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定年を迎える刑事の最後の職務(6000文字)

「あーぁ、ぜんっぜん捕まんないっすねー」

 ハンドルの上に両肘を乗せ、気だるそうに野村憲一のむらけんいちはぼやいた。


「愚痴ってねぇで仕事しろ、仕事」

 助手席に座る鈴山茂樹すずやましげきは、真っ直ぐ前を見据えたまま野村にげきを飛ばす。


「シゲさん知ってます? ここでスピード違反の取り締まりやってますよ〜って、今やカーナビが教えてくれる時代なんすよ」

 野村は鈴山の方を見て、呆れたように口を開く。


「だから何だってんだ。そのことと、俺らがいい加減に仕事をやっていいこととは何の関係もねえぞ」

 鈴山は姿勢を変えず、きっぱりと言った。


「そりゃ、そうっすけど……何かズルくないっすか?」


「何がだ」


「だって、それじゃあここだけスピード落として、通り過ぎたらまたスピード上げればいいんすから。……意味ないっすよ」

 取り締まり開始から三時間。これまで何の成果も挙げられない状況に、野村はすっかりふてくされていた。


「まぁ、おめぇの言い分も一理あるわな。でもな、その言い分を証明するものはどこにもねぇ。むしろそう思っちまうのは、お前ぇだったらそうするって、自ら言ってることにもなるんじゃあねえか?」

