二人より三人がいいんだよ(side.A)
※森矢視点に変わります。
合宿最後の夜のぐだぐだっぷりに乗じて一体何人潰れているのか。屍累々とまでは言わないけれど、皆いい具合に酔っ払ったり寝落ちしていたりで収拾がつくのだろうかと割と正気な面々なんかは思っていたりする。
「鷹野が悪いよねこれは」
最後は一気で潰れた矢橋を見下ろしつつ言うと、鷹野は悪びれた様子など欠片もなく「酒に訴えるのが悪い」とばっさり切り捨てた。彼も大概口が悪い。しょうがないなと溜め息を一つ。
「言い過ぎ、よくないよ?」
「正論だしコイツも認めてるじゃねーか。いいんだよ好きなだけ吐かせときゃ」
「微妙な優しさだなあ…」
「優しさ違う。つかオマエ、よく平気な」
何が? ときょとんとしていると「や、いいわ」と勝手に切り上げられてしまった。遅れて鷹野の言葉の意図を理解して「ああ…」としか声が出ない。図太いアホはここにもいる、という話だ。
マンドリン以外には無関心とはまま言われていて、確かにそうかもしれないなと自分でも思っている。習い始めたのは小学生になってからだが、音楽自体には物心つく前に興味関心があって。それは家庭環境が少なからず影響していると思う。所謂音楽好きな一家なのだ。
鷹野に"師匠"がいるように自分にも"先生"がいる。家庭以外に信頼できて本当の意味で居心地のいい空間はレッスン室で、それだけあればまあいいかと思ってもいた。学校は学校で楽しかったが、弾きたい弾きたいと頭のどこかに楽器の事があって――友達といる間にもそんなだったからか「ぼーっとしてる」「天然」だなんて言われるのだろう。そういう意味であまり人に優しくはないなと自覚はある。
「ちょっと出るか」
自分で切り上げたくせに鷹野は話を戻すつもりらしい。風にも当たりたい気持ちはあったので乗っかる事にした。何だかんだで、三人の中で聞き役になるのは鷹野が一番多いんじゃないかなとちょっと笑ってしまう。彼は「俺は俺だし他人に興味ない」と言いながら懐に入れた人間には手厚い所がある。最初の頃はまったく会話がなくてそっけなかったのが嘘のようだ。
飲み物を片手に外に出て適当な場所に腰を下ろした。朝晩はだいぶ涼しくなったなと風で感じる。
「鷹野ってさ、似てるとこあるよね」
「は? 誰に」
「弥坂先輩とか」
「とかって何だよ」
「いやよくわかんないけど」
「あの人ほどお人好しじゃねーよ、めんどくせぇ」
俺ならばっさり切って関わらねえわ、あんなもん。
矢橋は鷹野に言わせると「めんどくさい」の一言で終わるらしい。先輩の立場からすれば、クラブ内の空気なんかを考えたら矢橋と一切関わらないというわけにもいくまい。関わらないでいる事も無理ではないけれど、先輩というのは後輩に少なからず情があるものだ。それは自分らに後輩ができてからわかった事で――慕ってくれる相手に対して冷徹にはなりきれないのが普通だろう。
「何がいいわけ?」
「え。あー…矢橋?」
「そ。あれの、何が? と思うわけよ。俺は」
信じられないと言いたげな表情で鷹野は言った。
「オマエ変わってるもんな」
「ちょ、酷いな」
「趣味悪いって言う方が正しいか? めんどくせー恋愛とか楽しくないだろー」
鷹野もまあまあ酔ってるなと口振りでわかる。
確かに面倒な相手だろうと思う。矢橋は先輩にまっしぐらで自分は積極的な方ではない。最初は「面白い子」だったのがいつの間にか、というだけの話。
「好きは好きだけどさ。僕はあれ、今の感じも好きなんだよね。矢橋も鷹野もいて、皆でわあわあやってるの楽しい」
「ヘタレの言い訳? それ」
「違うって」
否定しても鷹野は鼻で笑うだけで一向に信じてくれなかった。思い立ったら即行動な手練れの彼にはわかるまいとそれ以上は言わないでおく事にする。
三人でいる時間は心地よくて、部活の皆とも楽しくやれている今は自分にとって過ぎた物のように思う事がある。楽器ばかりに意識がいって、好き勝手して、ある種の孤独な世界にいた頃とは違う感覚。
