悪い大人になったなって笑うか?(side.K)
※鷹野視点に変わります。(タイトル通りの男だほんとに)今後はタイトル横の(side.○)で判断をば…
見ていると胸が騒ぐ。互いに森矢の影を重ねて見ているような気がして。気が付いたら「そんな目で見てくれるな」という言葉が喉元までせり上がってきていた。その代わりに出てきたのがあれでは自分も大概我慢がきかなくなったなと笑うしかない。
映画やドラマのBGMの制作に声をかけられるのも一度や二度ではなく、現場はいつも似たようなメンツが揃っている。表立って名前は出なくとも何かを完成させてゆく過程に携われるのは結構好きだ。収入も安定してきているし両親も以前のように「そんな危ない職」と口うるさくなくなって。しかし実際危ない事には変わりなく手も気も抜けない。人付き合いに関しては世渡り上手なところを遺憾なく発揮しているので、どこに顔を出してもじきに馴染めていると思う。若手の中であれベテランの中であれ自分の立ち位置はわきまえている。
「鷹野君、」
収録が終わってチェックを受ける間は待ち時間だ。喫煙スペースで一本やっていると、そこにふらりと寄ってきたのは間宮だった。彼女は敏腕広報員で、打ち合わせだ打ち上げだという場でいくつか年上だと聞いた気がする。所謂堅気のキャリア組。
「お疲れさま」
「ども、」
「やっぱり君呼んでもらってよかったーバッチリ」
「ははっ。じゃあ次もよろしくお願いします」
原作はシリーズ物で人気も厚い。そう遠くない内に続編もあるはずだ。他の仕事にせよ、繋ぎをつけておけば使ってもらえる機会は増える。
間宮は「おいしい?」と上目遣いで尋ねてきた。きちんと施された化粧はいつ見ても崩れない。女は大変だなと思う。
「うまいかどうかはそれぞれかなと」
「軽いの?」
「ですね」
一ミリでメンソール。自分は清涼感が好きなだけで普通の煙草はそんなに好きではなかった。大学時代最後の年に覚えた体に悪い事。でもやめる理由も特に感じていない。
「匂い移りますよ」
「香水ぐらい持ってるから平気」
「おお。さすが」
「ね、この間言ってた事考えてくれた?」
何でもない風に言う。だからこちらもさらりと打ち返す。
「飯でしょ。覚えてますよ。すみません俺夜遅くにしか空いてなくて。ずるずる返事できなかっただけっすから」
「忙しいのは知ってるよ。…今日は? 無理?」
「いきなりっすね。ちゃんとしたとこじゃなくていいんすか?」
「いいのよ、ご飯なんかどこでも。デザートがおいしいなら」
やり手広報員はプライベートに関する語り口も器用だ。ふーっと薄い煙を吐き出しながら苦笑い。
「いっすよ。別に」
「ホント? よかった。終わったらメールして? 迎えに行くから」
「車ですか。今日」
「そ、」
「んー了解です」
自分の敬語は軽すぎると注意されるのは少なくないが、許容してくれる大人もまあまあいるわけで。間宮はその一人だ。(若い感じが好きだとか何とか。そんなもんか?)
間宮はにっこり笑って「じゃ、後でね」と喫煙スペースから出て行った。ハーフアップにした髪が軽い足取りに合わせて揺れるのを見やりながら、自分は別の女の事を思い出して"違うな"と思っていたりする。
――…うえ、ガキか俺
自分で自分の思考に寒気がした。
放っておくといつか倒れるのではないかという懸念頭にあって、それは森矢の所為だと勝手に思っている。よくもまあ隠し通してくれたと両手を挙げてみせてやりたい。他人が危なっかしい様子を見るととてもじゃないが目を逸らすような真似はできなくなった。
女性関係はそこそこ経験があって、しかしその中に矢橋は絶対に入らなかった。昔からうるさい女。いて当たり前。【三人セット】と呼称されていた時からそうだった。
彼女の片想いをいくつか見てきて、経緯なんかもしかしたら本人よりもちゃんと知っているかもしれない。その中に自分は絶対に入らないし入りたくないと思っている。森矢が彼女を好きだと言った時には気が知れないと本気で笑っていた気持ちも嘘ではない。
これだけ気楽な相手なのに不思議と傍に置きたいだとか手に入れたいとか思わない。気楽だからこそはっきり【欲しい】とならないのだろうか。そもそもこれは恋だの愛だのという浮ついたものとはまた違う気もする。少なくともこれまで味わってきたそれと比べるとまったく楽しくない。
この業界ではこちらが僅かに先輩である。それもあってちょくちょく会うようにはなった。矢橋は矢橋で仕事の分野が少し違うのだが、音楽関連の愚痴は決まって呑みの時に発散してくる。顔は綺麗なのに口が悪いのは相変わらずだ。あいつも手がかかったなと、そんな風に二人を比べている間は決して変化はないだろうなと踏んでいる。(あってもなくても構わないのだが。)
