桜・サクラ(1000字)
青年はいつもの様に公園を散歩していると、桜の木の下に数人の人だかりが出来ているのが見えた。
興味本位でその人だかりへ近づいてみると、どうやら枝についた蕾の一つが開花しており、皆がそれを写真に収めようと押し合いへし合いしている様だった。
「よし、俺もひとつ撮ってみるか」
ニヤリと笑ってそう意気込むと、青年は人だかりの中で滑るように身を躍らせ、見事開花した花を撮影する事に成功した。
満足気にその場を立ち去ろうとした青年だったが、ふと自分の数歩先から人だかりを遠巻きに見つめる老人が居ることに気がついた。
その老人は両手で握るように杖をつき、柔和な笑みを浮かべながら独り言のようにこう呟いた。
「いやぁ、見事な桜だ」
「あなたもそう思いますか。ほら、僕なんか写真まで撮りましたよ。後でSNSに載せようかなぁ、なんて」
青年はそう言うと、手に持ったカメラのボタンを押し、先ほど撮った写真の画像を老人に見せた。
老人は一瞬目を細めて写真を見たが、再びゆっくりと前を向いた。
「……ですが果たして、あの人の中で本当に桜の美しさをわかっている人はどれだけいるのでしょうか」
「え?」
青年は言葉の意味がわからず、少しだけ顔を老人に近づける素振りをした。
「春といえば桜。もちろんそれは間違いではありません。しかし、私には公園の隅で芽を出した若葉や、土の中から顔を出した昆虫、この公園を流れる穏やかな風からも、十分春らしさを感じられるのではないかと思うのです」
「……はぁ」
青年は気のない返事をした。
「あなたは何故、先ほどの写真を撮ろうと思ったのですか。桜が綺麗だからですか、それとも……」
そこまで言うと老人は言葉を切った。
「いや、失礼。それを聞くのは余りにも無粋でしたね。今の言葉は忘れて下さい」
そう言うと老人は軽く会釈をし、踵を返してゆっくりと歩き始めた。
青年はそのまま何も言わず、老人の後ろ姿を見送った。
そして、おもむろに撮った写真をもう一度見返してみると、そこには知らない人の手や、カメラが所々写り込んでいたことに気がついた。
「おまけに、肝心の桜もピンボケじゃないか」
そう言って自嘲気味に鼻で笑うと、青年は躊躇うことなくその写真を削除した。
改めて顔を上げると、そこには今も人だかりが入れ替わり立ち替わりしながら、たった一つの花を争うように写真を撮り続けている。
青年は老人の言葉を思い出した。そして、その本当の意味に気付き、苦笑いを浮かべながら独り言のようにこう呟いた。
「なるほど、これは確かに見事な偽客だ」




