仲は悪いわけじゃない(side.R)
くったくたに疲れているのに気は高ぶっていて眠れない。耳鳴りがするようなしないような、頭の中が音でいっぱいだった。エンドレスで脳内再生される音達。
「あ。りょーちゃん、10時過ぎてる」
「んー? あれ、そんな時間?」
「お風呂、入っとかないと電気消えちゃう」
「わ、そらあかんわ」
11時を回ると風呂の湯は使えるが電気は消されてしまう。
「なみちゃんもう寝る?」
「うん。明日もあるから…」
「そっかーなら風呂だけちゃっと入ってまうかな」
それぞれマンドリンをケースに仕舞い、振り分けられた部屋に戻る。なみちゃん――佐々木 奈美――は同期女子の中で一番仲良しだ。ふんわりと線も柔らかく、見た目も中身も大人しい女の子。同じセカンドパートでさっきまで練習に付き合ってもらっていた。ついでに周りにいた他パートの面々と「合わせよう!」という流れになり、去年ポップスステージでやった曲なんかも弾いて遊んでいたりもする。
「りょーちゃん眠くないの?」
「でけんとこばっかしやからさ。気になって。できるだけやっとかな置いてかれてまうなーとか……なあ?」
「えらいなあ、」
奈美が言うと何だかくすぐったい。
「なみちゃんのが弾けとるやん。飲み込みえぇ方がえらいて」
「そうかな? りょーちゃん頑張り屋さんだからすぐできるよ。でも無理しないでね?」
「んー…ほどほどにしとくわー」
大浴場に行くと先客がいて、「疲れたねー」とか「布団入ったらすぐ寝れるっ」とか言いながら他愛ないお喋りに興じた。合宿は楽しいが、折り返し地点にきてからスケジュールがかつかつになったりするもので――指揮者も奏者も互いに神経がすり減らされる。通し。部分的な調整。調整。パート練習。調整。通し。(勿論休憩もあるが日中はほぼ弾きっぱなし!)
個々の意識には多少違いがあるのも当たり前だ。音楽的な嗜好・クラブの在り方についての考え等々……人間関係でもやっとする事もゼロではない。だから中には辞める者もいるけれどそれを無理矢理引き留める事はしない。お互い話をつけてそっと送り出す。しかし逆に途中入部してくる者もいるのだから、人間色々だなと思う。他のクラブも似たり寄ったりだとは学内の友人と話しているとわかる。
――でも、ウチは辞めんなぁ……
マンドリンという楽器が好きだ。クラブの雰囲気も。
他大学のギタマンはもっとシビアだったりする中で、ここはまだまだ自由がきく。先輩曰く、昔々シビア路線で大きく揉めた事があり残った面々が今の「基本、自由」な方針に転換したそうな。今年で52回目の定期演奏会となるので、創設時のメンバーはお爺ちゃんお婆ちゃんだ。そう思うと時代とか歴史を感じる。
大学に何をしに来るかは人それぞれだ。院や教職の為に卒業単位外の授業に出る部員もいる。(大概部活の時間にぶつかるのだこれが。)資格試験やインターンで合宿に来れない者もいる。多忙を極め練習に遅れを取るのも必然と言えるのだが、それでも辞めないのは何かしら好きな事がここにあるからだと思う。そういうものに出会ってしまった事は幸運なのかもしれない。少なくとも自分はこのクラブに入ってよかったし、充実していると思う。
そういう意味では、鷹野についてきた事や森矢に最初教えてもらった事に感謝している。本人等には絶対言わないけれど。(正直改めて言うにはこっぱずかしい。)
*
心身共にさっぱりしたところで「もーちょいやってくるわ」と練習部屋に戻った。予定上では就寝時間だが実際は起きている人間の方が多かったりする。部屋でのんびりするもよし、楽器に触るもよし。通りがかった共同スペースでは先輩数人でトランプなんかもしていた。
