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音のする方へ  作者: sen
33/38

二人でよかったんやろ(side.R)



 うぅん、と小さく唸りながら頭を抱える。睨み合いっこをしている相手は川崎でも鷹野でも先生でもない。譜面だ。調整を終えて戻ってきたマンドリンは快調なのに肝心の手が(なま)ったような感覚がする。休んだ分とまだ少し痛むのとで思うようにいかないような気がして。


「あー……あかん…」


 項垂れて落ちてきた髪を掻き上げる。(邪魔だなと煩わしい事はあれど、ショートは似合わないからというだけでロングのままだ。)深呼吸し自分を宥めて楽器をケースに仕舞った。弾かずに、だ。――ああ腹立たしい、と今度は溜め息を一つこぼす。先の口論はまだ尾を引いていて、モチベーションが上がらない。



 電話で「オマエちょっと仕事しねえ?」とお伺いを立てられたのは昨日の事。BGM制作の手伝いだそうで、音がもう一つ欲しいからという話の後の雑談である。


「へえ! やるなその人」

「あんた人事やからそんなん言えるんやろけどなあ…」

「人事だろ」


 何言ってんだ、と鷹野はからから笑っていた。喋ってしまったのは相手からの「そういえば演奏会来てたんだな」という一言から。いらぬ詮索をされる前にというのと、自分の中だけで消化しきれなくて吐いてしまいたくなったのだ。


「いいじゃねーか。勿体つけてねぇで付き合えば?」

「んな簡単ちゃうし、」

「ああそっか。あっちはもしかしたら結婚とか考える年か?」

「せねんなー…こんなんで寄り道しとる場合ちゃうんちゃうん…って思うんやけど」

「重く考えねーで楽にしてれば。もー本性バレてんだろ? 最終友達でもいいっつってんだから別にいいじゃん。遊んどけ遊んどけ」

「言うたけどもっ! 気ぃ遣うやろちょっとは」

「自分で言っといて何弱気になってんだか」


 オマエ、こーゆー時強気なんだかヘタレなんだかわかんねーな。

 言われればそこまでなのだけれど、何というか、久しぶりの感じにじたばたしたくなる衝動に駆られていたりする。大学時代は片思いと楽器の所為で余所見などする気は欠片もなかった。合コンなんかもパス。社会人になってからも必死だったのでこれは本当に久しい恋愛話だ。前はどうしてたかしらと思い出しても碌な記憶がなく、参考にすらならない。


「余裕ができたって事だろ、そんだけ」

「ほーかぁ…?」

「よかったんじゃね。今なら行き遅れでもないだろ」

「やから決まってへんっつっとるやろ!」

「でもオマエ、その人気に入ってるだろ。でなきゃバッサリいってるとこだ」

「まあね? いい人やとは思ってるけど――」


 無意識に耳たぶのピアスを指でいじっていた。目標に届いていないくせにこんな、という呵責が胸にある。このまま温かい雰囲気に持って行かれていていいのか。脇目も振らず心血注いできて、ここで手を離してしまったらこれまでの自分は一体何だったのかと思う。


「道半ばやのにとかさあ…考えるわけよ。売れっ子なあんたにはわからんやろけど」


 こんな事を言ったら「まだ言うか」と呆れられるかと思ったがもう遅かった。来るか、と身構えているとしばし無言の間ができる。煙草でも吸いながら掛けてきているのかもしれない。


「…あのさー」

「何」

「森矢の曲。オマエまだ譜面持ってるか」


 いきなり? ときょとんとしたのは数瞬だった。まだ、なんて言われ方はどうなのか。


「あるよ。当たり前やろ」

「…だよなあ……」

「何やねんその嫌そうなん」

「やるか。あれ」

「は?」呆然。「……アホか。んな暇ないんやろあんたは」


 今まで【オマエと一緒にはやりたくねぇ】というオーラ全開だったのを彼自身気付いていないのか。鷹野から見ればキャリアを積もうが"学生のお遊びの延長線上にいるくせに"と言いたくなる程度なのだ。なのにあちらから「やるか」だなんて気味が悪い。(悪い物でも食べたのかとか思う。)


「門下生発表会あるだろ、篠原センセーんとこと合同で。俺も出ろって言われてんだよ。そこでやりゃいい」

「……何やそれ、」


 ついでのような軽さに思わず声が低くなる。


「おい、切るなよ電話。真面目に言ってんだぞこれでも。…落ち着いて考えてみてくんねーかな」

「気持ち悪いな。あんたが下からて。そんで仕舞いにさそうってか?」


 また、間。


「……丁度いいだろ」

「何が丁度ええっちゅーんじゃ」

「もうじき30なるよなオマエ。嫌いでもない男がいて、状況考えたら楽器よりそっち取っても誰も文句言わねえよ。そろそろ吹っ切ればいいんだって流れだと思ったら? ガキじゃねーんだからダチ一人の事にいつまでもしがみついてんなよー、ってさ」


 俺もその方がいい。

 つまりあれか。鷹野はもう森矢の事であれこれ考えさせられたり巻き添えを食いたくないと?


