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音のする方へ  作者: sen
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中継は俺しかない(side.K)



 いい陽気で少し暑いくらいだなと車を降りて空を仰ぐ。墓参りには丁度いい。間際になって仕事が入り、何とかやっつけてその足で森矢の実家に車を飛ばしてきた。

 母親とさやかが迎えてくれて、客間のソファに座っていると森矢の父親が顔を出した。相変わらず厳しい顔つきで、見られただけなのにどきりとする。


「こんにちは、お邪魔してます。…遅くなって申し訳ないです」


 頭を下げると相手からは「いや、」としか返ってこなかった。構わないのか構うのかどっちだ? と微妙なトーンで。その足でゆったりと向かいのソファに腰掛けてじっとこちらに目を向けている。さすがに【息子の昔からの友人】という情報ぐらいは残っているだろう。


「おじさん、お元気そうで。ご無沙汰してました」

「……君は相変わらずかね」

「は、…ああ、はい。まずまずといったところかと…」


 堅い。かちこちに堅い表情筋は巧く顔を作れているかと珍しく不安が過ぎった。森矢の父親はすっかり白髪ばかりになった髪を短髪にしてしまったらしい。前に会った時はもう少し長かった気がする。


「DVDを見せてもらったんだが、とてもよかった。いい弾き手になった」

「あ。ありがとうございます」

「いい師に恵まれて何よりだ。彼も盛りの真っ直中だろう? 色んな所で名前も聞く」

「ははっ、ですね。俺なんかまだまだ及びません」

「…そうか、」


 客間に降りてくる沈黙の重たいこと。母親やさやかはどこにいるのか、どっちでもいいからここにいてくれ! と切実に願う。こくりと飲んだ茶の味が碌にわからない。


「…じきに十年になるだろうな」


 独り言のようにぽつりと漏らされた声。ふっと視線を向けると、父親は腕を前に組んだところだった。頑固親父然とした雰囲気が増す。


「君はいくつになる?」

「は。えー…29です。今年で30に」

「そうか。……早すぎたと思わされるな。君に会うと」

「………」


 言葉が見つからない。緊張の所為ではなく、こんな風に父親に話を振られると思っていなかったのだ。


「親の私が言うのも変だが、章仁は恵まれ過ぎていたのかもしれないと思っていた。才能が度を超えてな。子どもだと思っていたらいつの間にかあちこちで名前を聞かされるようになって……大人に混じっていたのが舞台を引っ張る側になって、自分の息子ながら、時々出来過ぎて末恐ろしいとも思ったものだよ」


 ふうん、と長く息を吐く。無表情なのは変わりないが、吐露される父親の心境を聞いていると深い愛情や喪失感を思わせる。子の事を何も思わない親はいないのだというようで。


「最後、私達ではなく君らといる事を望んだのは、どうしてかわかるかね」


 ぽんと投げかけられた問いかけは自分もずっと答えを探しているものだった。最早残された物やかつての言動から想像するしかできない解答。


「……いえ、…すみません。俺、本当に全然知らなくて…」

「君が知らなかったならなかなかの役者だったのかもしれんな。章仁が怒鳴ったのはあの時だけだ。私も驚いてね。……昔は友達の話なんかほとんどしなかったんだが、大学は余程楽しかったようだ」


 ありがとう。すまない。

 不意に頭を下げられて狼狽した。やめて下さい、俺は何も、と口にするのが精一杯だ。


「ご家族にしてみたら、ホントは側に置きたかったと思うんで――俺でもそれはわかります。だからその、やめて下さい。そんなの言われたらもう…」


 言っても、相手は視線を落としたまま。こんな風に頭を下げられたら参る。誰にも非はないのに。


「君と、矢橋さんといったか。私は気懸かりでならなかった。章仁が()を通してすっといなくなったのを気に病んでいないか。…友人とはいえ楽器まで投げてしまっただろう。この前彼女を見ていて、妻も気にしていた」