 鈴山は目尻と口角にしわを寄せニヤッと笑った。


 野村はうっと小さく息を飲むと、再び鈴山と一緒に前を見た。


「……で、でも、いつかはカーナビの裏をかいてそいつらとっ捕まえてやりますよ!」


 野村が悔し紛れにそう豪語すると、突然鈴山の胸ポケットから軽快な音が鳴った。


「ん。ちょっと前、見といてくれ」

 鈴山は胸ポケットから携帯電話を出すと、メールを確認し始めた。


「ちょっとぉ、さっき俺のこと叱ったクセに、シゲさんも変わんないじゃないすか〜」

 運転席で野村がブーイングを始める。


「いーんだよ! どっちかが見てりゃ大丈夫だ」

「ったく……」


 メールを確認した鈴山だったが、その表情はみるみるうちに曇っていった。


博美ひろみのやつ、まぁた"おちょくって"やがるな」

 鈴山が苦々しく呟いた。


「え、どしたんすか?」

 ひょいと野村が鈴山の携帯を覗き込むと、その画面には「今日は早く帰ってきてね」の文字と"赤いちゃんちゃんこ"の写真がでかでかと表示されていた。


「え! あれ?! もしかしてシゲさんって今日で定年でしたっけ!」

 野村はすっかり取り締まりの仕事を忘れ、驚いたように鈴山を見た。


「なんだぁ? 一週間前に言ったじゃねえか。本当におめぇって奴は……」

 やれやれと言った表情で鈴山は大きく肩をすくめた。


「あ……そうでしたっけ? でも、いいんすか? 最後の日にこんなつまんない仕事やらされて」

 野村が同情でもするかのような顔で、鈴山を見る。


「いいんだよ。変に周りから祝われるより、こうやっていつもの仕事してる方が落ち着くからな」

 鈴山はそう言ったが、その目は少しだけ、どこか遠くを見ているようだった。


「ふーん。そんなもんすかね……おっ、無線だ」

 野村が視線を落とすと、パトカーに備え付けられた無線に緊急通信が飛び込んできた。



『北幌警察署より各位、児童の誘拐事件発生。犯人は現在北幌港方面へ逃走中、至急急行せよ、繰り返す──』



「おいおい、マジかよ……」

 野村の顔が一瞬にして青ざめた。


「ここからなら北幌港は近い! 行くぞ野村!」

 鈴山が一喝すると、野村は即座にけたたましいサイレンを鳴らしながら、パトカーを全速力で発進させた。


「どうやら、とんだ定年を迎えそうっすね」

 運転しながらも野村がいたずらっぽく笑う。


「馬鹿! いいから運転に集中しろ!」

 そう言いつつも内心、鈴山も同じことを考えていた。




▼ ▼ ▼ ▼ ▼ 




 北幌港へ着くと、日曜日の港にはひと気は無く、鈴山たちの前にはズラリと等間隔に建ち並ぶ倉庫群が現れた。

 そして二人の乗ったパトカーが一番端にある倉庫まで辿り着くと、その倉庫の前に一台の車が不自然に停められているのを見つけた。

 野村は車の真横にパトカーをつけると、窓越しに車を覗き込んだ。


「……犯人が乗り捨てたんすかね」


「多分な。おそらくこの倉庫の中で立てこもる気だろう」


 鈴山は辺りを見回したが、鈴山たちの他に到着した警官は誰もいないようだった。


「どうします? 応援待ちますか」

 いつになく真面目な表情をした野村が、鈴山の指示を仰いだ。


「いや、いつ来るかわからない応援を待ってる余裕はない。いくぞ」

 野村の返事も待たずに、鈴山はベルトに拳銃があることを確認すると助手席のドアを開けた。


「あ、ちょっと勝手に行かないでくださいよっ!」

 慌てた野村も拳銃を持ち、急いで鈴山の後に続き倉庫の扉へと向かった。



 鈴山がさびだらけの鉄の扉を開けると、倉庫の中は薄暗く、中は港独特の磯の香りが充満していた。


 鈴山と野村はお互いに目配せし、音を立てないように左右へと分かれ、倉庫に散らばるドラム缶や朽ちた木箱などに身を潜めながら、奥へと進む。


「……だ、誰だぁ!」


 鈴山は身を固くした。今のは野村の声ではなかった、だとすると可能性はひとつしかない。


「待て、隠れるような真似をして悪かった!」


 鈴山は両手を挙げ立ち上がると、相手に姿を見せた。鈴山は長年の経験上、人質を取る犯人に対しては不必要に警戒させるべきではないことを知っていた。


 鈴山の目の前には、肩で大きく息をしている痩せた男の姿があった。男はポロシャツにジーンズという比較的カジュアルな服装だったが、その片手には拳銃が握りしめられていた。


