影の権力者(1400字)
「ねぇ、お母さーん。これ、ひどい事件だと思わない?」
家族団らんの夕食の時間。テレビのニュースを見ていた桜庭ひろみは、もぐもぐと口を動かしながら箸の先でテレビ画面を指した。
「ちょっとひろみ。食事の時ぐらい行儀悪い事は止めてちょうだい」
母の幸枝はひろみを一瞥すると、ピシャリとそう言い放った。
「だってさぁ……」
ひろみはふてくされた子供のように頬を膨らませた。
ニュースでは、先月起きた連続通り魔事件について、犯行を行ったとされる容疑者の裁判の様子が報道されており、一審では容疑者の責任能力を問うことが出来ず、無罪が言い渡されたというものであった。
続けて画面では、娘を襲われた憤りを隠せない被害者家族が涙ながらにインタビューに答える様子が映し出されている。
「ホント、こんなのありえないじゃん。何人も人を襲ってるのに無罪とか、子供でも変だって思うような事が認められるなんて、絶対間違ってるっ」
興奮のあまり口から米粒を飛び出す娘を見て、幸枝は思わずため息をついた。
「ひろみ。あなたの気持ちもわかるけど、今は食事中なのよ。やっぱり食事中はテレビ点けるのやめようかしら……ねぇ、あなた」
幸枝がチラリと父、恒夫の方を見たが、恒夫は視線を二人に向ける事はなく、箸で焼き魚をほぐしながら黙々と食べ続けていた。
「嫌よ、だいたいテレビ消したら、碌に会話もしないこの部屋じゃ何の音もしないじゃない! もしテレビを消すって言うんだったら、お父さんとお母さんとは二度と一緒にご飯なんて食べないからね!」
「もう、困ったわね……」
幸枝はぽつりとそう呟いたがそれ以上は何も言わず、味噌汁を一口すすった。
その時ニュースでは、被害者の家族が判決に不服を申し立て、最高裁判所へ上訴するという報道がされているのを聞いて、ひろみはふと顔を父の方に向けた。
「ねぇ、ちなみにお父さんはこの事件の事、どう思ってるの?」
悪戯っぽくはにかみながら、ひろみは尋ねた。
「ひろみ、止めなさい」
ひろみの言葉を遮る様に幸枝が声を掛けたが、ひろみの言葉は止まらなかった。
「いいじゃない聞くだけなんだから。だって私達家族なのよ! どんな話題だって家族皆で話し合うのが当たり前よ! それにこんな物騒な事件が起きて、もしこのまま無罪にでもなったらきっと真似する人が出るに決まってるわ! その時に被害者になるのは私かもしれないのよ!」
「いい加減にしなさい!!」
幸枝の金切り声に、ひろみは思わず黙り込んだ。
しかしひろみは自分の言葉に、父の眉がぴくりと動いたのを見逃さなかった。
「……ごめんなさい」
ひろみは、いつもの様に肩を落とし反省した演技をした。
「わかってくれれば良いのよ……お母さんも大きな声をだしてごめんなさいね」
「ううん。あ、それじゃあ私、お茶碗洗ってくるね」
そう言って、食べ終わった食器を重ねて台所へ持っていったひろみは、心の中で確かな手応えを感じていた。
数日後。
ひろみは、部活の朝練へ行くためいつもより少し早く家を出た。
そして玄関で靴紐を結び直すと、ふと郵便受けに入っていた新聞の一面を見た。
『最高裁 桜庭裁判長、一審を覆し有罪!』
その見出しに思わずほくそ笑んだひろみは、リビングの方に向かって行ってきますと一声掛けると、そのまま元気に家を後にした。