「あれっ、おかえりー矢橋さん」
「どーもでーす。先輩らもまだいてはるんですねぇ」
練習部屋ではまだ何人か練習したり他の楽器で遊んでいたりと、日中のぴりっとした空気はすっかり抜けていた。
「やっぱセロでかいわ。手、しんどい!」
「マンドリンがちっさすぎるんでしょ? うーダメだ! フレット行き過ぎるー狭いよドリンっ」
「ドラも好きだな。線一緒のあるし落ち着く〜」
「セロの指でマンドリン弾いたらやばい。すっげ違和感…」
「あははは! 耳やばい!」
「ベースでCからって死ぬよね?」
「んー? えーオールダウンなの? こんなん? こうか」
「ちょ――! 右手おかしい!!」
「何でできちゃうかな!」
合宿中日かつ深夜テンションになだれつつある所為か、頭のネジの緩みっぷりや笑いの沸点の低さがちょっと危険な気がする。(いや、自分もかもしれないけれど……)
普段触らない他パートの楽器に触るのは結構楽しい。持ち心地やフレットの感覚・音の高低も新鮮で、こうした遊びは普段もちょくちょく見かける景色だ。
雑談も交えていると時間は刻々と過ぎるもので、風呂や就寝にとじわじわ人が減っていくのを見送りつつ自分にはなかなか睡魔がやってこない。音源のCDを聞いてみたり基礎練に戻ってみたりするのだが……
――……ああ、あいつかぁ
場の中にそれがあると何となく耳が音を拾って追いかけてしまう。森矢が練習時間外にレッスン曲や教則本に向かうのは最早見慣れた姿だ。
彼も皆と同じ【マンドリン】を弾いているはずなのに自分とは何か違う。経験値の豊かさや気持ちの強さを知らされてしまう質感がそう思わさせるのだろう。嫌味など皆無なのだけれど、いるなと気付かされる存在感が森矢の音にはあった。
「なーなー、」
「………」
人が減ってそんなに音もしないのに森矢は気が付かない。通常営業だ。よいしょと立ち上がり隅っこにいる彼の所まで歩み寄る。
「もーりーやー」
「? っえ、あ? うん?」
「ごめん。邪魔していい?」
「え? ああ別にいいよ。……あれっ、人すごい減ってる…」
「もー一時なりそうやもん」
「え、嘘。てか矢橋まだいたんだね。お風呂行ったらそのままだと思ってた」
「んん?」
「いや、女の子って何か10時とかに寝るようなイメージが……」
森矢の中の女の子像とは一体。(姉がいると聞いているのでその人はもしかしたらそうなのかもしれない。)
そういえば今ほぼすっぴんな事を思い出したが、今更そんな所で恥ずかしがるような間柄でもない。どうでもいい話だが眉はちゃんとある。書くのが面倒だからというものぐさな理由でだが。
「あんたこそ毎日遅ぉまでおるんちゃうん。あ、風呂行った?」
「行ったよ。鷹野とか三田に頼んどいたから」
言われないとうっかり入り逃すからと森矢は軽く笑っていて。下宿でならいつでもとなるが、合宿先は時間が決まっているので予め対策をしておいたらしい。世話を焼いてくれる友達に恵まれて何よりだまったく。
「今何しとん?」
「これ? 課題曲」
「黒いなあ譜面…」
「そう? 見慣れたらまあまあって感じなんだけど…これ好きなんだ。ジャズっぽくて」
「せやんな。かっちょええよなこれ。なみちゃんやらサキ先輩らもええなーって言っとった。あんなん弾けん、とも」
「聞いてたの」
それはそれは驚いた風な声で。
周りからすれば誰かが弾けば【聞いていた半分聞こえていた半分】になるのは然りなのに、森矢は本気で戸惑っているらしく目を瞬かせている。
「あんた部室でもやっとったやん」
「や。そんなの聞いてるとかは…皆喋ったりしてるし」