「何かあるとあたしがぐだぐだ言うんのがめんどいんやろ? 要は。悪かったなあそりゃ。付き合わせて」

「そう来たか。あのなあ…オマエの愚痴なんかもう今更過ぎて諦めてるっつの。そうじゃなくて、時期がきたんだって思えねーか? ってゆー提案なんだよ。これは」

「あんたが見んかったらええんや。あたしはまだ、」


 話しているのを遮るように、はあ、と苛立ち紛れの溜め息がした。


「……分かれ。いい加減。オマエがどんだけ楽器やっても森矢は全然喜ばねーんだよ」

「はあ?」

「あいつはただ自分の楽器がほったらかしで痛むのが心配だっただけだろ。オマエが嫌がるなら先生にっつってたんだから、オマエじゃなくてもよかったんじゃねぇの」


 何ならあいつの手紙読むか? と言われて息を飲んだ。そんな物があったなんて知らない。自分に宛ててはそんな物はなかった。

 いなくなるまで何を考えて、いなくなってからの未来に何を望んだかなんて知らない。鷹野にはあって自分にはない伝言(てがみ)。それはつまり、信頼の差なのか。


「……あんたにばっかり、何なんホンマに…?」


 どんだけツーカーやねん、とこみ上げてくるままに任せて笑った。乾いた笑いで喉の奥がひきつる。


「オマエに【自分の代わりになってくれ】なんて頼んでなかった。…だから言ったろ。追っかけんのやめろって再三」

「――あんた、楽器の話した時、来るか、って言うたのは何やったん」


 鷹野は間違いなくそう訊いた。自分をこの世界に留め置いた一因にあの遣り取りがあるのだ。なのにその鷹野がこんな言い方をする。


「覚えてねぇよ。どう言ったかなんて」


 ホンマに? という確認すらする気にならなかった。どうせはぐらかされて、笑われて仕舞いだ。何年も前のたった一言をよく覚えてるな、と。

 ショックだった。何がと問われたら、全部だ。


「……何が三人セットやっちゅーねん…」

「あん?」

「何もない。……ほーか。ほんで? 何でやらなあかんねん、曲」

「森矢のドリンがいいだろどうせなら。合わせるならあいつのイメージ直接聞いた奴のがやりやすいし、俺も今更オマエ以外の奴探す暇ねえから」

「あっそ、」一息。「――なら探せや。他、」


 無音。


「篠原先生やったらやってくれはるんちゃう。前譜面見せたし知ってはるで。あんたの頼みやったら聞いてくれはるやろ」

「オマエなあ…」


 自棄(ヤケ)起こすなよここで、と鷹野は呆れ半分動揺半分な様子で呻いた。


「こっちの事も分かれよ。どうせ一回こっきりにすんだからオマエがやらないでどうすんだっつー…」

「分からん。分かりたくもない。……ああ、あんたがずーっと辞めんかいっつっとった理由だけは、よーぉよーぉわかったわ。ほんであたしはあんたらとは一生かかっても並ばれんねや。何が【三人でやろう】や――…済まんかったねえ、全っ然気ぃ付かんでっ」

「おい――!」

「あんたらの都合なんか知るかっっっ!!」


 ぶつりと通話を切って電源も落とす。苛立ちのまま携帯をベッドにぶん投げた。跳ねて壁にごつん。――知るか、そんなもん。


「………さいっあく」


 盛大に舌打ちして、はあっ、と肩で息をした。煮えくり返る腹は治まる気配がない。どう宥めろというのか、これを。一日二日では到底切り替えられない。マンドリンなんか弾ける気分ではない。



 馬鹿は馬鹿のままでいられた方がマシだったかもしれない。曲の話なんかするんじゃなかった。楽器なんか預かるんじゃなかった。約束なんかするんじゃなかった。そもそも信頼を置いて、二人を追いかけていたのは自分だけで、【三人セット】だなんて言われ続けてその気になっていたのが間違いだったのだ。あの二人と自分は、最初から最後まで違う立ち位置にいたのに。


「……――ああっ、ホンマにいぃ…!」


 ムカつく。この一言に尽きる。何に対してか。自分にも何もかもにだ。



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