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音のする方へ  作者: sen
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リードは広がるばっかし(side.R)


 携帯のアラームに意識を引き上げられ、低く呻きながら手を伸ばす。ボタン一つで黙った携帯の液晶画面を睨むと09:03とある。のろのろと起き上がり髪を掻き上げて寝室の景色を確認した。朝か、気持ち悪いなと小さく舌打ち。(休みの日でよかった。)

 鷹野は酒に強いのでグラスを空けてゆくペースが早い。喋りながらそれにつられ、飲み過ぎたと反省する朝を迎えるのは一度や二度ではない。気が済むまで飲んで、ふわふわした心地でマンションの部屋にたどり着いたまではきちんと覚えている。


「あー……あかん、眠い……」


 傾ぎそうになる上半身。何とか堪えて布団をめくり上げ、寝室の片隅を一瞥した。マンドリンケースと、譜面や音源が仕舞ってあるラック。



 どれだけ追いかけても届かないものというのは人間誰しも持っているわけで、諦めたり妥協したりで見切りをつけるのも必要だとはわかっている。このままいくとまずい人生だろうかとは、言われずとも自問自答してきた。辛酸を舐めてばかりで終止符を打たれる人間だってごまんと居て、当人がどんな心境でいたかはバラバラだと思う。喜怒哀楽、もしくは無か。

 森矢が何を得てどう思いながら自身の人生の終わりを迎えたのか、あんなに仲が良かったのに想像すらつかない。放っておくと音楽に浸りっぱなしで、下手な笑い方しかできなかった友人。よくよく思い出してみたら馬鹿な雑談しかしていなくて、彼がどんな風に音を感じて昇華していたのかだとかそんな話は訊いた事もなかった。鷹野にもそうだ。自分がマンドリンに触るのは大学の四年間だけだろうと思っていた所為で、今になってはそれが口惜しい。


「楽器、オマエさえよかったら使ってくれってさ。あいつ」


 来るか? と鷹野は訊いた。森矢を送り出して間もない四回生の梅雨時の事だ。いつそんな相談を持ちかけていたのだろうという疑問もさることながら【何であんたが訊くんや?】と首を傾げた。森矢の親からは楽器の話なんか一つも出てこなかったのに。

 森矢の親から言われていたら多分、今頃このマンドリンはこんな場所にはなかっただろう。クラブを引退したら返していたはずで、森矢の事もここまで必死になって追いかけようとしなかったかもしれない。


――楽しみだね、合わせるの


 経験の浅い自分があんな譜面で「三人でやろう」と言ってもらえたのは友情という厚意があったからだ。(練習だって実際自分ばかり大変だった気がする。)それでも構わなくて、しかし結局彼らと肩を並べられなくなった事が悔しい。天才の愛器でもって努力を重ねていたらいつか、とか、そんな幼稚な意地も「行く」と言わせた要因だと思う。


「………あーあ、」


 あかんあかん、とぼやきながら冷蔵庫に買い置きしてある野菜ジュースのパックを取り出した。ストローを差し、ちゅーっと吸いながらテレビの電源をON。土曜の朝はあまり観る物がないけれど、無音よりはという惰性がザッピングをさせている気がする。ぼんやりしている間にジュースが回って段々眠気は覚めてきた。実家暮らしのままだったらこのままのんびりできたけれど今はそうはいかない。


 掃除と洗濯をしていると時計は昼前になっていて、小腹が空いたなとお腹をさする。外で食べようと決めてさっさと着替えた。ひらひらふわふわした服は似合わないので大抵すっと細くてかっちりラインの服になってしまう。うぅんと少し考えて、薄いブルーのシャツに黒のタイトスカートにした。髪も整え軽く化粧もして鏡で確認すると一見"休日出勤ですか"な装いだが……まあいい。

 近所にカフェがあるのは便利だなと思いつつ足を向ける。休日だけでなく仕事帰りだとかにも寄ってそこで済ませてしまえる手軽さは重宝していた。


「いらっしゃいませ」


 土日や夕方は大抵いる女性店員がにこり。ちょくちょく話しているのでこちらも挨拶して返すと「これからお仕事ですか?」と訊かれた。やっぱり。


「いやいや、休みなんですけどね」

「あ、そうなんですか。すみません」

「あはは。まあこれやったらそう見えますよねぇ」

「お客さんラッキーですよ。さっきまでいっぱいだったんで……今席片付けますから、ちょっと待ってて下さいね」


 化粧はギャルっぽいのに喋ってみると丁寧で愛想良しな彼女。人は見た目じゃわからないなとこんなところで感じるとは。

 席に通されてカフェモカとサンドイッチのプレートを頼む。待っている間に携帯チェックだ。先生から次のレッスン日時のメールが来ていて了承の返信をしていたところに「お待たせしました、」と店員の声が降ってきた。この男性店員も顔見知りで「さわやか系眼鏡男子!」と以前一緒に来た会社の同僚がにまにましていた。そんなものかなとまじまじと見るのも失礼なので、携帯を置いて目線を落とす。


