尾行(1600字)
「被疑者、店内へ入った」
尾行していた田中からの無線が、俺の耳に入る。
「よし、そのまま尾行を継続。妙な動きがあったらすぐに報告しろ」
「了解」
ザザッというノイズと共に無線が一旦途切れ、俺は小さく息を吐いた。
(奴は必ず今日もやる……)
俺の長年の勘がそう言っている。自慢じゃないが、この勘が外れた事は今までに一度も無かった。
マルヒは一見してみれば、中肉中背のどこにでもいそうな中年の主婦だ。
ただ実の所、この“どこにでもいそうな”というのが一番厄介で、訓練を受けていない普通の刑事ならばおそらくほとんどの奴が「その他大勢の一人」として認識してしまうだろう。
だが、どこぞの偉い学者さんも言っていたが、後ろめたい事をする奴は決まって、目線、表情、歩き方にちょっとした変化が生じる。
そこに気付くかどうかが、俺とそいつらとの違いだと自負している。
「マルヒ、野菜売り場を物色しながら、食品売り場へ向かった。歩くペースが少し落ちてきてる」
突如入った田中からの無線に、俺は居住まいを正した。
「了解、おそらく食品売り場でやるつもりだろう。間違っても目を離すなよ」
「誰に言ってんだ。そんなヘマしねえよ」
そう言うと、田中が小さくクヒッと笑った。
この笑い方が田中の癖でもあり、これから起こる事に対して高揚感を感じている証でもある。
「ったく、また変な笑い方しやがって。マルヒに気付かれたらどうすんだ……」
呆れながらため息をつくと、車のダッシュボードに置いた缶コーヒーを一口飲んだ。すると、少し間を置いて再び無線が入った。
「マルヒ、お菓子売り場で立ち止まった。周りを警戒し始めてて、なかなか近づけない」
「慌てるな田中、まだ気付かれた訳じゃない。だが、そろそろカメラの準備もしておけよ」
「オーケー、カメラはもう回してる。後は現場を押さえるだけだ」
そう言うと、田中の言葉がピタリと止んだ。無線を聞いているだけの車内にも、張り詰めた空気が伝わってくる。
この時ばかりは俺もどんな些細な物音も聞き漏らさぬよう、無線から聞こえる音声に全神経を傾ける。
「盗った」
「よし!」
田中の報告に思わずガッツポーズが出てしまう。
「ヒュ〜。さすが万引きの常習犯だ。動作が自然過ぎて、危うく見逃す所だったぜ」
冗談っぽく話す田中だったが、内心本当に冷や汗をかいたに違いない。実際、俺も奴の手口を見たことがあるが、奴の万引きは異常に手早く、妙な芸術性さえ感じられる程だった。
「映像は?」
「ばっちり押さえてる」
俺の問いに田中は間髪入れずに答えた。どうやら俺が満足いくポイントから撮るのに成功したらしい。
「……よし、行くか」
俺は冷静さを取り戻し、田中にそう告げた。田中が了解とだけ答えると、すぐに無線は切れた。
尾行が全て無事に終えられた事に安堵した俺の口元から思わず笑みがこぼれる。
やがて、スーパーの裏手に停めてあった俺の車に田中が乗り込んで来た。俺はいつもの調子でゆっくりと車を発進させる。
その後の車内では、奴の万引きの手口についての話題や、別な日に尾行していた男が、女子大生の部屋に忍び込んで捕まった話で大いに盛り上がった。
所詮、人間なんてものは道徳的に犯罪を犯さない訳じゃない。
犯罪がバレた時の社会的地位や、人間関係が崩れてしまう事を恐れた抑制力の方が強いから犯さないだけなんだと俺は常々思っている。
だから、俺達のように他人が罪を犯すのを安全圏から見るのが楽しくて楽しくて堪らない傍観者はこれからもずっと存在し続け、永久に無くなる事はないのだ。
そんな事をぼんやりと考えながら、俺はアクセルを踏んだ。