マンドリンに対する気持ちは冷める事なく、弾いている間は熱に浮かされているような高揚感があった。もっとこうしたい、ああやりたいと突き詰めれば果てがなく――自分はこの先、一体いつまでその見えない果てを目指して進み続けるのだろう? という答えのない疑問を抱き出したのも大学に入ってからだ。
芸術の世界に身を置くというのはただ楽しいばかりではいられない。
自分も鷹野も最初は楽しい事に夢中だったはずが、いつからか結果を求められるようになっていて「コンクールにどうか」と勧められる機会が増えていた。拒否も出来たが、張りつめた空気の中で自分がどうなれるのかを感じたくなったのが最初の動機である。習練の積み重ねと、磨かれた感性の上に成り立つ舞台。告げられる順位。初めて首位を獲った時、喜びと同時に今後はそれに見合う技術が期待されるのだなという感想が胸にあった。実際この業界では名前が売れているし、使われる事も増えた。
「いいよね、部活って」
「いきなりだな」
「皆でさ、わあわあ楽しんで。いい演奏会にしたいって気持ちでやって、終わったらやったぞーっとできるのって幸せだなあと…」
「オマエはいつもそんなんだろ。コンクールだってへらへらしてよー俺には無理だわ」
「へらへらって…真面目にやってるってば」
「どうだか」
鷹野は苦笑しながら缶ジュースを煽る。
「そんで? オマエは現状維持希望?」
「戻った!」
「戻さいでか。俺だってなーつもりしとかねぇと気ぃ遣うんだよ。わかれ」
「いいよそんなの。いつも通りがいいんだから」
「楽器以外冴えねーなーホント」
仰る通り、とからりと笑うと鷹野も同じように笑った。
心地いい空間は崩したくない。学生時代だっていつかは終わるものだし、皆卒業すればまた新しい世界に身を置く事は必然だ。それまでここに浸っていたくて、できるだけ自分がどこに向かうべきかは先送りしておきたい。まだ、もう少し。
「オマエが一番会えなくなるかもしんねーんだもんな」
「まだわかんないよ。決めてない。鷹野もそうじゃないの」
「やだよ海外なんて。俺はフツーにやりてぇだけなの」
「フツーにって?」
「ん? んー…手堅い職に就いて、休みに弾いてさ。偶にコンクールとか出て、偶にオマエと弾ければまあまあかな」
「勿体ないなあ」
お互い知っている。自分らが海外の学校に行かないかと誘われているのを。まだ現実味がなくて、でもすごく魅力のある話だと思う。
「行けばいいのに」
「そりゃーお互い様だ」
まあね、と頷いて。
「とりあえず定演だよ。幕間に余興やろって言ってたじゃないか」
「げ。あれマジだったのか。消えたと思ってた」
「先輩もやるって言ってたし、やりたい奴はやれって感じだったろ? やろうよデュオ」
「オマエがピック忘れないってんならやってもいーぜ」
「しないよ、もう」
昔話をいつまでもつつくのが好きだなこいつ、と苦笑い。初めてデュオを組んだ時に舞台袖にピックを忘れてきてしまったのを未だに言われる。会場は微笑ましく待ってくれたし、門下生発表会だったので特に痛手はなかった。あれはあれで場が和んでよかったとか言ってたくせに。
冗談でつついてくるのはわかっているので、こちらも気を悪くする事はない。鷹野は素直に「やろう」とは言えない口なのも知っている。矢橋もやりたがるかなとちらりと考えたが、定期演奏会の曲で手一杯な様子だったなと思い出してやめた。
彼女が弾くのを見るのが好きだった。マンドリンの楽しさを体全部で感じ、音に耳を澄ませ、満たされたという風に浮かぶ笑顔が。彼女を見ていると、どこか懐かしい気持ちにさせられる。
「そんじゃ、そっちもやってかねーとな」
「だね。あーやばい、楽しみすぎるんだけど」
「はいはい」
オマエはいつもそうだよなと鷹野は腰を上げた。ぽんぽんと肩を叩かれた意図は励ましなのか落ち着かせる為だったのか――
先の話なんかより、今、目に見えて手の中にあるものが大事だった。振り返る間も将来を展望する間も惜しいほどに。
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