「……矢橋、来たんですか?」


 知らなかった。連絡も取っていないので当然といえば当然なのだけれど、今までそんな様子は微塵も見せなかったくせに。


「あいつ、何しに…」

「部屋を見せてもらえないかと言って、しばらくしたら帰ってしまったんだが」

「これ、置いてあったよ」


 いつから居たのかドアの側にさやかが立っていた。これ、とクリアファイルを掲げてみせる。


「続きは車でにしよう? お母さんも準備できたからって呼びに来たんだよ」


 さやかはそう言って、くいと顎で外を示す。これから墓参りだというのにこんな複雑な心境で赴いていいものなのだろうか。そんな事を考えて、でも元凶はあれにあるのだから森矢もうるさく言うまいと皆の後について車に乗り込んだ。



 ファイルには例の譜面が入っていて、原本のコピーであるそこは赤ペンの書き込みがびっしり。学生時分に三人で合わせていた時のものだろう。矢橋の字を見たのは久しぶりだ。


「あの子の連絡先わかんないから鷹野君に訊かなきゃって思ってたんだよね。机に置いてあったから、もしかしたらいらなくなったのかなとか思ったんだけど…」


 月の頭に電話で「知るか!」と怒鳴られたのを思い出す。一人で勝手に怒って拗ねた始末がこれかよ、と項垂れながら長息。


「……や、いります。スミマセン。これ持って帰らせてもらっても…」

「うん、よろしく。…ああ。これ、あっくんの字だよね?」


 これ、とさやかはタイトル部分を指さす。彼女も弟の字を見るのも久しぶりなはずだ。懐かしそうにゆるりと口元に弧が描かれる。


「ですね。これ森矢が作ったやつなんすよ。四回ん時練習始めて、卒演でやるつもりだったんで…」

「ちょっとごめんね。えーと……これもあっくんかなーって思ってたんだけど」


 赤ペンの書き込みの中に違う字があちこち混ざっているらしい。

【ギターにパス】【1stから引きつぎ。そのまま持ってく】【目線】【消音×】

 ごくごく普通の指示ばかりだ。譜面を渡す前に森矢が書いておいたのだろう。


「この辺、俺のもちょいちょい書いてあったかな……確か」

「そうなの? これは? 消してあるやつ」

「ああ、多分無しになったやつじゃないっすかね。やってみたら何か違ってどーすっかとか言いながらやってたんで」

「ふーん……?」


 さやかは何か腑に落ちない面持ちで首をことりと傾げる。譜面の最後の一枚をぴっと引き抜いてこちらに寄越し「これも?」と言う。


【ritten by.akihito moriya】

【■■■■■】

【■■■■■■■■■■】


 下に何が書いてあるのか読めないぐらいぐしゃぐしゃに消されている。

 写譜した人間が最後の余白に氏名や年度、【第○回定演のために】などと書いたりする事がある。(落書きなんかがしてある物もある。)でもそれは原本にするもので、前者の文字は自分も知っている。【to.K/R】だ。森矢が自分達二人にという意図で書いたのだと言っていた覚えがある。黒いボールペンの跡が矢橋の胸中がどんなものかを思わせるようで、口の中に苦いものが広がった。

 後者は明らかに赤字の上に赤が重ねて塗り潰されていた。先にあった文字は森矢が書いたのか矢橋が書いたのかもわからない。


「あいつ何か書いてたのかな」

「鷹野君のにはなかった?」

「んー…覚え、ないっすね」


 記憶を探ってみてもそれらしい事に掠りもしない。そうこうしている間に霊園に着いて皆車を降りる。春は桜が満開で綺麗だというここは今は緑の盛りだった。

 行き着くまでにゆるやかな勾配があって、周囲のそれと比べればまだ新しい墓石が森矢家の物だ。両親や親戚はどんな気持ちでこの場に立つのだろう。自分が手伝うまでもなく三人は黙々と一通り掃除をし、花や水を換えていた。他人の自分は邪魔にならないようにするのと、最後に手を合わせる事ぐらいしかない。


「あっくん、今日は鷹野君も一緒だよー。嬉しいよね」


 さやかはにこにこしていて、その笑顔と言葉にくすりと表情が緩んだ。こうやって素直に口に出せたらいいのだけれど、生憎、いざ前にすると憎まれ口ばかり叩いてしまうわけで。


