くるくるまわる(side.R)
「そのピアス、いつもされてますね」
え、と息を飲む間があってから「はあ、まあ、」と生返事。向かいの席には川崎がいて、今日も私服だ。(シャツに薄いジャケット。デニムが好きなのだそうな。)
電車で笑い話をして、店でもぽつぽつ喋るようになってからも「お兄さん」呼びに変わりはない。だが"店員と常連客"から"お友達"にシフトしつつある。彼曰く、妹と自分の年が近いそうだ。だから彼と話していると兄といるような感覚になるのだろうなと納得。
「あははは、ついついこればっかにしてしもーて…お気に入りなんです」
亡くなった友人からのプレゼントで、お守りで戒め。そんな、場が重たくなるような話はする必要ないだろう。「よくお似合いですよ」と川崎は言った。オレンジの石は色をなくす事なくずっとここにある。
「妹さんはこーゆーのしはらへんのですか?」
「ないですね。僕が見てないだけかもしれませんけど」
「あ、川崎さん一人暮らしやからあんまり会わへんとか?」
「ええ。実家に何年も帰ってないんですよ。お恥ずかしい話なんですが、親とはあまり反りが合わなくて」
眉尻を下げながら苦笑するのに、「そうなんですか…」としか言葉が出てこなかった。自分には兄が二人いて、末っ子なので両親にもよく構われるからそういう感覚がよくわからない。
「こっちはこっちで自由気儘にやってるから楽ですけどね。…せっかちな親でね。全然似てないなってよく言われるんです」
「はあ……でも何やろ、ウチからしたらちゃっちゃかしとる川崎さんは何か想像できませんね。きびきびしてはるのはほら、お店で見てますけど」
「ははっ、そう言っていただけるとありがたいです。気を抜くとダメなんですよね、ぼやっとしてしまって…ご迷惑かけてないかなってどきどきしてるんですよ、いつも」
「ええっ、全然見えへん! 素敵に仕事してはるやないですか。かっこいいし。そんなん心配いりませんて」
「恐れ入ります」
眼鏡の奥で柔らかく細められる目は優しい。川崎のような人を大人と言うのだろうなと思う。立ち振る舞いにせよ何にせよ、自分の先輩らはもう少し子どもっぽいような気がする。(ただこういう側面を見ていないだけかもしれないが……)
どうして店以外で会う事になったのか。店に行って「先日はどうも」から始まって、世間話をしている中で映画の話になったんだったか。同僚から「彼氏と行ったから二回目はパス」とあっさり振られたのだという余談も。もしよかったらと誘ってもらったのは会計の段で、え、と呆けた時自分はきっとアホ面だったに違いない。
「映画面白かったですね。あたし主役の俳優さん好きなんですよー」
「そうなんですか」
「歌ってるより俳優さんやってはる時のが好きですね。ちょっと小柄やーって聞いてびっくりしたけど」
「ああ、そうでしたね。奥さん役の方とそんなに変わらなかったような……でもそんなに感じさせないですね。雰囲気かな」
「ですかね。ああいうきりっとした人見るの、好きなんです」
へにゃっと顔の筋肉が緩んでいる自覚はあったが、好きなものを語る人間は大抵こんなものだろう。川崎は微笑ましげに眺めてくれるが、自分の近しい人間は「ゆるっゆる!」と大笑いするタイプが多数。
「パンフ眺めてまたにまにましてしまいそう」
「お好きなんですね、すごく」
「ははは、すみませんアツくて。にまにまとかやらしいかな」
「いいと思いますよ? 顔に出ちゃうぐらい、っていうんですかね。皆あるもんですよ」
「お兄さんがにまにま…?」
じいっと見てみても、このさわやか笑顔がどう――? と疑問しか浮かばなかった。
「想像できません、って顔してますね。ははは、」
「あんまり顔には出なさそうやなぁと…」