「聞こえるもんは聞こえるやんか」
「そうなんだけどさ……」
森矢は何とも言い難そうだった。気恥ずかしそうに目を泳がせてうーんと唸ったりしている。
「あー……僕はほら、聞いてないからわかんないんだよね。自分の事やり出したら他の事全然でしょ」
「ああ、それは知っとる」
「うん。だから他の人はそうじゃないってわかったのも言われてからでさ。知ってても、頭とか体ではわかってない、の、…かなぁ……? ただこう――」指を譜面に真っ直ぐ。「なってるだけかもだけど。……んー…何言ってるかよくわかんなくなってきたけど、わかる?」
……何となく、としか頷けないのだが。
「あんたが脇目も振らずこう」指を譜面と楽器に真っ直ぐ。「…なんと、聞かれてたとか思ってへんかったんはわかったわ」
笑いながらそう言うと森矢は本気で恥ずかしそうに「うあぁ……恥ずかしい…」と呻き声を上げた。思春期の中坊か。あんた。
森矢は頭を掻きながら参ったなという風に目を逸らす。羞恥からか少し顔が赤い。
「あんたとことんマイペースやんな」
「だよね。もうちょっと周り気にしなきゃダメだなとは思うんだけどね…直らなくて」
「や。悪いわけやなくてやな――そこまでなれるんやったらホンマもんなんやなと」
すごいなあ、と見上げる。
「何か飛び抜けてたらどっかしらあかんくなるもんちゃう? 有名なんにもそんな奴おるやん。それと一緒やろ」
「う、うーん……」
「鷹野もせやけど、近くにおってアホなとこ見とると"秀才"とか忘れてまうな。でもそうなんやんなーってこーゆー時思い出す」
「僕はともかく鷹野はすごいよ。ギターもだけど、ちゃんと生活力あるし、面倒見よくていっぱいいいとこあるし……矢橋はあんまり知らないかもだけど」
「ほーかあ…?」
「あ、信用してない」
そりゃあ中学時代の悪行の数々を見ていたらそうそう印象は変わるまい。
「鷹野がモテる理由はわかっとんで? 顔だけやないのもな。でもなあ……ウチは好かん」
「好かんって、友達でも?」
「友達っちゅーのとは違う気が……腐れ縁ちゃうかこれ」
すると森矢は「前、鷹野もそんな事言ってた」とくすくす笑い出した。こうして付き合いがあるなら友達なんじゃないの、とも。
「少なくとも付き合うとかいう対象にはならんな。そういう意味での"好かん"や」
「…そんなもんなの?」
女の子って深いね。
森矢も十分深いと思うのだが本人はそうとは思っていないようで。まったく不思議なものだ。
楽器以外は生活破綻者でも反応が中坊みたいでも、森矢は批判や暴言も吐かないしできない人間を小馬鹿にするような事はない。そこは好感を得られる部分で、冷徹な孤高の天才という人種とは違う。彼がそんな人間だったらこんなラフな付き合いはできなかったし、いくら腕がよくても尊敬の念や好意は持てなかっただろう。
「尊敬って…そんな大層なもんじゃないよホントに」
「ほーか? でもウチ、あんたに最初に見てもろてへんかったら入ってなかったで多分」
するりと本音が出た。
「………」
「ん?」
「…………矢橋も鷹野もさぁ…ホント……」
森矢は眉間をほんの少し寄せながらぼやく。
「? 何やねんな?」
首を傾げて先を促してみたが、森矢は困ったように笑みを浮かべて「いや、無意識は怖いなぁと思ってね」としか答えなかった。気になる。鷹野の名前が出た辺りが特に。そしてまだ顔が赤いのは何なのか激しく気になる。
粘ってみたが結局答えは貰えず、もう遅いからと話はそこで切られてしまった。こんな時だけ身の切り替えが早いのだ。――ああもう! もっと自分の思う事をはっきり言え!!
*