言うだけ無駄やから諦めたんや(side.R)
※矢橋視点に変わります。
夏合宿は四泊五日で、練習の嵐だ。去年と違うのは端から全部の合奏に参加できる事。「じゃ、一年生は別室で」と言われるのは技量からして当然だとはわかっていたが、森矢と鷹野だけはどんどん参加させられていて少し羨ましかった。一番連んでいる自分からすると、先輩や同期から腕を信頼され一目置かれている二人が何だか奇妙に思えたのも本当で。普段はあんなちゃらんぽらんやのに、というギャップは否めない。未だに。
四回生は最後の合宿な事もあり自由なもので、三回生は運営役なのでメインに働き指揮を執る。二回生の自分らは何となく三回生を手伝いつつ一回生のフォロー。教えるにせよ何か奢るにせよ"自分達が上の人にしてもらった事を下の人にやる"というのがこの部のやり方だった。運営にしても、びしばしというより気遣い気回しのし合いのようなスタイル。基本的に自由・締めるところはぎっちり、だ。(演奏会前は指揮者や上級生が鬼のようになるので、夏までは飴を与える時期なのだとは去年身をもって知った。)
「ここ、皆も指揮ちゃんと見ててね。走りやすいから」
「うあ。はいっ」
「144とか鬼すぎんじゃね? 最悪エアでもいーからな、下は」
「ちょっ、いーんすかそんなんで」
「いいいい、俺らもエアでいいって言われたし。弾けたらすげーわこれあはは」
「あんたは生き残るんだっつの! えーと、ちょっとずつ速くしながら合わせてみよっか。凌ちゃん、メトロ貸してー」
「はーい」
セカンドパートの仲間とはいい関係が築けていると思う。トップは女の人で優しいし、サブトップは面白くて下級生には言いにくい事も何かと汲んでくれる。トップとサブトップの漫才チックなノリは好きだ。和気藹々。こんな雰囲気は昔いた吹奏楽部ではあまりなかったような気がする。
マンドリンにもファースト・セカンドパートがあり、前者は所謂オケの花形と言える。だからといってセカンドが要らないわけではなく、パートトップも他の先輩達も「セカンド無いと締まらん!」「有る無しで厚みが違う!」とプライドを持って弾いている。ファーストに対する対抗心があったりなかったりは人それぞれだ。
マンドリンを選ぶと一・二回生は大抵セカンドに割り振られ、本人の希望や技量・全体のバランスを見てファーストに異動か残留かが決まる。森矢はセカンド経験もあったのと文句なしの巧さで、一回生の終わりにはファーストに引っ張られていった。本人の意志は一体、という強引さで。
パート練習(パー練と言う方が多い)もみっちりあって、トップの方針なのか基礎練からしっかり見られる。その後曲の練習に入り、トップ合わせであらかじめ指揮者から下りていた指示をざくざく説明。譜面はあっと言う間に赤ペンのメモだらけになった。音取りはしておいたが合奏の段になるとやはり雰囲気が違う。指揮者からの指示が飛び、弾き手からは質問が返され、合わせて調整。増えるメモ、メモ、メモ……
上級生と下級生ではレスポンスの良し悪しがあったりして、時々置いてけぼりをくわされる。が、そこでヘコむより「やったる!」と意気込むのが自分。
「そんじゃ、下回生だけ頑張るターン〜♪ 頭から3の終わりまでねー叩くから頑張ってー」
指揮者の先輩がかん、かん、と指揮棒でテンポを刻む。偶にこんな振り方をされるのも面白い。上回生は自分のパートの後輩に「頑張れー」とにこやかであったり「落ちたら死なすっ」と冗談混じりに焚きつけたりと様々で、やる側は色んな意味でプレッシャーがかかるのだが……こんな時でも森矢と鷹野は優秀で、下回生だけにしてはまあまあいい感じに出来上がったりしてしまう。やっぱりすごいなと感心する目は多くて、不思議とやっかみの対象にならないのは二人の普段のアホっぷりによるものだろうか。
およそ楽器なんかやりそうにないのに、いざやらせるとかなり熱い鷹野。楽器命で、弾かせれば初見の曲でも魅せてくる天才肌の森矢。二人から楽器を取ったら何が残る? 女好きのチャラ男とぼーっとした生活破綻者、だ。