「抑えてるだけですよ。今は」
意味深長だ。しかしそこをつついてどうなるわけでもないので目を瞬かせるに留まった。
「30も過ぎたおっさんがはしゃいでたら変ですから。色々抑えないと」
「おっさ……いやいやそんなん言うたらあたしかてえぇ年してにまにまとかっ」
「かわいいですよ」
「へっ?」
「にまにま。矢橋さん、擬音、かわいらしいですよね。関西センスかな? 若いからですかね…? にやにや、とかより響きが丸くて好きです」
「………です、か?」
今解った。この人がもし策士だとしたら相当のやり手だと思う。素で、天然だったらそれはそれでかわいく思える材料。どっちなのかはわからないが…。(眼鏡の所為か真意がよく見えない。)
「あたしよかお兄さんのがかわえぇですよ。よっぽど」
「褒められてる感じが薄いのは気のせいですかね…?」
「褒めてますよ~」
くすくす笑いながら言ったのがまずかったようで、信じてもらえなかった。「からかってますね?」と苦笑いする口の端に靨が刻まれているのに気が付いた。30越えの男性にしては笑うと何だか幼さがあるなぁと感じさせる要因はここにもあったようだ。
「僕で遊んでも何も出てきませんよ?」
「そんなつもりは――いやでもごめんなさい。馴れ馴れしかったですね」
失礼しました、とはにかんで頭を下げると相手はにこりと笑みを浮かべてみせた。
「いえ、大事なお客さんですから。僕は構いませんよ」
お客様の機嫌を損ねて損害なんか出る方が大変です、と川崎は真面目くさった声で言いコーヒーに口をつける。受けた衝撃の後にやってきた罪悪感がハンパない。もしかして映画の誘いも無理をして言い出してくれたのだろうか? と思って慌てた。
「ああぁぁごめんなさいホンマに! 映画まですみませんっ。気ぃ遣てもらったんですよ、ね…?……え、時間外労働やろか、これ」
「冗談ですよ」
「は?!」
「冗談です」
二度も言われた。しかも悪戯が成功して嬉しそうに見える。自分にはそう見えるのだが、さわやかな笑顔には変わりない。
「ちょ、えぇっ? 川崎さあぁん?」
「すみません。仕返ししてしまいました」
そう言われるとぐうの音も出ないではないか。
「お店の顔は嘘ですかぁ? ちょっともう、」
「言ったでしょ。色々抑えないと、って」
こんの策士め! と胸中で悪態を吐いたのは内緒である。何とも言い難いもやもやをどうしたものか。
「はあ……いや、うぅん…意外やな…実は意地悪さんなんですか、川崎さん」
「ははっ。意地悪さんって」笑い。「年甲斐もなくはしゃいでる所為ですかね。小学生みたいな真似してしまいました」
「…んん?」
「気になる子はいじめたいタイプなんですね、多分」
まるで他人事のように口にされた言葉に目を剥いた。そして、硬直。
「………」
「驚きましたか」
「…仕返しの続きではなく?」
「はい」
「冗談でも、」
「ないです」
短い応答。彼はどこまで本気なのかとか、実は遊び人なのかもという疑念は現段階では拭いきれない。
「……あのー…あたし、口、めっちゃ悪いですけど。素。ツッコミきついですし手も足も全部出ますよ?」
「お店でもそれは。お友達といらしてる時に」
「は、…あ……」
見ていたのか、と呆ける。
「申し訳ないですけど、僕もただのお客さんの映画に付き合うほどの優しさは持ってないです」
「はあ、ええっと…何で? あたしそんなゆーてお兄さんと喋っとらんでしょ?」
当然の疑問だと思う。川崎は「おいしそうだな、と思いまして」と言ってから目を眇めた。
「? 何が?」
「矢橋さん、店で食べてく時に【おいしい】とか【満足】って顔に出てて。こう…目がきゅーってなるところ見かけた時にかわいい方だなと思ったのが最初ですかね」
