丸投げしたい!(side.K)
「はあ…?」
思わず眉を顰めて声を上げてしまった。師匠が今言った事は一体。
「前もちょくちょく合同でやってたろ。篠原さんトコと次もそうしようかってなってな。プロが来るってなると会場の入りもいいし、どうだ?」
「えぇー俺、パンダっすか?」
「出世頭なんだから偶には恩返しに出てこいよ」
次回の門下生発表会に自分の名前も打ち出すというが、二つの教室には出世頭は他にもいる。自分より先輩達や現役学生の方が余程いいと思う。
師匠は面白がっているように見えた。自分が卒業以来門下生発表会は辞退するようになったのが「物足りない」とは酒の席で散々言い募られた場面が過ぎる。昔調子に乗ってやりすぎたのが仇になったかなとほんの少しだけ反省。
「それはいいんすけど、ソロ?」
「全部」
うげぇ、と呻きながら参ったなと頭を掻く。ソロとデュオの伴奏とオケの三点セットとはまた。これまでもそのスケジュールで出た事はあるし、それぐらいの余裕も気力もあった。しかし今は全国あちこちに飛び回っていて忙しない。予定が白紙よりはいいのだが、なかなか隙がありそうでなさそうで――
「プロなんだから。やれ」
……ばっさり切られた。
「はあ、まあ……伴奏ならドリンが頑張ってくれてりゃ俺はいいっすけど。オケ、席後ろにしといて下さいよ? 練習出れないっす」
「やった曲なんだからトップ席座れよ」
「イヤっす! 現役生にやらせてなんぼでしょ。だいたい、練習来ないトップってすげー迷惑じゃないすか」
「ちっ、」
「師匠ーそんなあからさまに嫌そうな顔しないでくれます? 正論正論!」
「しょーがねえな。じゃあ代わりに目新しいもん、何かやれよ」
依頼の話もしたいからと呼ばれたはずなのにこの言い方は一体。しかし長年世話になっているギターの師匠に逆らうと後が怖いのも確かだ。
「目新しいもんっつっても……何?」
「考えろよ何か」
「あ。俺師匠とやりたいっす」
「つまらん、却下」
「早あぁっ!!」
「お前な、仕事でも弾いてる奴とやっても面白くないだろ」
「えー練習時間とりやすいじゃないっすか」
「嫌」
「ひっでえ、」
じゃあソロでばしっと決めりゃいいんじゃ、という意見も師匠を頷かせるにはまったく足りないようだった。えぇー、と天井を仰ぎながらまた思考を巡らせてみても、相手がにやりとしそうな事が思いつかない。
「お前、まだ持ってるんだろ? 森矢君の作ったやつ」
「は?」
「言ってただろう、未発表曲がどうこう」
「……ああ、あれっすか」
それも酒の肴にしたんだったか。何でまたそんな話をと見返すと、師匠はにやりと口角を吊り上げる。まさか、やれと?
「それは無しでしょ」
「何で」
「言ったでしょーが。あんなの聞かせられるもんじゃないっすもん。素人が作ったやつだし」
奇才の元門下生の名前がついていればいいわけではない。目新しければ何でもいいというだけであの曲をやるのは気乗りしないし、第一自分一人の判断でどうこうできる物じゃないのだ。もれなく矢橋がついてくるのは至極面倒くさい。
「嫌々やらせるんすか? まとまるわけないっしょそんなの」
「なら、いつならいいわけ」
「えー…俺に訊かれても…」
「矢橋さん許可取ったとして、違う奴とならできるか?」
「一生恨まれますよ、あいつに」
あいつという単語を拾って師匠は「両方は怖いな」と苦笑い。
「んー…ついでにっつったら失礼だけど、何とかしてやったらどうだ。あの子」
師匠も矢橋を知っているのでこう言うのだろう。自分の門下生でもないのに優しいこった、と内心毒づきつつもすぐに反駁は出来なかった。
曲の事も、このままいくと一生かかってもやろうという流れにはなるまい。どこかで無理にでもやらせないと矢橋はずっとあのままだなと彼女や森矢を知る人間は思っていて、区切りをつけておくには年齢的にもいい頃なのかもしれないという話だろう。これでどうかとお膳立てしたとして、果たして彼女は頷くだろうか?(その前に一悶着ありそうな予感はある。)