――なあ、オマエ、どうして欲しいよ? あれ。


 死人に口無しとはよくいったもので、そんな問いを投げても答えが返ってくるわけがない。何かをふっとひらめくわけでもなく、目を開けてもそこにはさっきと変わらない景色があるだけだった。



 戻ってから「森矢の部屋を見てもいいですか」という頼みはすんなり受け入れられて、中学か高校の頃に一度だけ遊びに来て以来だなと足を踏み入れる。すっきりと片付けられ、掃除も行き届いている室内にくっと喉の奥が引き攣った。使われている感じは皆無で、しかし部屋の主がいつかふらりと戻ってきてもいいような空気。二度と戻らないのはわかっていてもそうしておきたいのだろう。

 棚にはCDやDVD、文庫本や教則本が並んでいる。(マンガは立ち読みぐらい、といつか言っていたのは本当だった。)小振りなトロフィーや盾がある一角に写真も集められていた。学ラン姿の森矢とさやか。両親に挟まれて花束とマンドリンを持っている森矢。ステージ上での集合写真や演奏中のスナップ写真。一つ一つ注視して、どれも笑い方はぎこちないなとふっと笑ってしまった。


「………ん、」


 勉強机にはペン立てや教科書なんかがあって、大学で使っていた物も混ざっている。あのアパートの部屋から引き上げてきた物だ。多分。

 透明のカバー下にも写真があった。クラブの夏合宿や定期演奏会なんかの折々に撮った集合写真。三人は大抵近くで、ピースサインをしていたりにっかり笑っていたり――自分はあまり写真を欲しいと思わない質なので、こうして改めて見ると懐かしい気分にさせられる。今は皆それぞれの進路を決めて歩いている最中だ。でも、この時は確かにここにいた。大学時代なんてほんの四年。しかし刻まれた思い出はやたらと鮮明で、ああだったなこうだったなと語り種になるのは何とも不思議なものだと思う。


――元気にやってたよなあ、


 何でもない日常の積み重ねで人はできている。事件や事故とはほぼ無縁で生きていく人間が大半で、なのにどうして森矢はああなったのだろう。意地が悪い。


 矢橋はここに譜面を置いていったという。学生時代の一部を切り取った写真を前にしてよくそんな事ができたなと感心すらした。思い出に一番引きずられているのは彼女なのに。否、だからこそ腹も立ったのだろう。


「……どいつもこいつもなー…」


 三人の中でこうして苦労させられているのは自分だと思う。現実的で客観的で、薄情だと言われようが自分はこうなのだ。同じように囚われていてはいけないと前だけを見てきた。

 写真の中に矢橋と佐々木、自分と森矢の写った物があった。四回生の頭、クラブで花見に行った時の一枚。森矢も含め皆が満面笑顔でいる写真は机の上にこれだけだった。


*


 信頼をどこに置いているのかは皆違う。手腕。人間性。境遇。経験。共有した時間の長さ。――さて、どれを尺度にしているのか?


 電話口からの声は酷く苛立っていて、愕然とした風だった。【三人セット】という括りに拘っているからあんな言葉が吐露されたのだ。以前から強烈に差異を感じていたのは矢橋で、その上自分には手紙一つ残されなかったと聞けばショックだったろう。知らなかったのだ。本当に。

 自分も信頼の置ける相棒の喪失に、何か、誰か、と一瞬でも思わなかったわけではない。(我ながら女々しいことに。)矢橋をこの世界に引き上げようだとかそんな気持ちが【来るか?】と言わせたのだろう。ああ言えば彼女は逃げないとも思ったから。覚えていないわけがない。



 矢橋には転機が巡ってきた。それならそれでいい。なら余計、やるなら今以外ないと思う。区切りをつけさせるなら全部はっきりさせて、突きつけてやればいい。

 色褪せさせない。森矢はもっとずっと自分らの近くにいた、一緒に学生らしい馬鹿をやってきた友人だっただろうと思い出させてやるつもりだ。煙草を携帯灰皿に押し付けて、ステアリングを握った。



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