷な質問だが、私から君にひとつ尋ねよう。家族の顔も認識出来なくなる程、認知症が進行してしまい、誰とも分からぬ人達に見送られながら最期を迎える事と、過去の自分が一番楽しかった記憶と共に最期を迎える事。どちらがより、尊厳死の意味合いに近い最期だと思うかね」


 医師のその言葉に、僕は何も答えられなかった。


「もちろん、この質問に正しい答えなんてものはない。ただ……」


「……ただ、なんですか?」


「ひとつだけ言える事は、あの装置は今後、この国どころか世界的に広まっていく革新的な発明であろうという事だ。……では失礼」


 そう言って医師は踵を返し、再び歩き始めた。


 それからどのくらいそこに立ち尽くしていたかはわからないが、その間、僕の頭の中では色々な考えや想像が駆け巡っていた。


 両親に声をかけられ、ふと我に返った僕は部屋へ戻った。


 そして看護師が手慣れた手つきで祖父に取り付けられていたVRヘルメットを外すと、そこにはまるでまだ生きているかのような柔らかい微笑みをたたえる祖父の表情があった。




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