「……めんどくさあぁ…好きにやらせときゃいんじゃないんっすか。森矢のやったらすっきり、とかならないっしょ。病気ですよありゃあ」
「あの子が楽器から離れたら自分からも離れそうだから嫌、とかそういうのもある?」
「そんなんじゃないっす」
「早っ。…何だよお前、違うのか」
こんな詮索、師匠相手でなかったら受け答えすらしなかっただろう。三人でいた大学時代にも何度か訊かれた件で、森矢にも勘繰られたなと思い出す。
「違いますよマジで。俺、あいつタイプじゃねーもん」
「森矢君に義理立てしてるわけでもなく? ならアツイ友情だな。お前にしちゃ珍しく攻めあぐねてんのかと思ってた」
「師匠ー俺帰っていっすかー」
半眼かつ棒読み。だが相手はからから笑うばかりで動揺など欠片もない。
「まあ待て待て。訊いてみるぐらいの事はしてくれよ。少しは謝礼出してもいいから」
「いくら?」
「そのギター分」
「もう返したし!」
「そうだっけか」
「ひっでぇーちゃんと渡したのに。飯代も俺がっつったでしょ、あん時」
「そうそう。あれな。…いやあしかし、お前的にも清算しときたい所だろ? ちょっと働いてみろって」
何だか巧いこと丸め込もうとしているのが見え見えだ。
「うるさく言われんの俺なんっすけどー?…ま、考えときます」
「考える、で終わるなよ」
「はいはい、」
仕事の一環として――と振ってみたらどうなるかなと色々想像してみるのだが、どんな風に考えても口喧嘩は避けられそうにはないなとしか今はわからなかった。
車のステアリングを片手に危なげなく煙草が吸える器用さはあっても、あの矢橋を怒らせずに話を持って行く器用さが自分にはない。残念ながら長年"遠慮無しの言い合い"でもって付き合いが続いている相手に殊勝に向かい合える口を持っていないのだ。今更美辞麗句を並べても警戒や疑惑の念を招くのみ。……ああ、なかなか面倒くさい。
演奏会ではなく門下生発表会という名前で舞台があると客層は少し違うものになる。入場無料で宣伝もそこそことなると遠方からの客はあまりいない。業界で名前が通った人間が出演していれば興味がくすぐられるので「パンダになれ」と言うのもわからなくないのだが、師匠が単なる客寄せにと自分に水を向けたわけではないと薄々感じていた。要は、彼も森矢の曲に関心があるのだと思う。だからこそ「返しに来い」とこちらが強く断れない風に言うのだ。
単なる学生時代の思い出の一つとして、三人の中だけで終わらせてしまえればよかった。もっと早く作っていたら。ちゃんと彼の異変に気付いて向き合っていたら。もし、もし、ばかりを連ねても仕様がないのはわかっているのだけれど、人間そうして過去に柵無しではいられない作りになっているらしい。
「………はー、あ…」
信号待ちで煙草の火を消す。「煙草の匂い、好き」と誰だったか言っていた気がするが、それが誰だったかはもう忘れた。浅い付き合いだと忘れるのもお互い早いものだ。
ふうん、と溜め息ばかりが漏れているのに気が付いて、面倒事が重なるといっそ丸投げして逃げたくなるよなと鼻で嗤った。一つ打開できれば全てがさらりと流れ始めるのに、その唯一があの女では苦労するのは目に見えている。
――何で俺がこんな面倒な役なんだっつーの
仕事の一つだ、割り切れ。不満はそんな慰めで飲み込むしかないのが社会人の辛いところかもしれない。堅気の仕事をしていたらもっとバシバシしごかれていたかもなとも想像がついて、同じようにこの世界でも自分の軽さはいつまでも通用しない。甘えた事ばかり言って先を見ていても行き詰まるのは自分自身だ。
いつ都合をつけようか。これはさすがに電話やメールでは済まないよなと考えていたらスタジオまで後少しという距離になっていた。
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*今更ですが、マンドリンをドリンと略して呼称したりします。
*発表会等の定義いついては個人の経験や主観も半分ですので丸呑みされませんように...(念の為)