"簡単な付き合い"は後腐れない相手かどうかの判断も忘れていない。(向こうも自分の容姿が好きなのだからお互い様である。)生憎自分は聖人君主ではないので、人並みの欲求はどこかで満たさないとやっていられない。素直でいい大人になんかなれるわけがない。
煙草を灰皿に押しつけ、チェック終わったかなとブースへふらり。
* * *
ええ加減なやっちゃな、と今日何度目かの文句をたれて矢橋は顔を顰めてみせた。
「何で。どこが」
「相手に失礼やわーってゆーか女の敵なん変わらんなホンマ」
「向こうから言ってきたんだし、まあいいかって感じなんだけどな」
「寝てまで仕事取りなや」
「そうじゃねえよ。仕事とは別にして、だ。いいだろ俺がどこで遊ぼうが」
「えぇー…何かアカン。あんた今までも酷すぎるんやもん。そんで何とかなるんがまた許せんわー」
いっぺん刺されてみぃな。したら反省するんちゃうん。
なかなか物騒な事を言う。しかしそれも常識的な見方かと笑うしかない。場所は居酒屋の一角で、周りも会話が絶えないのでこんな馬鹿話ができるのだろう。あれこれ文句をつけるくせに、可笑しそうに笑いながら聞いている矢橋も大概だ。こうしてあっけらかんと「あんたあの人どうなったん?」と水を向けてくる辺り、自分はそういう位置付けである。
「あの人そんなんやねんなー」
「ああ、知ってるんだっけか」
「こんなんやめときなはれーって言うたりたい」
「大人の付き合いってやつだ。向こうも何回かやったらじゃあねってなるだろ」
「……あかん、わからん。ちゃんと好きやないと何かあかん気ぃする。そーゆーのん」
「子どもにゃわかんねーだろうな。あっさりさっぱりな付き合いってのは」
「だらしないっちゅーんじゃあんたは!」
まったく、とかりかりして唐揚げをぱくり。そしてカシスオレンジをぐっと。いい食べっぷり呑みっぷりで、はあぁ、と満足そうな様子なのは見ていていつも笑ってしまう。
ぽんぽん言い合い会話が転がる。テンポが合っている間はまだお互い酔いの口なのだ。これが次第に絡み酒になってしまうわけだけれど、面倒だなと思いながらそこまで飲むのを止めない。大学時代は周りの迷惑を考えていた。しかし今は一対一だ。しかも今日はどうなろうが世話を焼いてやっていい気分である。「好きなだけやれば」と最初に言っておいたら「じゃ、飲む」と軽い返事。
「そんなん聞いたらおばちゃん泣かはるで」
「ねえな。あっそ、ってなもんだろ。俺もこの年だし」
「何かないん。これやーっちゅー相手」
恋愛下手で鈍感なお前がそれを訊ける立場か? と思うだけで口には出さず。
「さあなぁ…それこそわかんね」
「あーあんたそこら辺もずーっとそうやったな」
聞いた私がアホやったー、と手をひらひら。こちらが矢橋の事を知っているのと同じく、彼女もこちらの恋愛遍歴について知っている。軽い付き合いばかりで長続きはしない。気持ちがないのだからその内相手から切られるか自然消滅するかという経験しか知らない。"ずっと一緒"とかいう言葉にはむしろ寒気がする。
「結婚とか考えへんの」
「オマエはどうなんだよ」
「ええ? んー…考えんくはないけどなあ…」
「ああ、悪い。貰い手がねえよな」
「うっさい! 失礼な!」
この性格で、しかもご執心の物が重いときたら、顔で売れかけても"やっぱり無理"となるのかもしれない。矢橋は森矢の楽器を手放す気など欠片もなくて、追いかけている最中である。追いつけやしないのに。
死んだ人間は美化されがちだ。事実森矢の才能は輝かしくて、それが今、矢橋の中で一体どれだけの高みに置かれているのだろう。彼女が頑ななのはあんな終わり方をしたからだと、ひどく恨めしい。
森矢本人はこんな彼女の姿を望んだわけではない。ただ忘れないでいてほしかっただけなのだ。マンドリンの楽しさ。練習の大変さ。演奏の空気。そして自分との思い出を少し。
矢橋にはどんな手紙を残していったのだろうかとふと思った。そういえばそんな話はした事がない。楽器とあの譜面とピアスぐらいしか森矢が彼女に渡した物に覚えがなくて――
「あーもー、ええねん。ウチはウチで好きにやってるからー今が幸せならオッケー、的な」
だがアルコールが入って思考やあれこれがおめでたい状態でそんな会話は成立しそうにない。自分達の間合いですら森矢の話となるとしんみりしてしまうのだ。ついでに刺々しい物言いになってしまう。
「気持ちは捨ててねえってか。まーいんじゃね?」
「やんな! アラサーで一人とかざらやしな! ありがたい世の中やわぁホンマ」
「希望だけはでかいよなあ」