「……や、そんなんあたしだけやないでしょうに…腐るほど見てはるやん、お兄さん」
「この前名前の話したでしょ。あれも大きい」
なかなか楽しかった。
似たもの同士。共感するだとか話のテンポが合うだとかは確かに切っ掛けとしてはある。実際今日半日一緒にいて嫌だなと感じる事はなく、むしろ雰囲気に安心もしていたと思う。でも、でも、と困惑の方が大きかった。
「ああ――…いやいやちょお待って。えぇと…あの、見たらわかると思いますけどあたしそんなん思われてるとは全然…」
「だと思います。――すみません、困らせてますね。抑え、どこやったんだろうな? おかしい………勢いって怖いもんです。若くもないくせにどうしたんだろう…」
「ぶふっ!」
最後の文句が、心底不思議そうな言い方で。「自分の事やのに何でそんな冷静やねんっ!」とツッコむ前に吹き出してしまった。
「あはははは! あかん、お兄さんおかしい!」
「えっ、」
「もー聞いてまいますけど、それ天然? 策士? ちょっと遊んだろーってつもりなら他行った方が安全ですよ」
気に食わなかったら口も手も足も全力で出す女なんで、とにんまり。今までになく悪い顔なはずなのに彼は驚きもしなかった。それよりこちらの問いかけへの回答を必死で考えているようで――何とも一生懸命な眼だ。
「天然って……策士ではないですけどさすがに色々考えてはいましたよ。こちらの一方通行なのは明らかですし、もうちょっと段階踏んで、とか――……なのに全部吹っ飛んじゃって。早まったな、とは思ってます」
「正直さんですねー」
「ここまできたら開き直りとも言いますが……」
居たたまれない、とはにかみ顔には書いてある。
こちらから「あんまり見込みないかもよ?」と提示して諦めなかった男は今までいなかった。この気質はちょっと、という理由で引く輩なんか願い下げ。自分の中身に関して端から言っておく方がいいと学んでいるからこその、これなのだが――年下の、自分の妹と年の変わらない女にここまで言われて不愉快ではないのだろうか? 自分なら腹が立つのに。
「普段も敬語なんですか?」
「あぁ、いや、…もう少し、崩れるかな」
「あたし今んとこお兄さん嫌いとかやないしな……ええと、生意気な口ききますけど、そんなら段階踏んでみて――その…ばっさり振ったらごめんなさいなんやけど、最終、お友達に納まってもいいならまた誘ったって下さい、とか…どうですかね?」
喋りながら「わけわからんな」と自分でも思う。宙ぶらりんで半端な優しさが痛いのは知っているくせに、とも。しかしここできっぱり断れそうにはない。少なからず情はあるし、相手を知りたいなと思っている自分がいるのも本当だ。
「…なら、お誘いしようかな」
「え、」
「ご迷惑ですか、やっぱり」
「は? いや。…お兄さんタフですね……」
「そうですか? ああでも、気長ではあるんでじっくりいきます。口の悪い矢橋さんとも仲良くなれたら僕は嬉しいかな」
「っ、……やっぱ策士っ! ちゅーか天然タラし?!」
「そんな。どっちも違いますホントに」
「自分のえぇ顔の使い所わかってはるわ絶対…」
「勘繰りすぎですよ、」
川崎に結局ひっくり返されてしまったなと少し悔しくなったのはこちらの勝手だ。久しぶりに顔が熱い。
「あかん……やっぱ年上には勝てん…」
呻きながらじとりと見据えたのに、彼はくすりと笑って「ホントに勝てたらもっと嬉しいだろうな、きっと」なんて言うのだから参った。
降参にはまだ早い。まだ、お互いを知るのはこれからだ。コーヒーを飲みながら、何とも言い難い痒さに目を伏せて顰めっ面になってしまうのは許していただきたい。
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