「おぃ、まだ居るだろぉ! 出てこいよぉ!」

 男は身をよじらせながら大声をあげた。鈴山も、おいと声をかけると、反対側の壁際からゆっくりと野村が姿を見せた。


「……子供は、どうした?」

 鈴山は無線で聞いた『児童誘拐』という言葉を思い出し、諭すように男へ聞いた。


「あっちの部屋だ! 近づくんじゃねぇ!」


 男は顎をしゃくって、自分の後ろにあるドアを指した。鈴山と野村の位置では、この男をどかさない限りドアには近づけそうもない。


「わ、わかった。一旦落ち着け、子供は無事なんだな?」

 鈴山はなおも説得する姿勢を見せながら、男に語りかける。


「うるせえぇ! 早くどっか行けよぉ!……」

 そう叫んだかと思うと、男は身体をぶるぶると震わせ、突然がっくりとうなだれた。鈴山も意外なことに思わず困惑する。


「お、おい。どうした? 大丈夫か?」

 何か麻薬ドラッグでも使っているのだろうかと鈴山が訝しみ、じりじりと男へ歩み寄ろうとしたその瞬間──



「うわぁぁぁ!!来るなぁぁぁ!!」


 男が鈴山に向かって拳銃を構えた、鈴山も思わず条件反射で男に銃を構える。


「いいか、よく聞くんだ。今ならまだ引き返せる。ゆっくり銃を下ろすんだ」

 鈴山は先ほどよりもやや語気を強めた口調で、男をなだめた。



「はぁ……はぁ……はぁ……」


 男は鈴山を睨みつけるばかりで、何も反応を見せない。しかし、その時野村がぽつりと呟いた。




「やめろ」




 男の身体がピクリと動くと、男はゆっくりと拳銃を下ろし、野村の方を見た。


「野村……?」


 鈴山は野村の顔を見たが、その表情には感情というものが全く感じられなかった。


「はぁーあ。……ったく、つまんねえドジ踏みやがって。俺が最初に来てなかったら終わってたぞ」


 野村は吐き捨てるようにそう言うと、ホルスターから拳銃を引き抜き、ゆっくりと鈴山・・の方へと向けた。


「おい、野村っ! どういうつもりだ!」


 鈴山は男から銃口を外せないまま、顔だけを野村に向けた。


「どうもこうも……シゲさんも薄々感づいてるでしょ? 俺とこの男は実はグルだったんすよ。まぁ、結果的に全然使えねーヤク中でしたけどね」


 野村は今まで見せたこともないような、歪んだ笑みを浮かべた。さらに野村は言葉を続ける。


「本当はこいつがバレない様にガキを誘拐した後、ここを拠点にして身代金を奪う計画だったんす。それが犯行は見つかるわ、アジトはシゲさんにバレるわで計画はもうめちゃくちゃ」


 野村はわざとらしく大きく肩をすくめて見せた。鈴山は未だに野村の言ってることがうまく飲み込めず、ただ呆然と野村の言葉を聞くだけだった。


「でもまぁ、念のため俺が現場近くに張り込んでたおかげで、まだなんとかなりそうですよ。早いとこ"邪魔な人間"だけを始末して、応援が来る前にまた逃げればいいんすから」

 そう言うと野村は親指でカチリと拳銃の撃鉄を起こした。



「野村ァァァ!!」



 倉庫内に鈴山の怒号が響き渡った。男がその声に驚き、再び拳銃を鈴山に構え直す。


「シゲさん、よーく考えて下さいよ。状況は二対一、もしここで銃を下ろしてくれれば命までは取らないすよ? せっかくの定年を殉職で終わりたくないでしょ?」

 野村は鋭い眼光を鈴山に向けた。


「おめぇよ、それでも警官か。こんなことするために警官になったのか……」

 鈴山も野村の目をまっすぐに見つめた。


「説得なんて無駄ですよ。銃を下ろすか下ろさないかの二択しか、シゲさんには無いんすから」

 野村は冷淡に言い放った。しかし鈴山も野村の目を見たまま動く気配はない。



「こっちも、いつまでもこうしちゃ居られないんでね。あと十秒で決断して下さい。じゅう……きゅう……」


 野村がカウントダウンを始めると、鈴山の額に玉の汗が浮かぶ。この目は本気だ、鈴山はそう直感した。


「ごぉ……よん……」


 刻々と時間が流れる中、鈴山は胸の奥であるひとつの決意を固めていた。


「にぃ……いち……」

 そこで野村はひと呼吸置いて、こう呟いた。


「シゲさん、長い間お疲れ様でした。これからはゆっくり休んで下さいよ」


 鈴山が覚悟を決めたように固く目を閉じると、野村と犯人の男が鈴山に向かって引き金を引いた……。


 





 パンッ!……パンッ!……







「ぷっ……あっはっはっは! シゲさん誕生日おめでと〜う!」


 野村が堪えきれず笑い声をあげた。鈴山が恐るおそる目を開けると、ふたつの銃口から飛び出した"銀色の紙吹雪"が、辺り一面に舞っていた。


 すると奥の扉が勢い良く開き、顔の見知った同僚たちがキャスター付きのテーブルを倉庫へと運び入れてきた。テーブルの上にはたくさんのロウソクがささった大きなホールケーキが乗っている。