ぴくん、と矢橋の動きが止まる。何気ない一言で噛みつかれるなどこれまでもあったが――
「………悪かったなあぁっ」
俯いて、しかもぐにゃりと泣きそうな顔をされたのは今日が初めてだ。驚いて、おい、としか口から出ない。
「何やねん。皆して無理無理って顔しよってからにっ…てめえらに何がわかるっちゅーんじゃ!」
「おまっ、ちょ――そこまで結婚したいとか思うなら色々だなあ…」
「あんたもそうや。ウチがいつまでも森矢森矢っちゅーのうざいっつっとったやんけ!」
そっちか! と急転した話題に思考を転換する。絡み酒のターンだな、とほんの少しだけ面倒な気持ちになったのは自業自得だよなと投げる事にした。
「うざいとは言ってないだろ」
「やめんかいっつったやんけ!」
がつんと言葉をぶつけてくる矢橋を前に、その場面を思い出す。あの時は碌に反論してこなかった。その燻っていた分が今更――と言っても二月も経っていないのだが――再燃したのだろう。
「言った。それこそ一生かかっても無理だと思ってるから言った」
「やってみなわからんやろ」
「楽器楽器で婚期も逃すわ結局目標にも届かないわで、人生そんなつまんなくていいわけ? よくねえだろどう見ても。それこそ親泣かせだろ」
「あんたにウチの何がわかるっちゅーねん!」
「あん?」
この台詞、いつだったか聞いた事がある。別の人間の口から。
「はー……好きにすれば。俺の人生じゃねーし」
「それや! 全部わかったような顔してなあ、へらへら笑っとったらえぇんちゃうわい! 気に入らんにゃったらとことんやらんかいっ」
「おぉい……オマエ、応援されたいのか反対されたいのかどっちなんだよ」
森矢は気付かなかったのに矢橋はそうはいかないらしい。相手を尊重しているようで実際は突き放す態。
【目が据わっている美人は恐ろしい】とはしばしば囁かれていた彼女だが、とりあえず今は面倒な酔っ払いには違いない。
「あんたはどやねん」
「はあ? 言ってんだろやめろって。でも楽器やめろとは言わねえよ。好きで、生活できてんならやってれば? 辞めてもイコール嫌いになったっつー事にはならねんだし、仕事やる気あるならどうにでもなるだろ」
酔っ払いに真面目に何を説いているんだかと次第に馬鹿馬鹿しくなってきた。矢橋は急に黙り込んで考えてから、なあ、と再び口を開く。
「何」
「あんた、何で海外行ったん」
「は?」
「森矢が行けへんかったからとか、そんなん考えんかった?」
「………」
動機は何だったのかと改めて問われると困る。森矢の書き残したものは確かに読んだが、それだけで進路を180度転換したわけではない。珍しく食い下がってきた師匠から逃げ回るのも面倒になっていたし、好きなクラシックギターができるなら四、五年ぐらい実社会に出るのを遅らせてもまあいいかと最後は考えていた。(現場ではとことん打たれて半分面倒になった時期もあったのだが……)
「最終自分が行くって決めたんだから関係ねーだろ。あいつの事ばっか考えてたらキリねぇし何もできねーぞ」
学生時代の事をずるずる引きずって何が楽しいのか。
「…ウチは考えてまう。森矢やったらこうしたかったかなとか、こんな仕事やりたいやろなとか、そんなん。……そら、ウチのやりたい事やっとるで? でもな、選ぶ時にちらっとでも思ってまうやん。楽器まで貰って、ほったらかしとかヒドイやろ」
そう考えるのも不思議ではない。矢橋は気心知れた友人が置いていった物をそう簡単に捨て置くような所業ができる性質でもない。両耳に居座るピアスもそうだ。
「……わからなくねーけど、考えすぎ。あいつはそーゆーんじゃなくて、ただ、オマエが持っててくれりゃ満足なんじゃねえの」
「…何でウチやってんやろ」
「あぁん?」
驚いた。そんな事も知らずに森矢のマンドリンを受け取ったのかこの女は。そしてその理由を少しでも汲んだり想像したりもしてこなかったらしい事にはほとほと呆れさせられる。
「はあぁぁ……」
「何やねん! いちいち溜め息吐きなやっ」
「とんでもねー、って思って」
森矢には悪いがこの話は時効だろう。しかし時効であれ本人が言わなかった事を自分が話してやる気にはならない。(友人としての義理は果たすつもりだ。一応。)ごくりとハイトニックを一口。
「あーあ今日もーこの話終わり。気分台無しじゃねーか、ったく…おい、メニュー貸して。まだ飲むだろ」
「……あんたぁ、ホンマ嫌な大人になりよったな」
自分ばっかり高みの見物かい、と不貞腐れる矢橋だったが、また飲み食いを始めると馬鹿話にけたけた笑っていた。まったく、とんでもない女だ。
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