鷹野は中学時代からモテて色恋沙汰で有名だった。見た目はチャラいくせに中身は割とスマートで「一体どこでそんなもん覚えてきた?!」と言いたくなる程には女子の扱いに手慣れている。相手を喜ばせるのが上手くて武勇伝の多さには呆れるばかり。その裏で泣かせた怒らせた女子の数も多く「凌ーっ!」と泣きつかれる事が何回あったかしれない。好きで「矢橋さんは男前!」になったわけではなく、鷹野に焼きを入れる機会が人より多かった故のこれなのだ。未だに鷹野は自分を面倒な奴だと認識しているのも知っている。
「鷹野先輩優しいよねー」
イケメンがギターなんか巧いと、目の保養にきらきらした視線を向ける輩も少なくないが、部内での彼の評価は"惜しい人"だったりする。「ギターはエロく弾け!」発言が伝説化しつつあって、女性遍歴が暴露されているのも効いているようだ。本人は訊かれればどんな話もあっけらかんとしているし――アホになった、と以前とは違う意味で頭が痛い。
「矢橋さん、森矢どこ行った!?」
「はい? あたし知りませんよ」
「コンビニ行くって出て行きましたよ、確か」
「一人で? だーもー!」
「え、電話しましょうか?」
「アカンアカン。あいつ携帯不携帯」
「え゛」
ほら、と示す先には森矢の席の譜面立て。ちょこんと携帯電話が置いてあり、先輩はそれも確認済みでこちらに訊きにきたのだろう。保護者ではないのだが自分か鷹野に真っ先に訊きにくる辺り"三人セット"が定着しているなと思う。微妙だ。
「森矢先輩携帯嫌いなんですか?」
「いや、ただのアホやから忘れよるん」
「困るなーもー…戻ったら俺んとこ来いっつっといて」
先輩は顔をしかめながら休憩スペースから出て行った。合宿中に役職の軽い引継ぎをする光景もしばしば見られるので、多分その件ではなかろうか。(舞台慣れしているのでホール係補佐に、とは上からの声であり珍しく彼の立候補でもあった。)
携帯電話を持ち出したのが高校からなのは今時珍しい方になるのだろう。森矢は携帯自体にあまり関心がないようで、メールリストで回ってくる事務連絡ですら「え、知らなかった…」なんて事が何度もある。"即返答!"などと件名にあろうが見ていなければ意味がない。どうにかしろよと言われながらも直らないのだから、皆「森矢からの返信には期待しない」とほぼ諦めの域に達しつつある。待ち合わせの時なんか必ず誰か付けられるのも最早デフォルトだ。楽器以外の物に熱を上げる事がなくて、物事に無関心というのも有名。普段は寝食すらまともか怪しいという域らしい。
合宿とはいえ自由時間もあって、それぞれ息抜きに外に出たり自主練したりと様々だった。誰が置いていったのか部室にあったバドミントンのラケットやバスケットボール・キャッチボール用とみられるボールとグローブも荷物に含まれていたので、それに興じるのも自由。自分は女子何人かと雑談しながらそれを眺めていた。
「おーっし、スリー!」
「きさんっ、手加減しやあ!」
「あっちー…もー無理ー」
「ちょ、どこ飛んだ今ー?」
「ごめーん!」
皆わいわいやっていて、デジカメで写真なんか撮ったりもしている。普段からそれはされていて、後々定期演奏会のパンフレットに使われたりもする。普通の写真が切り張り加工されて爆笑ものになるのだから大変だ。パンフレット担当だけでなく好きな人間がノリノリでやるので、身内に見られると憤死するような物も。去年自分もうっかりやられて「これアカンでしょ!」と悲鳴を上げた覚えがある。
「おいしい画だったからつい」
皆に「はははー」「確かにー」と笑われもって、本気でキレるわけにもいかず……"部屋飲み女子会で普通に包丁持って調理中のにっこりピース"がこんな画になるとか思うか、普通。同じくピースしていた同期と揃ってげんなりしていた。大学生活、面白がったもん勝ちだとふっきれたのもこの時だ。
多勢に無勢。そういう事は思っている以上に多くぶち当たるらしい。
*