幸せって何ですか(side.R)
※矢橋視点に変わります。
あれからもう五年。――いや、まだ五年しか経っていない。
森矢が急逝してから、鷹野と自分はそれまで思い描いてきた進路を大きく違える事になった。彼はギターの師匠の推薦で海外の音楽学校に。自分は地元に戻り、仕事の傍ら森矢のついていた先生の元に通っていた。大学だけで楽器から離れる者は多い。マンドリンというマイナー楽器なら尚の事だ。
「矢橋さん、これでコンクール出てみようか」
言われて出てみた国内コンクール。テープ審査の予選を通り、本選の前日、鷹野からはメールで「しっかりやれよ」とだけ連絡があった。来ないのかと落胆しなかったわけじゃない。けれど卒業してから何となく距離のできた友人を以前と同じノリで「観に帰って来んかい!」と誘うほどの気力もなかった。
結果として本選では4位となった。それでもキャリアになることに変わりはない。コンクール毎に着実な結果を残していけたのは嬉しい。でもまだ、と手の中にあるマンドリンを見ては天を仰ぐのだ。
変わった事がたくさんある。社会人はなかなか気苦労が多く、同期と飲み会をすれば皆それぞれ普段ため込んでいるものを吐露し合っている。似たような愚痴だったりするのだが、自分より大変そうな奴がいると「こっちはまだマシか…」と思ったりもして。
結婚した者も少なくない。先輩世代はラッシュで、片思いのまま終わった先輩も例の彼女と結婚してしまった。式には出た。皆で余興に二曲演奏なんかして――懐いていた先輩の祝いの席なのに、鷹野は海外から祝いの言葉と謝罪の文句を寄越してきただけだったらしい。
「あいつらしいっちゃらしいけどな」
「ん。…でも、会いたかったな。鷹野君」
「まだ言うかお前…」
「私らもですけど、りょーちゃんでもなかなか…ね? 会えてないんですよ。全然」
「忙しくて何よりだろ。音楽で食ってくなら尚更」
堅気の世界でと吹聴していたのが一転、という事態に皆それなりに驚いていた。でも鷹野の腕と性格ならあり得るという納得も早かったし応援もしている。
「あいつはふらふらっとしとるんが性に合っとるんちゃいます?」
「……かもな」
楽器を続けようという人間の生き方は、卒業と同時に楽器からは離れた弥坂には多分わからない苦労がしばしばある。(逆も然り、だが……)
「とにかく無理はすんなって。前言っといたけどあいつもなぁなぁだったからな…いい年なのに落ち着かねぇのも心配だろ」
こんな所でまた、ああこの人じゃなかったなと思わされるとは考えてもみなかった。世間一般論。自分も鷹野側の人間だからか少し耳が痛い。
二次会三次会と夜中まで騒いだ帰り。奈美と「楽しかったね」と言い合いながら繁華街から駅へ向かう。
「いいなあ、私も結婚したい」
「奈美ちゃん、予定は?」
「んーまだもうちょっとね。彼氏的には色々準備したいみたい。物いりだし、私ももうちょっと仕事したいなーって」
でも30までには、かな。
その言葉にそっかぁ、と漏らしつつ、しっかり将来設計がある友人はすごいなと感じていた。
「弥坂先輩、何か雰囲気が丸くなってたね。幸せ街道まっしぐらって感じ」
「やな。デレデレやった」
「あれが素かもね」
「あはははっ、かもしれんなあ。皆の手前な」
「27なら普通? かな?」
「さー…まあええんちゃう? 早かろうが遅かろうが幸せなら」
「確かに。結局そこだもんね」
奈美とは途中の駅で別れ、次回はランチをと約束をした。一人になって、電車の窓に映る自分の顔は何だか疲れ切っていて。
終わったと思っていたのにしこりはまだあったようで、幸せそうな二人と場の空気にひどく疎外感を感じていた。消化しきれないそれは誰にも吐き出せないまま。「またうじうじしてんのかよ」と軽く笑い飛ばす奴がいないと何だかすかっとしないような気がした。
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