「カフェモカと、サンドのプレートです」

「どうも」


 トレーやカップを手際良く置き「今日お休みなんですね」と彼は訊く。さっきのやりとりが耳に入っていたのかもしれない。


「そうなんですよーここでのんびりさせてもらおかなぁと」

「どうぞごゆっくり。いつもありがとうございます」

「お兄さんはお疲れ様、ですね」

「ははっ。恐縮です」


 眼鏡の奥の双眸がゆるりと細められた。こちらもにこりと笑って返して、いただきますと会釈すると彼も席から離れた。まだ店内は賑わいの最中で、それを聞きながらゆっくりコーヒーを飲む。胃からじんわり暖まり気分が少し楽になった気がした。


 鷹野が昨夜言った事に少なからずダメージは受けていて、二日酔いと相俟(あいま)って思考は定まらない。【森矢には追いつけない】と口にせずとも先生も同じように考えているだろう。色んな物を引き替えに与えられた感性や技量は自分には到底落ちて来まい。働きながら楽器もという人生ではそこそこの結果しか伴わないだろうなとも感じている。その点鷹野は楽器を仕事にしてしまったのだからリーチがあって然り。――ああ、あの約束を果たせないには変わりないのだろうか。自分が追いつけばあの男も「やってもいいんじゃねえの」ぐらい言うだろうに。まだ、全然。



 先生に森矢の作った曲の譜面を見せた事がある。彼女は教え子がそんな事をしていたとは知らなかったらしく、へえ、と目を丸くしていた。最後まで眺めて「ちょっとやってみてもいい?」とマンドリンを弾き始めた。初見で流す程度だったが、終わってから「うん、あの子っぽい、」と笑って。


「どこかでやった? これ」

「いえ。四回ん時鷹野と三人でやろーって約束してたんですけどね。できんままで」

「そっか。…勿体ないね」

「ベースはデュオやって言っとったんで、無理やないみたいなんですよ二人でも。できたらやりたいんですけど…鷹野も今あんなんやから、構ってる暇ないんちゃうかなとか色々…あたしが森矢みたくできたら、やろうやーって言えるんでしょうけど…」


 アホですかね、と漏らしたそれを先生は笑わなかった。


「気持ちはわからなくないよ。……これ、二人にやってほしいなーっていうの、何か出てる気がする」

「ほーですか?」

「仲良くやってたんだってね三人。……鷹野君と組むようになってからも楽しそうだったな、彼。大学行き出してからクラブの話とかしてて、楽しそうで良かったなあって思ってたわ」


 楽器ばかりに夢中で他人にあまり頓着なく、昔は学校の話なんか自分からしなかったらしい。親が子を思うような、という優しい声音で先生は森矢の事を話す。彼女は森矢がマンドリンを始めた頃からの先生だからきっと色んな彼を見てきたに違いない。


「発表会とかでやってみたら?」

「いやいや無理ですって。鷹野がギターやらないかんと思うんで。……無理矢理やらせてもえぇもんできやんでしょ」

「それはそうか。でもなあ…」


 鷹野君も案外同じような事考えてるんじゃないかな。――同じような事とは、つまり? ことんと首を傾げるしかない。


「矢橋さん頑張ってるしすごくよくなったよ? 森矢君みたいにって思うのもね、楽器も貰って、友達としても大事にしたいところだと思う。でも、なろうなろうとしてこう…」指を目から譜面にすっとのばす。「…なってるのが心配」

「……わかるんですね」

「皆に同じ教則本とか曲やらせてると余計、かな」

「……」

「お手本にはしてていいと思うわよ。でも矢橋さんには矢橋さんの力があるんだし、それで【こうだ!】って弾いてこその曲になるんじゃないかな。森矢君、鷹野君とあなたの感じもよく見て聞いてたと思うし、二人のいいところが活きるようにって考えてたんじゃない?」


 先生がそっと笑うのに、こちらは素直に頷けなかった。森矢に成り代わろうなどとはおこがましい。それは理解しているけれど、自分のいいようにすればいいと言われるとどうしたらいいかわからないのだ。自分は最初から、森矢の音や弾き方しか追いかけるものを知らない。


「鷹野君もやりたいと思ってても、あなたがそうなってる間はこの曲はできないかなって考えてるんじゃない? あの子が一番一緒にやってきてるから、森矢君の事わかってるもの。相棒としてね」

「……そんな深く考えとらんと思いますけど」

「そう? 案外ああいう子の方が色々考えてる気がするけどな」

「経験談ですか?」

「ははっ。まあ色んな子が来るからね、ここも」


 そんな話をしていて、鷹野の言葉はなかなかくるものがあった。



 ふうん、と長息して最後の一口を飲み干す。考え事をしながらの食事はだめだなと思うのに、どうも調子が下がり気味だとこうなる。疲れているのか肩や手首が重いのだ。そこに二日酔いまで加わって正直ぼうっとしていたい。しかし先に控えるものは待ってはくれないわけで――レッスンだとか小さな仕事だとか団体の演奏会の練習等々、やる事はたくさんある。休みの日はマンドリンに触らないとかえって落ち着かないのもいつからだったか。


 さて今日も頑張って弾きますかと、伝票を手に席を立った。



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