「シゲさん! 本当にお疲れ様でした!」

 交通課に所属する女性警官が、鈴山に大きな花束を差し出す。

 放心状態の鈴山が花束を受け取ると、辺りは盛大な拍手が巻き起こった。


「……は……あぁ?」


 鈴山は全くこの場の展開についていけず、気の抜けた返事を返すだけでやっとだった。


「シゲさん、これっすよ」

 鈴山は野村の方に向き直ると、野村は『ドッキリ大成功!』と書かれたプラカードを持っている。


「……どっきり……だいせいこ……う?」

 鈴山はプラカードの文字を反芻はんすうすることで精一杯だった。



「じいじー!」


 更にドアの奥から、鈴山の孫の健太けんたがパタパタと鈴山に駆け寄って来る。


「け、健坊……。おめぇ、どうしてここに……」

 鈴山は自分の右足に抱きつく健太の頭にぽんと手を置いた。相変わらず鈴山の口はぽかんと開いたままである。



「ぜーんぶ私の計画だったのよ、お父さん」

 健太に続いて、鈴山の娘の博美ひろみがひょいっと姿を見せた。


「どうしても、定年まで仕事を頑張ったお父さんを最後にビックリさせてやりたくて。ごめんねー」

 そう言うと博美はいたずらっぽく舌を出した。鈴山はこの娘が小さい頃からハチャメチャないたずらを事あるごとに仕掛けてきていたことを思い出し、苦笑した。


 次第に落ち着きを取り戻していった鈴山は、今度は騙された悔しさがふつふつと沸きあがってきた。


「おう、博美。おめぇ"おちょくる"にも限度ってもんがあんだろ!」

 威勢の良い鈴山の声に周りは爆笑に包まれた。


「で? ……おめぇさんは?」

 鈴山は犯人役の男の方を見た。


「あ、自分野村先輩の大学時代の後輩です! 一応、近所の劇団に所属してます!」

 男は、先ほどとは正反対の爽やかな笑顔を見せた。


「そうかい。おめぇさん、きっと役者で大成するよ」

 鈴山は照れたようにニヤッと微笑んだ。


「いやぁ〜、それにしてもシゲさんが怒鳴った時はマジでちびるかと思いましたよー。相変わらず凄い迫力っすね〜」

 野村が頭を掻きながら能天気に声を上げた。


「馬鹿! こっちは命の危険を感じてんだ! ちびるだ何だでうだうだ言うんじゃねぇ!」

 鈴山が噛み付くように野村に詰め寄ると、再び二人を取り巻く仲間たちに爆笑の渦が巻き起こった。


 こうして賑やかなまま行われた《定年ドッキリ大作戦》は、最後に博美が音頭を取り、全員で記念写真を撮ることで終演を迎えた。




 それから時は流れ──





▼ ▼ ▼ ▼ ▼



「はぁ……はぁ……す、すいませぇぇ〜ん!」

 一人の新米警官がバタバタと大きな足音を立てながら、署内にある詰め所へと飛び込んできた。


「ったく、初日から遅刻とはなかなか良い度胸だよ。さすが"健坊"だな」


「ちょ、ちょっと野村さん! ここではその呼び方やめて下さいって言ってるじゃないですかぁ」

 困ったように眉をひそめる新米警官に対して、野村は皺の増えた顔でニヤリと笑ってみせた。


「わりぃわりぃ。さぁて……ほんじゃま、今日も一日頑張りますかね!」

 野村は椅子から立ち上がると、新米警官の背中をバシッと叩き、首根っこをつかむようにして詰め所を出て行った。


「あ、あのちょっと野村さん! どこに行くんですか?!」

 いきなりの出来事に身体をばたつかせながら、新米警官は野村に聞いた。



「そうだな……まぁ、カーナビの裏をかく簡単なオシゴトってやつだ」



 それだけ言うと、再び野村はその警官をズルズルと引きずるように歩き出した。


「な、なんですかそれっ!? ちょっ、ちょっとぉぉ〜──」

 抵抗も虚しく新米警官はそのまま野村に引きずられて、二人は署を後にした。





 そして、誰も居なくなった野村のデスクに置いてある写真立てには、ぶかぶかの赤いちゃんちゃんこを無理矢理着させられた鈴村の不満そうな笑みが写っていた。



 それはまるで健坊の今後を嘆くようなどこか苦々しい表情にも見えた──




     

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